5.ノアの箱舟
「嘘みたい……俺宇宙にいるよ……」
ジンは窓から宇宙を眺めて脅えていた。あの地獄の様な惑星から出られたのは百歩譲ってよかったとしても、ここから先どうなってしまうのか不安でしょうがなかった。クインの話では真っ当な仕事に就けるとの話だが、そもそも星が変わるとは聞いていない。
「ブライトエリア、ブロックC周辺に支部のシーカーを派遣しました。これで一先ず騒ぎは収束するでしょう」
「あー疲れた、あたしは寝るわ」
パイロットの報告を聞きながら、クインはソファの一つに寝転がる。確かに不時着から僅か一日といえど、彼女は精神的に安定している様に見えていろいろ疲れることも多かっただろう。ジンは自分がクインの立場ならああも冷静に行動できるのか考えて、不可能だという結論に至った。
「つーかお前はちゃんと椅子で寝ただろ昨日……。俺なんか床だぞ床。節々いてーわ」
「………」
クインはもう眠っており、ジンの愚痴を聞いていなかった。自動運転になったのかパイロットはジン達のいるフロアに降りてくる。声ではぐぐもっていて分からなかったが、ヘルメットを被ってパイロットスーツを着た女性が、この宇宙船のパイロットをやっていた。ジンが見たシーカーはたった二人だがこれまで全員女性である。
「初めまして、あなたがカプリチオの報告にあった泥棒ですね? 私はシナノ。シーカーの一人で乗り物の運転を専門にしています」
「泥棒って……まぁ事実だけどとんでもねー伝え方してんなあいつ……」
ジンはぼやくもその相手は当に熟睡中。女性パイロットのシナノはクインよりも年上らしい。しかし彼女の様なパイロットがいるということは、もしかしたらあの宇宙船にも誰かパイロットがいたのではないかとジンは今更ながら青くなる。シナノもその異変に気付いていた。
「どうしました? 宇宙船酔いですか?」
「いや、あの堕ちた宇宙船さ……クインの他にも誰か乗ってたんじゃねーかって今更。ほら、パイロットとか」
「ロストした宇宙船にはカプリチオ以外乗っていませんでした。彼女は私の様にこの宇宙船、ベースシップの運転技術があったので単独での行動を許されています。しかし今回はそれが裏目に出たようですね」
「よかった、死人はいなかったのか……」
とりあえずジンは安心する。これで死人でもいたなら少し後味の悪い結末だ。人の死体が転がっていてもなんとも思わない様な環境で生きてきたがそれはそれ、これはこれ、というやつなのであった。
「今回はシーカーを代表してお礼を言わせてもらいます。貴重な人員を失わずに済みました」
シナノは頭を深々と下げる。確かにあの戦闘能力を目の当たりにしたジンからすれば、この若さであそこまで戦える人材は貴重だとも感じられる。だからジンも、その状況を鑑みてシーカーで働かせてもらえるのだと思っていた。
「いや、俺の方こそ悪いね。シーカーのところで働かせてもらえるなんてね」
「はい?」
「はい?」
しかし現実はそう甘くなかった。シーカーには入れないらしい。では、クインの言っていた真っ当な仕事とは何のことであろうか。ジンはてっきり、シーカーで働くことだとばかり思っていたのだ。
「おいどういうことだクイン!」
ジンが問い詰めるもクインは起きない。シナノはしばらく考えてある結論に至った。
「そういうことですか……カプリチオの実家はギアズでお店をやっているのです。そこで面倒を見る、ということだと思います」
「そういうことか……」
「シーカーというのは誰でも成れるものではないのですよ。厳しい試験に受かった、選ばれし精鋭だけがシーカーとして惑星を探査する資格を得られるのです」
「戦ってるとこ見てもそうだったけど、クインってすげーんだな」
自分と同じくらいの歳でそんな試験に受かっているクインが如何に凄いのか、ジンは改めて実感した。
「ともかく、すぐの話ではなさそうです。防疫のためしばらくは移民船、ノアで過ごしてもらうことになります」
「ぼうえき? なんだそりゃ?」
ジンは明日が保証されているという状況でさえいたせり尽くせりだと思っていたので何とも思ってなかったが、聴き慣れない単語を耳にして首を傾げる。
