十二、豊かな暮らし

 俺たちは、周囲に誰もいないことを確認し、身をかがめてそっとその建物に忍び寄った。


「……それで、今日は早上がりなんだ。家の方が片付くまで、ゆっくりしていいって」


 男の話し声が聞こえてきた。

 

「奥さんを手伝って、家の修理や掃除なんかをするようにってさ」

 

 英語だ!

 英語なら俺もザブロンも理解できる。

 二人は目配せしあった。

 

 男女は台所と思しき部屋で立ち話をしていた。

 俺たちは家の反対側に回り込み、奥の部屋の窓から中をそっと覗き込んだ。

 その窓は少し開けてあったので、会話はよく聞こえてくる。


「まあ、ルカさんの采配かしら?」


「ああ、でもドミニク様のやり方でもあるらしいよ。とりあえず俺たちのような新参者にも、しっかり気配りは欠かさない領主様だって、ルカさんが手放しで褒めてた」 

 

 


「あなた、まずは食事にしましょう。冷めちゃうから……とにかく、いきなり右も左もわからない羽目に陥った私たちには、本当にありがたいわね」


 女は煮物らしきものを皿によそった。


「じゃがいもや人参を、お屋敷の方から今日も届けてくださったの。卵も茹でたし、パンもたくさんあるから、たっぷり食べてね」


 二人は食卓に向かい合い、食べ始めた。


 その料理の匂いに、俺は少しクラクラした。

 野菜の煮物なら自分たちもいつも食べているが、彼らの食べているものには、多分肉が入っているに違いない。肉の旨味が溶け込んでいる匂い。

 本当に美味しそうだ。


 ザブロンも、食事風景を食い入るように見つめている。

 このまま見ていると、空腹でもないのに倒れそうだ。


 俺はザブロンに低い声で言った。


「おい、あの二人が食べているうちに、納屋なんかも見てみようぜ」


 ザブロンはハッと我に返ったような顔をした。


「あ、ああ、行こう」


 俺たちは、彼らからは見えないよう苦心して、先ほどのリンゴの木の近くにある小屋に忍び寄った。

 鶏がいたのはさらにその裏側で、小屋の日向側に沿って鶏小屋の柵が巡らされていた。

 全部で五羽もいて、うち四羽までがメンドリだった。


 もちろん、鶏泥棒なんて真似はしないけれど……

 いつか村の方でも鶏を飼えれば。

 俺は頭の中でいろいろ想像をふくらませた。


 納屋の中を覗くと、思った通りいろいろな農具、桶やバケツなどがたくさんあった。

 本当に俺たちの村にはないものばかりだ。欲しい……。


 今後交流が始まった時のため、もちろん勝手に持って行ったりはできない。

 そんなことをすれば、わざわざ諍いの種を蒔くようなものだ。

 それに今回の目的は、単なる情報集めなのだ。


 ザブロンはと言うと、これら全てをなんとも言えない目で眺めていた。

 その目の色は、なんだか俺を不安にさせた。

 まさか、何か頂戴していこうとでもいうんじゃないだろうな。

 

 急に不安になって、俺はザブロンに声をかけた。


「おい、今回はこれで十分だよ。そろそろ帰ろうか」

 

 もちろん、俺ももっといろいろ探っておきたい。

 奥に見える館だの、教会らしきところだの、果たして店などはあるのか、人口はどのくらいなのか、など……。


 だが、長老もみんなも、危険な真似はしないで、早く帰ってくるようにと俺たちに念を押したのだ。


 とりあえずは、住んでいる人がいること、

 夫婦ものらしい彼らの話によれば、ここには領主だかがいて、この大きな村をまとめていること、

 そして彼らは満足していること。

 いろいろな生活用品があり、リンゴの木があり、鶏まで飼われていること。

 この情報だけでも大きな収穫だろう。 


「……ああ、今から帰れば、日があるうちに山を越えられるな」


 ザブロンが気の抜けたように答えた。

 

 そうなのだ。

 俺も、ザブロンの考えていることが、心の中ではわかっていた。

 俺たちの村の不自由な暮らしを考えると、本当にここは豊かなようだ。

 

 魅力がありすぎて——。

 

 そう、ここに住みたいなどと思ってしまう前に、早く二人とも戻ったほうがいい。

 今すぐに。

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