作業開始
大塚駅近く、ちょうどスピークイージーの側に設置されたフェンスの前に4台の車両が並ぶ。先頭は障害物を退けられるように改造されたハマーH2だ。大型車に乗る砂原武は今日の要項が印刷された紙と厚生労働大臣のサイン入りの業務委託証明をゲートキーパーに手渡す。
「今日は週末だから早く終わってくれよな。飲み屋が混むんだよ」とキーパーは書類を返しながら声をかけた。
高さ7メーターのフェンス、これが都内何十箇所にも設置されている。現状で設置されていないのは足立区の一部と豊島区から北区にかけての一帯、渋谷駅から南平台にかけてのみだった。フェンスは「浄化」が行われた場所から設置されていくことになっていて同じようなものが全国各地に設置されている。
基本的に活性化した死体はフェンスを乗り越えられない。ごく稀にフェンスが破損し死体が内側に入ってくることもあるが定期的なパトロールとモーションセンサーによって管理されているので、押し戻されるかその場で燃やされるかの2択だった。
ただしそれでは根本的な解決にならない。そこで厚生労働省が主導で解決のために一つの法案を可決させた。安全地帯を作り出すために特別な仕事ができる人間を集めて組織することだった。
元々は他国の民間軍事会社に業務を依頼する予定であったようだが、世論の反発によって直接参入自体が実現することはなかった。代わりに日本支社を作り、センスのある人間をスカウトし育てることで業務を遂行する形になった。
砂原たちはノースカロライナにある民間軍事会社の孫会社にあたる企業に勤めていた。彼らは職務中に限り銃刀の所持と使用が認められるが安全地帯では一般人と変わらない扱いを受ける。
無論フェンスの外であっても窃盗や強姦などはご法度で、行えばフェンスの中で裁判にかけられることになる。
先日同僚の津村が勤務中に14歳の少女を犯した。
本人は少女に誘惑されたと証言したが活性した夫の死体を隠していた母親と娘を発見し、見逃してほしいと母親が娘を差し出したのに乗ったのだろうというのが会社の監査部の調査結果だった。その後津村は警察に引き渡されたが3日前より発熱と背部に数カ所腫瘍が発生し隔離施設に移されたそうだ。
フェンスの門が開く。アクセルを踏みながらダッシュボード上の端末を確認し他の車両と隊員の状態を確認した。開始時間が遅れたことと2番手の三上との車間距離が詰まり過ぎていることが気になるがそれ以外は問題なかった。
「2号車、車間距離に注意」と促すと「すいません、今日眼鏡なので距離感が微妙につかめないんです」と返ってきた。この中で唯一の女性とはいえ誰かに特別扱いされる様子はない。この仕事をしている人間は同業者を毛嫌いする傾向にあると聞いた。最も三上が特別扱いされないのは別に理由もあった。
3号車の宮本はいつもの調子で無事作業が終わるか心配していたのを開始前の通話で確認した。オペレーターの副島との相性は先ず先ずだと思うが、集中するとリンクを切って単独行動に出る傾向があるので注意が必要だった。それに今日は彼の特別な日らしかった。
4号車の藤島は一番若かったが冷静だった。ただし、津村の件が発覚した際は部隊内で処理すべきだとしてフェンスの外での処刑を提案するくらい人に対して憐れみがなかった。
巣鴨公園を過ぎたあたりにある中学、高等学校の前で2車ずつに分かれた。移動中、砂原と三上は巣鴨駅側のホテル、宮本と藤島は駒込にある中高一貫校の校舎を捜索することになった。誰しもが早く帰りたかったため拒否する人間はいなかった。
通常の規定では1名が移動しながら両方のチームに異常がないか確認しつつ作業をすることが定められている。ただしそれは慢性的な欠員と職業の人気のなさから人手のないこの仕事に対してなんの効力もなかった。
事前の報告によりその二箇所に比較的大きな熱源があるという。間違いなく人がいる、それに付随して活性化した死体もあるだろうと予想していた。その他点在する小さな熱源に関しては区の職員と警察官が見回りをし、遺体があれば最寄りの我々車両隊に連絡して対処する手はずになっており、今日は別働隊が申請のあった家屋に向かって作業をしている。
砂原はアクセルを踏みながら今日も自分が憂鬱な気分であることを実感して安心していた。
人間というのは生前の縁を重んじる動物である。恐らく今日もそれを強烈に印象付ける出来事に遭遇する筈だ。
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