「簡単に言えば他の惑星に病気を持ち込まないための処置です。移民船ノアに住む人々はリュウオウ太陽系の惑星における重大な感染症や病気への予防接種を行っています。しかしあなたがこれから訪れるであろうギアズでは先住民全員にその様な措置を行っていない、もしくは持ち込んだ病気が他の動物に感染して変異する恐れを防ぐために、あなたにもノアの住民と同じレベルの処置を行うということになります」
「すまん、何言ってるのかさっぱりだ……」
ジンは学校に通っていない。それ故に、シナノの発言は全くと言っていいほど理解が出来ていなかった。そのため、シナノはさらに噛み砕いて説明する。
「報酬の一環としてあなたが病気になりにくくなる様なことをしてあげます、ということです」
「そりゃいい。風邪一つでも死ぬ思いするからなこちとら」
ジンはネクノミコでの生活を思い出し、病気になりにくくなると聞いて喜んだ。看病してくれる人もいない彼は薬も盗んで対応しなければならない。頭が働かない中で盗みを働くのは健康な状態よりもリスクがある。これからは盗みをしなくていい上に病気にもなりにくくなるのだ。良いことづくめである。
「一つ心配なのですが……」
「何かな?」
シナノはある心配をする。それはジンに関することであった。
「あなたにはあの星に残してきたものはありませんか? カプリチオは強引なところもありますし、あなたはベースシップが飛び上がった時かなり動揺されてらしたので……」
「あ、うん。心配すんな。家族なんかいねーよ。俺はてっきりあの星にあるシーカーの支部で働かせてもらえると思ってたから、宇宙出た時はビビったけどなぁ……」
「それなら問題無いのですが……」
とりあえず心配事は無くなった様で、シナノも安堵の表情を浮かべる。そこでジンは気になっていたことを彼女に聞いた。
「なんでずっとヘルメット被ってんの?」
「仕事中ですので。事故の序盤にパイロットが頭を打って死んだ、となれば私も死に切れませんので。あとプライベート含めた禁酒もマイルールです」
「ストイックだねぇ……」
仕事をする人間とは皆こうなのか、とジンは少し心配になった。ただ、思い返せばコンビニ店員とかシナノの爪垢でも煎じて飲ませた方がいいレベルの者もちらほらいたのでクインの実家のお店とやらが厳しくないことだけを祈った。
「見えてきました。あれが我々の移民船、ノアです」
「でっけー!」
話をしていると、大きな球体を囲む様に流線形のシルエットが形作られている宇宙船が見えてきた。それが三つも見える。あれが移民船団ノアなのだ。暗黒の宇宙に輝く青白い光、それはまさに、常夜の星でブライトエリアを見たかの様な感動を覚える。
「三つある船はそれぞれ『ハクロウ』、『シキガミ』、『ボクエン』と名付けられています。そのうち、シーカーの本部があるのはハクロウです。なのでこの船はこのままハクロウへと向かいます」
「おー……」
船はここから手動運転なのか、シナノは梯子を上って運転席へ行く。ジンはただ移民船の広大さに驚くことしか出来なかった。
『着艦確認。マナ重力起動します』
ベースシップは移民船ノアのうち一つ、ハクロウに辿り着いた。外にジンが出ると、地上と変わらない重力が迎えてくれた。ここはガレージの様で、ベースシップの帰還と同時に多くの作業員が工具を持ってやって来て、船のメンテナンスをする。
「ここが移民船ノアか……」
「まずは二人ともメディカルルームへ。カプリチオは健康診断、ジンさんは防疫処置があります」
ジンと起こされて大あくびのクインはシナノに誘導されてメディカルルームなる場所へ通される。怪我をして帰って来てもすぐ治療が出来る様になのか、ガレージとメディカルルームは直通の通路で繋がっていた。どちらも体調に大事ないが、連絡が行っており治療の準備が整っていた。
メディカルルームは清潔感に溢れた部屋で、真っ白なベッドと様々な医療器具が置いてある。病院自体来るのが初めてなジンは、少し緊張していた。あまりに綺麗で眩しい部屋に戸惑っている。
「これがメディカルルームってやつか……」
ジンは椅子に座らされて、医者の指示を待つ。クインは既に看護師から渡された体温計を脇に挟んで、ジンの隣に座っていた。
「うん、平熱。大したことねーって」
看護師の対応が大げさと言わんばかりに、クインはぞんざいに体温計を渡した。老齢の医者がジンの対応に当たっていた。
「はい、ではまずこちらの注射を……」
「なにこれ?」
