第2話 人形と主人

「……人形ドール、だと?」

「そう」

 あっさり肯定して、こくんとライラは首を縦に振る。

 精密な機械人形は、生身と変わらぬ外見をしていて、ちょっと見ただけではヒトと区別がつかない。

「そうだよ。あたしは人形ドールなの」

 にっこりと笑う。ダグラスは初めて対面したその不思議な生き物(?)への対処に困る。人が有り余っている時代に人間よりコストのかかる人形を使う人間は、ごく僅かだ。「市民」の中でも上流の者が愛玩用や護衛用として使うと聞いていたが、実際見たのは初めてだった。

「名前はライラ・T。箇体識別番号はRT171627。タイプは一応戦闘向き、なのかなぁ」

 すらすらっと口上を述べて、ライラはにこにこする。

「ここに住みついて一ヶ月ちょっとなんだ」

「……何、だって?」

「あたし、記憶がないんだ」

 少しだけ悲しそうに顔を歪めて見せる。

 その表情の多彩さにダグラスが怯む。これは、本当に、ヒトではないのか?

造り手マイスターのこと、覚えてないんだ。なんかぼろぼろになってここに辿り着いたらしいんだけど、それ以外、全然分からないし」

 創造主マイスターマスターはすべてを統括するが、その下には何人かの専門職である造り手マイスターと呼ばれる人々が居て、彼らが主に規格物の規格を作ったり、完全オーダーメイドの人形の作成をしていたりする。ライラのような完全オーダーメイド製と分かるような代物であれば、必ず造り手自らの手で何かしらの形で教育を施されているはずだった。

「だから、記憶を取り戻したくていろいろやってるとこなの」

「そう、か」

 人形に命を救われたとあって、ダグラスは少し複雑な心境ながらもうなずく。

「ねぇ、そんなにあたしの仕事に興味あるの?」

 くるくるとよく変わる表情でライラが問う。

「ああ」

「じゃあさ、あたしのパートナーになってよ。賞金稼ぎギルドがうっさいんだ。人形だけじゃ、信用出来ないって」

 恐れを知らぬ、まっすぐな眼差しに射抜かれる。

「しかしな」

「何」

「人形が人形を捕まえるなんて、話、我輩は聞いたことがないがね」

「『生きる』ためなら、何だってするよ? あたしは」

 くす、と笑う。

主人マスターが居なくちゃ、本来人形ドールは存在していてはいけないんだから。それでも、『生きる』ことが出来るのなら、どんなことだってするよ?」

 ああ、そうか、とライラがぽん、と手を打つ。

「ダグラスがあたしのご主人様マスターになってくれればいいんだ!」

「あ、いや、その」

「ダグラスがこの都市で生きてくつもりなら、お金は必要だし、でも、ダグラス戦闘向きに見えないし、ね?」

 かなり強引にぐいぐい話を進められてダグラスが焦る。

「そういう問題でもないだろ」

「この都市で少しの間でも生活するなら、保険はいるでしょ」

 そう言ってライラは己を指差す。

「低コスト、低リスクの保険、いらない?」

「いや、そういうことでなく」

「いいじゃん、別にそんなに深く考えることじゃないよ」

「考えるとこだろ、そこはっ」

「そうかなぁ」

 うにゃ、とライラが首を傾げた。

「ダグラスに損はさせない、けど?」

「……お前が」

「お前じゃなくって、ラ・イ・ラ」

「う……ライラが自ら危険に飛びこまなくてもいいだろ?」

「危険なことしたいの?」

 無邪気な問い。

 ダグラスが言葉に詰まる。

「だったら、余計、保険はかけとかなきゃ。大体ね、ダグラス」

 にっこりとライラが微笑む。

人形ドールはヒトの役に立つためにいるんだから、使ってもらわなきゃ意味が無いんだよ。ここに存在する必要が何もないんだよ、使ってもらえなかったら。今、ダグラスがあたしを使ってくれないのは、そういうこと」

