第3話 創造主と歌い手

 13都市のひとつ、ジャバウォック。

 醜悪な姿の獣の名を冠した都市。下層エデンの治安の悪さから、その名は付いたのだと老人が語る。

 その上層ヘヴンの更に最上層に位置する、高層ビルの最上階に、彼はいた。

 窓の外から、下界を見下ろす。

 灰色の髪と翡翠色の瞳はどこか無機物のような印象を受ける。メガネの奥のその眼差しはとても冷たい。身長も高く顔の造形も整っているため、本当に作り物のようだった。

教授プロフェッサー

 声に反応して彼が振り向く。

「何?」

 立っていたのは女性型の人形。秘書として使っている。高性能なオーダーメイドの人形はまるで人間にしか見えない。

「個体識別番号RT171627の主人マスター登録が確認されました」

「そう」

 それだけ言って、また視線を窓の外に戻す。

 少しだけ、唇の端がゆがめられる。

「とうとう、か」

「どうなさいますか? 教授」

「しばらく放っておいていい」 

「かしこまりました。それから」

「何?」

「オーガスタ・フローラ・エマーソンがラウンジでお待ちです」

「すぐ行くと伝えてもらえるかな」

「お伝え致します」

 そのまま、深く礼をして『秘書』はその場から立ち去る。

 彼はそっと窓のガラスを指でなぞる。

「時は、満ちた?」

 答える者はいない。ここは彼の、第7都市ジャバウォックに存在する人形ドールたちの創造主マイスターマスターディートリヒ・フォクツのプライベートルームなのだから。





 最上階はすべて、彼のためのもの。

 きつすぎる紫外線が抑えられた陽光の降り注ぐラウンジで、フローラは彼を待っていた。

「お待たせしました」

 椅子に大人しく座っていたのだが、フローラがかたんと音を立てて椅子から立ちあがる。

「フォクツ!」

「どうかしましたか? 急に立ち上がると危ないですよ」

 立ちあがったフローラとは対照的に、酷く冷静に応対をしながら、ディートリヒは椅子を引いてそこに腰掛ける。

「私はいつまでここに居ればいいの?!」

「説明はしましたよね?」

 あくまで穏やかに言われて、フローラはぐっと言葉に詰まる。ディートリヒの声はバリトンで、低く響くその声はほんの僅かな威圧の響きを持っていて彼女をまたすとんと椅子につかせた。

 オーガスタ・フローラ・エマーソン。

 稀代の歌い手と名高く、ここ数年、表舞台から退いていた、『市民』であったのだが、如何なる事情か『非市民』となり、再度『市民』権を獲得するまでに至った、奇跡のような人物。

 フローラとディートリヒは『市民』が生活する上層(ヘヴン)にある『カレッジ(大学のようなもの)』の先輩後輩の間柄だった。とは言っても、フローラは『非市民』になってしまった都合もあって自主退学してしまったのだが。

「あなたは今までずっと寝たきりだったんです」

 諭すように噛んで含めるようにゆっくりとディートリヒが語る。

「急に外に出たりしたら体に悪いでしょう」

「……でも」

「でも、なんですか」

「会いたい人がいるの、どうしても」

 その言葉にディートリヒの目が細められる。

 笑みでは、ない。

「それなら、会えますよ。近いうちにね」

「あなたに誰なのか分かるの?」

「分かりますよ。エマーソンさんの考えることは単純ですから」

 くす、と笑われて、フローラは頬を膨らませる。

「何よ。誰だっていうのよ」

「言って当たらないと嫌なので、言いません」

「何よ、それ」

「それより、リハビリちゃんと受けてますか?」

「ああ。すっごいわねぇ、ここ」

 ふいに何かを思い出したかのように、周囲をぐるりと見まわす。

 外ではもう見られない、本物の木々。降り注ぐ陽光。不快でない空気。

「あなた、本当に創造主マイスターマスターなのね」

 感心したように言われて、ディートリヒは言葉もなくただ微笑んだ。

「待遇は悪くありませんか? 大丈夫ですか?」

「すっごくよくしてもらって、いいのかな?ってくらい」

「それはよかった」

 そう言って、深く背もたれにもたれかかる。

「不自由があったら、何でも言って下さい。あなたは俺の大事な客人なんですから」

「あぁ、うん」

 歯切れの悪い返事をフローラが返す。結局また、ここから出ることについて濁されて誤魔化されてしまった。

 ディートリヒはそれを知っていて微笑んでいた。

 かすかに、歪んだ、笑みで。





 部屋に戻り、扉を背もたれにして、ため息をつく。

 天井を見上げれば、天窓から空が見える。

「……が好きだった風景だ」

 小さく口にして、ディートリヒは少し笑った。

 今、この場に、思う相手はいないから。

 自分の手で、自分の腕を掴む。

 まるで自らを抱きしめるように。

「もうすぐ、だよ」

 小さな囁き。

「もうすぐ、会える」

 誰に言い聞かせるわけでもない、言葉。

「奇跡なんてないんだ」

 取り出した小さなペンダントヘッドはぱちんと開くようになっている。

 その中の写真を見つめる。

「それが現実なんだよ」

 目を閉じて、思う。

 祈りはこれだけ純粋なのに。

 届くことは、ない。

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