目の前に現れた、銀のトレーに仰々しく乗せられた針の付いた何かを見て、ジンは硬直する。中には怪しげな液体が入っており、どう見ても怪しいものにしか見えない。彼はこれを見て、あるものが頭を過る。そう、スラムで貧民が買い求めていたものにこんなものがあった様な……。
「これってドラックじゃねーの? ヤメロー! ヤメロー! 死にたくなーい!」
「そんなんと一緒にすんな! ただの二十六種混合の予防注射だ! 乳飲み子でもやってる!」
暴れるジンをクインが取り押さえる。ジンの脳裏には薬のやり過ぎで廃人になったかつての行動仲間達の末路が浮かんでおり、それはもう必死に抵抗する。
「二十六って何がそんなに混ざってんだよ! 知ってんだぞ! これ打ったら最初は気持ちよくなるけど後から禁断症状ってやつが出てドラック無しじゃ生きれなくなるんだろ?」
最初は煙を吸うところから始まり、効きが悪くなれば飲み薬、静脈注射と段々強いものになっていき仲間の様子もおかしくなっていく。それは幼いジンにとって一種のトラウマであった。
彼も仲間に誘われて一度煙を吸ったことはあるが、体質的に合わないのか気分が悪くなってしまってそれからはやっていない。
「当て身!」
「げふっ!」
あまりに暴れるものなのでクインに首筋を叩かれて気絶させられてしまう。が、よほど怖いのかすぐに起きて抵抗を再開する。
「いやじゃー! いやじゃー!」
「黙って注射受けろ!」
クインが暴れない様に取り押さえ、すかさず医者が注射を行う。クインのロックがあまりにきついため、もはや注射の痛みは感じなかった。医者の手際で刺してから抜くまでものの数秒で処置は終了する。終わった途端、ジンもなんともないことが分かって安心する。
「おや……特に気持ちよくならない……?」
「当たり前だ」
とにかく、これで防疫処置は終了となる。ブライトエリアブロックCの時刻では夕方だったが、このハクロウではまだお昼の様で、二人は休むために部屋へ、シナノによって案内される。向かい合わせに扉の並ぶ廊下、その一角に部屋を用意してくれていた。
「今日はまだ早いですがこちらのお部屋でお休みください。それでは、また明日」
「明日? なんかあんのか?」
クインはシナノに明日の予定を聞く。彼女は伝え忘れていたとばかりに、明日の用事をクインとジンの二人に伝える。
「申し遅れました。ウェスト司令官があなた方二人に会いたいと申しております。明日はその面会を行っていただきます。さぞやお疲れでしょうが、どうしてもという司令官の意向でして」
「しれいかん?」
「司令官だって?」
ウェストの名を聞き、クインが急に眼の色を変える。司令官というのはそんなに偉いのか、程度にしかジンは思っていなかったが、話を聞くによほど自由な人間なのだろう。そうでなければ奇跡の生還を果たしたとはいえ下っ端のシーカーであるクインに直接会うなどということはしないだろう。
「ど、どうしよう……これ今から洗濯して間に合うかな?」
「そういえば洗ってないもんなそれ」
クインはドギマギしてツナギの様子を確かめる。確かに一度も服を洗っていなかったなとジンも思い出す。彼はコインランドリーで洗うか、服屋の試着室で着替えてそのまま商品をくすねるという方法で着替えていたが、クインなどは服をキッチリ毎日変えるのが習慣の人間だ。確かにそれが気になっても仕方ないとジンは思った。
「お前も服洗って風呂入っとけ! あたしは今から洗濯して風呂入るからな!」
そう言うとクインは部屋に入ってしまう。その向かいがジンの部屋である。部屋はドアノブのボタンに触れると自動で開く仕掛けになっていた。ジンも部屋で休むことにする。
「では夕食は十九時から、朝食は六時からとなっていますのでどちらもここの廊下を突きあたった場所にある食堂で食べられますよ」
「はーい」
シナノから食事の時間と場所を聞き、ジンは部屋に入る。
「ほう、これは凄い……」
ベッドとデスクがあるだけの小さな部屋だったが、ジンにはこれでも満足であった。そもそも今日の寝床にも困る様な毎日を送ってきた彼にとって、寝床が保証されているというのはそれだけでも贅沢な話であった。
「まるでビジネスホテルに来たみたいだぜ、テンション上がるなー」