「なんで、俺なんだ……」

「直感」

 にひゃ、と悪戯っ子みたいな笑顔に変わる。

「ダグラスだったら、大事にしてくれるかな、って。はじめて会ってあたしが渡した水を躊躇いなく飲んだ時にそう感じたの」

「はあ」

「ほら、はやく決めちゃいなって」

「だがなぁ」

「しょうがないなぁ、もう」

 ててて、と小走りに近寄って、ベッドの上に腰掛けた状態のダグラスの顔を上から見つめる。

 に、と笑った。

 何かをたくらんでる笑みで。

 服の胸のところを掴んで顔を近づける。

「んむっ?!」

 ライラはその唇でダグラスの唇を塞いだ。頭を抱え込むようにして、けして離さないように、けれど無理矢理でないその動作。

 そのまま、一瞬、時間が止まる。

 ダグラスが引き剥がそうとその腕に手をかけたが、びくともしなかった。

(戦闘向き、ってのもあながち嘘でもないか)

 小柄で一見華奢にも見えるが、相手は人形なのだ。ヒトとは造りが違うのかもしれない、と少し冷静に考えていた。

 息苦しさにわずかに唇を開くと、ライラの舌先が口の中に侵入してくる。柔らかく、温かな、その感触。ヒトでない、というのが嘘のような滑らかさ。

「……んっ」

 舌を絡めとられて、キスに溺れる。

 そういえば、ここ最近、こんなこともしたことがなかったと、ぼんやり考える。

 やがて、しばらくそうした後で、ライラはダグラスの唇を開放した。

 荒い息遣いが薄汚れた部屋の中に響く。

 よく見まわせば、昔は病院だったらしいような部屋の作り。

「……な……に、考え……て……」

 途切れ途切れに抗議の言葉を口にするのだが、受けているはずの当人は顎に手を当てて口の中に残った余韻を味わうように確かめている。

 それから目を瞑って、深呼吸をひとつした。

<<a search>>

 ライラの唇から零れ落ちる、聞き慣れない言葉。

<<comparison...DNA,all personal data>>

「何、してるんだ?」

 訝しげなダグラスの視線と言葉をまるで気にかけずに、目を閉じたままライラは不思議な言語を紡ぎ続ける。

<<...registered all data>>

 ふう、と一息ついて、ライラは目を開く。

「登録、完了」

「へ?」

「ってことで、よろしくね♪ ますたぁ☆」

「はいぃっ?!」

 あたふたとするダグラスを横目に、ライラはにーんまりと小悪魔の笑みを浮かべた。

「な、んで……今の、で?」

「んにゃ? そう。ますたぁの唾液からDNAをスキャンして登録させていただきました」

 丁寧語を使ってるのに、どこかからかわれているような響きが混じるのは気のせいだろうか?

「そんなことが可能なのかっ?!」

 愕然としているダグラスとは対照的に、ライラはあくまで楽しそうに笑っている。

「他は知らないけど、あたしは出来るよ。実際、今したし」

「無茶苦茶だ」

 頭を抱え込むダグラスにとどめの一言。

人形ドールご主人様マスターを選ぶ権利があってもいいじゃん♪」

 ねっ?とにっこりされてしまって、ダグラスは言葉を失う。

「ってことで、よろしく、ますたぁ」

 手を差し伸べられて、頭痛がするのかダグラスはこめかみを押さえる。

「……マスターってのはやめてくれ」

「じゃあ、なんて呼べばいいの?」

「ダグでいい」

「じゃ、改めて。よろしく♪ ダグ」

 しっかりと握手をかわしながら、ダグラスは少しだけ肩を落とす。

「ハメられた気がする」

「そんなことないよ、人聞き悪いなぁ」

 ライラは心外だ、と少しだけ怒った表情。

「ダグに損はさせない、って言ってるでしょ?」

 くるくるとよく変わる表情と、瞳の色彩の微妙な変化に、ダグラスは「ライラって、猫みたいだな」とかちょっとだけ思っていたのだった。

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