妻の視点
今日は母の通院介助の日だった。昨年までは一人で通院できていたが今年の1月に新宿の駅構内で足を滑らせ腕を折って以来外に出るのが億劫になってしまったようだった。自分の気分転換を兼ねてこうして母と月に一度出かけ病院に付き添い、昼食と夕食を食べることにした。
「基くんは今日もお仕事?」と母に声をかけられハッとした。そういえばそろそろ向こうも昼の休憩をとっているかもしれない。
「そう。多分そろそろお昼だから私たちと同じランチタイムじゃないかな」と返事をした。
「でも毎日心配じゃない?仕事が仕事だし」と母に言われて「そうねぇ」と適当に相槌を打つ。自分自身それほど心配はしていなかった。あの人は必ず今日も帰ってきて夕食を私たちと食べる、そういう約束は破らない人だった。
ランチの後夕食のための食材を購入しに高田馬場の成城石井で食材を購入した。病気の発生の後、生肉に対する安全基準が跳ね上がった。その分値段にも反映され、更に高級な食材になってしまった。肉自体の扱いはあるが加熱され検査をパスしたもののみになった。取って代わったのは大豆を主とする豆類を肉のように加工した食材だった
夫は肉が好きな人間だったらしい。ただ結婚するときは既に大豆や豆類を好んで食べるようになっていたので料理にはあまり困らなかった。
「今日は疲れているだろうから動物性タンパク質食べさせてあげたら?」と母が言うので安くなっていた鯛の切り身をカゴに入れた。切るのが面倒だが刺身よりこっちの方が安かったし、何よりいつ帰ってくるかわからないので、帰ってきてから捌いた方が美味しく食べられるだろうという多少の思いやりもあると自分で言い訳をしていた。
取り敢えずキムチと豆腐のグラタンと刺身、温室栽培された野菜でサラダを作ってもてなそう。
清水橋公園近くの自宅マンションまで母と歩いて食材を冷蔵庫に入れる。
「ねぇ、ハンドソープ切れてるわよ!」と母の声が響く。腕を折ってからというもの母は前にも増して短気になったような気がする。また緩やかではあるが物忘れをするようになった。父に噛まれたことが関係ないのかと医師に伝えたが、加齢による不定愁訴、いわゆる更年期障害と診断された。
「洗面台の下にあるから詰め替えてくれる?」と声をかけながら夫のことを考える。今週は駒込までと言っていた。大塚駅のロータリーから地下鉄南北線駒込駅の入り口前までのエリアにいる家族の火葬を拒む人々から火葬されていない遺体を引き離し、安全に運び出せるようにする。それが今週の仕事だった。
映画のことや料理のこと、酒や音楽のことに関しては話題を切らしたことがない(といってもあまり喋らない)夫だが、仕事のこととなるとあまり喋りたがらない。ただ一度だけ「大切な家族を引き離す仕事だからあまりやりたくない。ただ、自分には向いていると思う」と話したのを覚えている。
母と私から父を奪ってしまったと思っているのか?と聞くと「それはあまり関係ないかな。あの時は咄嗟だったし、そう言う気持ちになったのは史子と話しをするようになってからかな」と返ってきた。
父を殺した人間だと思っていたら今のような関係性は築かなかっただろうが、自分が父の人生を終わらせたのは彼ではなく心臓発作だったと言う事実があったため、そういった感情を持つことはなかった
。
そろそろ15時になる。夫の仕事も佳境だろうか。
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