ジンは盗みで儲けた時に泊まる安いホテルを思い出していた。そこでクインの言葉を思い出し、服を洗濯することにした。残念ながらこの部屋にあるのはベッドにデスク、テレビと風呂トイレぐらい。洗濯機は無い。備え付けのガウンもあるというホテル仕様ではあるのだが。洗濯機の場所を調べるため、ジンは部屋を一旦出て向かいのクインの部屋へ行く。
「洗濯機はあいつに聞くか……」
そう思っていると、廊下で部屋を出たばかりのクインと出くわす。二人は想像外の遭遇に一回無言になる。
「なぁ、洗濯機ってどこだ?」
「食堂行って右に大浴場あるだろ? そこだよ」
「そうか」
「洗濯待つ間風呂にも入っちまいな。あたしはそうするつもりだけど」
というわけで二人は一緒に大浴場まで行くことになった。なんだかんだで縁のある二人である。ジンはこれからお世話になることが確定しているクインの実家について聞くことにした。
「なぁ、クイン。お前んちってどんなところだ?」
「ギアズの街でシーカーの集まるバーをやってるよ。仕事は夜が多いかな。ま、お前も夜型みたいなもんだしやってけるだろ」
「バーねえ……」
そう聞いてジンは微妙な顔をする。まさか酒場だったとは。これは仕事も厳しそうである。ただ、泥棒の様なリスクは心配しなくて良さそうだ。これからの生活に不安半分、期待半分のジンなのであった。
翌日、二人はハクロウ内のある場所に来ていた。ノアの移民船であるハクロウの内部には地上と同じ様に町があり、ネクノミコ都市部の様な作りになっていた。空は天井なのだろうが青空の映像が投影され、常夜の星よりはよほど人間が暮らす場所らしい状態が作られていた。その町にあるタワーマンションの最上階まで、クインとジンは案内された。そこでシーカー司令官、ウェストが待っているというのだ。
「ここだな……」
「いいな? 絶対粗相をやらかすなよ? 絶対だぞ?」
ジンに向かってクインが厳重に注意する。エルヴィン家での様子が彼女の脳裏に残っていたのだ。案内はシナノではなく、知らないシーカーの偉い人が行っていた。ここまでは車で来たが、運転手もそれなりの立場らしく身綺麗であった。ジンは早速ブライトエリアを思い出していた。
「ここもブライトエリアみてーな高級住宅街か?」
「まぁ、外壁から離れてるからな」
「それなんか関係あるのか?」
日光や治安以外で土地の値段が変わる要素をジンは知らなかった。しかし忘れてはいけない。ここは真空の宇宙であるということを。
「そりゃお前、移民船の外壁の外は宇宙だぞ? なんかあった時に安全なのは中心部なんだよ」
「そういうもんなのか……」
「ま、自然災害は無いし季節の影響も受けないってメリットはあるがな」
移民船と惑星、どっちも良し悪しといった様子であった。惑星には危険生物やシャドウもおり、危険が無いわけではない。自然災害も惑星暮らしには付き物だ。どっちに住むのがいいかは、完全に好みの問題だろう。
「ここの最上階にウェスト司令官は住んでらっしゃる。あの方はお前達に会いたいそうだ」
案内してくれた偉い人によると、ここは司令官の自宅らしい。わざわざそんなとこに呼びつけるとは、かなりクインとジンに興味を持っている様だ。しかも自宅ということは完全にオフの日。よほど二人の冒険はウェスト司令官の興味を惹いたと思われる。
二人はエレベーターに乗って、タワーマンションの最上階へと向かった。エレベーターの窓からは高速で遠ざかる地上を見下ろすことが出来たが、ジンにとってそれは宇宙へいきなり飛んでいくほどの衝撃は無かった。エレベーターは猛スピードで最上階に着くと、扉が開く。そこには一つの扉しかなく、エレベーターがそのまま玄関口になっている様な錯覚さえ覚える。
「ここが……あのシーカーの大英雄、ウェスト司令官の……」
クインは目に見えて緊張していた。シーカーの中でも英雄中の英雄、それがウェストらしい。ジンは大きな家であるといったぼんやりとした感想を浮かべていた。
「そんなに凄いのか? その司令官ってのは?」
「凄いよ! ノアがリュウオウ太陽系に辿り着いた時、シーカー制度が生まれた初期も初期に、最前線に立ってアークウイングの支配からいろいろな惑星を救った英雄だよ?」
「でもネクノミコは解放されてねーじゃん」
「それは……まぁあの星は先住民いなかったし。譲ったんでしょ」
熱く語るクインだが、ジンにはどうにも胡散臭く見えた。それは彼がその英雄的行いの及ばないネクノミコに住んでいたからなのだろうか、それともまた別の理由だろうか。
