夫の視点

通常は5名で1チームだが今日は4名、若干の不安はあったが補充を希望せず勤務を開始する。ドアとフレーム、フロントとリアに補強材のついたMクラスのメルセデスに乗り込みダッシュボードに乗せた端末を事務所のネットワークにリンクさせる。

「こんにちは!」の表示と共に本日のオペレーターの欄に「副島恵理」の名前と顔写真が出る、滅多にパニックを起こさない安定した人間だったが信用はしていない。優秀な人間であってもリンクが切れてしまえば1人で事態に対処しなければならない。


「今日は忘れ物はなし?」とオペレーターがいつもの調子で声をかけてきた。

恐らく前回抗体の摂取を忘れたことを覚えているのだろう。

「問題ないよ。比較的軽装だからそこが心配」

本心だった。今回は池袋から駒込の区間という比較的狭い範囲の掃除と安全確保がメインだった。

「銃がダメなら車で撥ねればいいじゃん。そのためにでっかい車乗ってるんだし」

簡単に言うが車の調達や補強、装備品の更新は自前だった。嫌になってオフラインにしようと思ったがログを見られて査定に響くのが嫌だったのでやめた。


後部座席には銃身の短いAKライフル、鍵のかかったドアを開けるためのショットガン、40口径のグロックピストルとバックアップ用の357マグナムリボルバー。全て会社からの支給品だ。外を出歩く際はライフルとピストル2丁しか持たないが、今日集まらなかったメンバーのことを考えると不安で仕方なかった。

仕事は基本的に単純作業の繰り返しで、フェンスの外側にいる活性化した死体の動きを止めること、その地点にマーカーを置き後から来る「清掃車」に積み込めるようにすることだった。回収された人間は地区ごとの清掃施設に運ばれ焼却される。自分の場合は豊島清掃工場が最寄りだった。


異変が起こり始めたのは10年前だった。台湾の病院で死者が蘇るという事件が発生した。多くの人はフェイクニュースや根も葉もない噂だと信じなかったが一部の人間、主に終末論を信じるものとその類の物語を好む人間たちは一斉に「ゾンビによる世界の終末」を訴えた。


そんなことで終末を迎えるほど世界はヤワではなかった。


台湾に渡航したカナダ人男性が死亡し、死亡確認が行われている最中に看護婦数名を殺害して射殺されたのを機に公衆衛生局がWHOに新種の感染症を報告した。WHOはすぐさま対応しアウトブレイク宣言を出した。

人々は新種のウイルスだの宇宙からの光線だの騒いだが、原因は突然変異したプリオンだった。


本来プリオンはタンパク質の塊であり飛沫感染しない代物である。しかしどういうわけか台湾で確認されたプリオンは飛沫感染するタイプだった。調査の結果、中国の玉林で開催された犬食祭で提供された犬の集団から同じタイプのプリオンが見つかった。数年前に流行った狂牛病に感染した牛の脊髄を飼料として食べさせられた犬の体内で突然変異したプリオンが、犬食祭に訪れた人間を媒介して流行したというのが真相だった。もちろん中国政府は「詳細は確認が取れない」とシラを切り通した。


日本政府の対応は早かった。WHOの宣言を受け検疫体制を敷き、アジアおよびカナダからの渡航者に対してスクリーニング検査を実施した。それでも国内感染者は一定数出てしまったが専門家が思い描く「生きた感染者の拡大」という事態にはならなかった。問題はそのあとだった。

プリオンは生きている人間に対しては活性化せず感染者の脳が機能を失ってから活性化するという厄介な物だった。元々日本は火葬の文化だったのであまり目立たなかったが、土葬をメインとするかの北の国ではホラー映画のように夜な夜な墓から死者が蘇るということもあった。


治療方法は今のところ確立されていない。活性化を遅らせる抗体は見つかっているので、それを定期的に摂取して活性化する前に火葬するか脊髄を破壊するしか方法はない。


数年間はそれで収まったがここ3年で脳死から活性化までのスピードが上がってきている。以前まで数日だったものが現時点で死亡から30分足らずで元気に立ち上がり人を襲うようになった。


そういった活性化した遺体を安全に火葬できるように処理するのが自分の仕事だった。7年前まではパソコンの前に座って見積書の作成やデータ処理の毎日だった。だが、上司が目の前で倒れ役員を食おうとした際に上司を殴り倒して安全に処理した実績を買われて今の会社に声をかけられた。


「今日のルートを確認したい。地図を出して」

オペレーターに声をかけダッシュボード上の端末に表示された地図を見る。山場となりそうなのは巣鴨駅側にある大きなホテルと駒込にある高校の校舎だった。

「今日のルートは厄介そうな建物がある。暗くて入り組んでるヤツと、ガラス張りだけど狭い通路のヤツがメインだ」

インカムから同僚の声が響く。車列最後尾担の圭からだった。

「相変わらず難易度が高くて困るね。今日は定時に帰れるといいけど」

そう返してリンクを切った。イグニッションスイッチを押し今日の仕事が始まった。

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