第8話 元主人と現主人

 この診療所の部屋の鍵は、カードキーが使われている。

 3つ隣の部屋を診察室として使っているのだが、そこから戻ってきてダグラスは懐からカードを取り出した。

 ピーっというカードが認証される音。

 でも、念のためにということで内側からも施錠がされているので、カードキーだけでは役に立たない。

 ドアチャイムを鳴らすと、ぱたぱたという走り寄ってくる軽い足音がした。

 がちゃん、と、ドアが開く。


「お帰り、ダグラス」


 ライラの笑顔。

 何より、安堵する瞬間。


「ただいま」


「あのさ、実は客が来てるんだけど」


 ライラがダグラスの白衣を受け取りながら、その顔色をうかがうように覗きこむ。


「客?」


 リビングとして使っている部屋に来て、その当人と向かい合う。


「……あんた、やっぱり」


「よお」


 ハリスンが軽く手をあげて、にやりと笑う。


「久しぶりじゃねぇか、テイラー?」


「久しぶり、ですな」


 険悪な雰囲気。

 それを打ち崩すようにきょとんとした顔で二人を見ていたライラがのほほんと笑う。


「何だ、知りあいだったんだ」


「知り合いたくもなかったんですがね」


「ひっでぇ、言い草だな」


 ハリスンがそう言って顔をしかめると、対照的にライラは朗らかに笑った。


「どういう知り合いなの?」


「『カレッジ』って知ってます?」


「あの、勉強するとこだよね。『学校』ってとこ」


「そこの先輩後輩だったんだよ」


「ハリーが、先輩? 信じらんない」


 そう言ってライラはまた笑う。ハリーと愛称で呼んだことにダグラスは少しだけ眉間に皺を寄せた。

 ハリスンはそれとは別の理由で顔をしかめる。


「お前、自分とこの人形くらいちゃんと躾とけよ。客笑い飛ばすのは失礼だって」


「俺もあんたが先輩、とか言われると笑っちゃいますな」


「失礼な奴らだよ、ったく」


 憮然としたハリスンに一言ごめんね、というとライラは夕食をテーブルに並べる準備を始めた。彼女にとってハリスンはその程度の謝罪を述べるだけで十分だと思っているからだ。

 同じテーブルについたハリスンとダグラスは少し複雑な気分で、そこに、座っていた。






 食事が終わった後。

 帰るというハリスンを見送るために、ダグラスは付き添いで外に出ていった。

 ライラはそんな彼らを窓から見つめる。


(テイラーはお前に隠し事してるぞ)


 部屋を出ていく際にハリスンが残していった言葉。


(知ってるよ。それくらい)


(……いいのかよ。お前、それで)


(ダグが言いたくないことなら、聞かない)


 今はそれでいい、と、本当にそう思っているから。

 こつんと薄汚れた窓ガラスに額を押し付ける。


「そりゃ、知りたいけどさ」


 ぼそっと独り言。


「……でも、無理に聞いてどっか行かれちゃうのは嫌なんだもん」


 今は、まだ、側に居たいから。

 その感情の名を、ライラは、知らない。






「まさかてめぇがここまで来るなんて思ってなかったぜ」


「あんたこそ、第5都市の創造主マイスターマスターが第5都市そっちのけで第7都市通いってのは噂

じゃなく真実だったんですな」


 二人向かい合って喋る。

 治安がいい方ではない下層エデンだが彼らの近寄りがたい雰囲気を悟ってか人々は彼らを避けていく。

 視線もうわさ話をする声も二人の耳には入らない。


「今回もな、無理に呼び戻されてたんだぜ。ったく、めんどくせぇったらねえよ」


「あんたが望んでついた職業でしょうが」


「まあな」


 煙草を取り出してハリスンが咥えると、ダグラスは露骨に嫌そうな顔をした。


「そんな嫌そうな顔すんなよ」


「嫌いなんですよ。ただ、純粋に」


「ふぅん」


 そのまま、火はつけずに咥えたままでハリスンは本題を話し始めた。


「お前、第2都市に戻れよ。ライラ連れて」


「なんでですか」


「13都市一と謳われたその腕が泣くぜ? 医師ドクターテイラー?」


 その一言を、ダグラスは鼻で笑い飛ばす。


「はっ。そんなのは昔の話ですよ。俺には誰一人救えない」


「そうかね」


「……あんた、あの人の行方、知ってるんでしょう」


 まっすぐな視線をかわす様にして、ハリスンは空を仰ぐ。


「こっからじゃ星は見えねぇな。さすがに」


「はぐらかすなよ」


 ダグラスが詰め寄る。


「知らねぇなあ」


「嘘をつくな」


「……随分、強気じゃねぇか」


「俺は真実が知りたくてここまで来たんだ」


 血がにじむような、苦しみをこめた声。


「あの人に、もう一度、会うために」


「陳腐な願いだな」


「陳腐でもいい。それでもいいから」


 願いは、ひとつ。

 あの人に、もう一度会うこと。

 ハリスンが真っ直ぐなダグラスの視線を真っ向から受け止める。


「……悪ぃな。今は、言えねぇ」


「クーガンさん」


「言えるようになったら、すぐにでも教えてやる。でも、今は言えねぇんだ」


 苦々しさをこめて、吐き出す、言葉。


「本当だな?」


「嘘ついて俺は得しそうにねぇよ」


 ハリスンは苦笑いした。


「……信用する」


「そうしてくれ」


 そのまま、ダグラスに背を向けるようにしてハリスンはその場から離れていく。

 ダグラスはただ無言で、その背中を見送った。

 複雑な思いの、すべてをこめて。

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