「さて、心の準備はいい?」
「英雄って言うからには腕が六本あって口から炎吐くんだろうなきっと」
「お前の英雄観どうなってんの?」
クインが扉のチャイムを鳴らす。しばらくして中から出て来たのは、老齢で白髪の男性だった。体つきはがっしりしており、ジンは元よりクインよりも背が高い。自室にいるのにも関わらずクイン達と会うためだろうか、シーカーの正装と思わしき深い緑の軍服をバッチリ着込んでいる。
「やぁ、君達が奇跡の生還を果たしたあのシーカーかね?」
威厳のある趣とは正反対に、態度はフランクなものだった。これが英雄。ジンは品定めをする様な目で彼を見つめる。他人を信じられない世界で生きて来た彼は、まず人を信じる為に疑うところから入る癖がある。
「奇跡だなんてそんな……クイン・カプリチオです。こっちはサポートをしてくれた現地人のジンです」
「そうか、よろしく。私はイーサン・ウェスト。ご存知の通り、シーカーの司令官だ」
ウェストはクインやジンとがっちり握手をする。手の皮は厚くなっており、それだけ多くの戦いを生き抜いた証明とも見て取れた。
「こんなところで立ち話もなんだ。奥に入りたまえ。お茶を用意したぞ」
「この展開前にもあったな。大丈夫? 俺たち消されない?」
好意でお茶を用意してくれたジンに、経緯からすれば仕方ないとはいえすごく失礼なことを言うジン。すっかりフラニーの一件がトラウマになっている様だ。しかし、そんなジンにもウェストは笑って答える。
「ハハハ。以前そんなことがあったのか。安心したまえ、私は君達を消す為に呼んだのではないよ。尤も、こちらから出向きたかったが副司令の奴が一番偉い人間が気軽に動くなというもんでこういう形になった」
「ど、どうもすみませんうちのバカが……」
クインは早速の粗相に頭を下げる。本来なら会いにくるつもりだったというのだから、この人物の器は相当に広い。中に通されると、エルヴィン家に匹敵するほど豪華な調度品が……ということは無かった。家自体は豪勢なものの、置かれた調度品はトロフィーや勲章が多く、家具も最低限といった趣だ。むしろ、トレーニング器具の方が目立つというものだ。
「すまんな、急な話なものであまり片付いていない」
「いえ、おかまいなく」
片付いてないことを詫びるウェストだったか、クインからすれば家に招待されただけでも恐れ多いことなのだ。細かいことは気にしない。そもそも気にしている余裕がない。メイドなどを雇っていないのか、彼は自分でお茶を入れてお茶請けも準備する。
どこか、エルヴィン家で見た様なお茶とクッキーだったが皿やカップがシンプルで使い心地優先という彼の思想が垣間見える。
「ここ一人で住んでんのん?」
「のん?」
ジンは思わずそんな感想が出てしまう。クインはあんまりな失言に言葉を失うが、ウェストは特に気にすることはなかった。
「そうだな。上層部が、司令官があんまり貧相な家に住むなとギアズ、ネイチャール、オーシアにも家がある」
「ってことはネクノミコ以外に家があるじゃないですか!」
「あ、リュウオウ太陽系の惑星でネクノミコ、ギアズ、ネイチャール、オーシアってことか」
クインがまさかの事実に驚く中、ジンは初めてリュウオウ太陽系の惑星を全て知ることになった。シーカーの大英雄ともなると、家を各惑星に持つほどになるというのか。ジンはしばらく考えた。
「シーカーの英雄になるとゴージャスな暮らしが出来る……?」
「ろくなこと考えてねーだろお前」
ジンの考えがクインにはわかった。エルヴィンはただ、それを肯定しかしなかった。
「まぁ、そうだな。それが私の望むか望まぬかに関わらずだが。私はシーカーとして最前線に立ちたいが、偉くなってしまうとそうもいかなくてな」
ジンからすれば羨ましい状況なのだろうが、少なくともウェストはそう思っていなかった。
「なぜ、司令官はシーカーになったのですか?」
クインはジンを置いておき、真っ当な質問をする。今の立場に満足していないということは、少なくとも名誉栄達の為にシーカーや英雄になったわけではなさそうだ。彼女がシーカーになった理由もジンは少し気になっていたが、それ以上に目の前の英雄が何を思っているのかも気になった。
「私は冒険が好きでね、我々の母星の何倍も広大な世界を冒険出来るというのは素晴らしいことだとは思わんかね?」
ウェストがシーカーとなった理由は冒険だった。確かに、惑星が四つもあるこのリュウオウ太陽系を隅々まで見たいという欲望は抱く者も少なからずいるだろう。ノアがやってきた太陽系には地球しか人の住める惑星が無かったのだというのだから、尚更だ。
「たまたま私の冒険の邪魔をしたアークウイングの奴らを倒して回っていたら、英雄と呼ばれる様になっていた。この立場は好かんが、若い者に冒険を楽しんでもらえるのならそれでもいいと思っている」
「私も冒険を夢見てシーカーになりました。そのご厚意を無駄にしないよう、これからも精進していきます!」
クインもウェストと同じ理由でシーカーになっていたので、静かだが熱く返答をする。そんな感動的なやり取りが繰り広げられる中、ジンはお茶請けのクッキーに夢中であった。流石に前回、クインに注意されたからなのかボロボロ零す様なことは無かった。
「これうめぇー。エルヴィンとこで食ったのに負けないくらいだ」
「ノスの奴がおもてなしの品くらい常備しろと煩いから用意したものだが、お気に召したようで結構だ」
ノスというのはシーカーの副官のことである。クインはウェストとノスの二人はタイプが違うと前から思っており、却ってバランスが取れてるのではないかと考えていた。ジンはクッキーを食べ終わると、家を見渡してぼんやり呟く。
「シーカーの司令官、大英雄ともなるとブライトエリアに負けない暮らしが出来るのかぁ」
「お前、何考えている?」
クインは嫌な予感がしていた。そしてそれは的中する。
「俺、シーカーになる! シーカーになって英雄になる!」
突然、ジンはそんな宣言をする。どうせろくなとこは考えていないと思っていたが、クインもこれには頭を抱えるしかなかった。
「お前……英雄なんてなろうと思ってなれるもんじゃないぞ? 第一お前じゃシーカーになれるかどうかも……」
「ははは、夢は大きい方がいい、なってみたまえ。たまたまなりたいものになれる者もいるだろうが、大半はなろうと思わなければなれないものばかりだ。英雄もそうだ」
そんな中でもウェストは笑い、ジンの夢を認めた。ここが彼の英雄たる側面なのだろうか。
「司令官……こいつはゴージャスな暮らしに憧れているだけです」
「いいじゃないか。彼はネクノミコの明日も知れぬ世界で生きていたと聞く。そんな中、僅かでも夢を持てるというのは彼が真に強い人間であるという証拠だ」
「ええ? これがですか?」
クインはウェストの言を疑う。彼女にはジンがとてもそこまで誉めそやすほど強い人間の様には見えなかった。彼女からすればたまたま知り合ったコソ泥である。このまま放っておいてもろくなことにならないから真面目に働かせるために連れてきたまでである。少なくともリスク論はしっかりしているのか、幸い働くことに抵抗がある人物でないことがわかっているというのも大きい。働くのが嫌で盗みを繰り返す様な人間ならクインも目を掛けないが、ウェストが言うほどの男とも思えない。
「そうとも。今を生きるのに必死な人間は夢を持てないことが多い。それなのに、彼は立派に夢を持っている。今度、シーカー試験がある。ぜひ受けてみたまえ」
「はい!」
「おいおいやる気かよ……」
すっかり乗せられたジンに、クインは戸惑う。ウェストの言葉がとても社交辞令に見えないのも原因だ。彼は真剣にジンをそう評価している。だからこそなお質が悪い。ウェストも社交辞令は言わないタイプだろう。
「シーカーの英雄になってみせますとも!」
ジンが人に褒められ慣れていないというのも原因に思えた。だがこれは今後彼と付き合っていくクインにとって得のある発見だった。褒めれば乗って、その気になってくれる。これほど扱いやすい人間がいるものだろうか。
「さて、君のネクノミコでの日常はきっと冒険に満ち溢れていたであろう。聞かせてくれないか? 君のことを」
最低限の報告は受けたのか、ウェストはジンの来歴に興味を示していた。クインもこの男が今までどう生きていたのか、興味がないわけでもなかった。
「おう! あれは俺が警察に捕まった時のこと……」
ジンはウェストに、自分の経験を話し始めた。ここに、かつての英雄と未来の英雄が邂逅することとなった。
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