十一、本当にいた

 ちょうど太陽が高く昇った正午ごろ、俺たちは例の村の近くまでやってきていた。

 山から続く森が途切れた辺りで、俺たちは休憩も兼ねて食事をすることにした。

 今のところ村から続いてくる道は誰も通らないが、用心のためによく茂った低木の陰に腰を下ろした。


「おお、ユキさん、いろいろ入れてくれたなあ。見ろよ、ザブロン」


 携帯食の包みを開けると、何枚もの堅パンだけでなく、炒った木の実に干しイチジク、ユキさん特製の干し魚まで入っていた。

 どう少なく見積もっても、五日分はありそうだ。


 しかも、日本人のイッチが大切にしている水筒まで。

 これは彼の母親が、たまたま外出する彼を案じて持たせてくれていたものだそうだ。無くさないように、大事に持って帰らなければ。


「なあ、チェスワフ」


 堅パンをじっくり噛みながら、ザブロンが言う。


「みんな何も言わないけどさ……お前、帰りたいとか思わないのか? もと居た所にさ」


 普段、こう言った会話はお互いに――特に陽気なザブロンはほとんどしないので、返答に困った俺は彼の顔をしげしげ見つめてしまった。ザブロンは、俺の視線を避けるように、生い繁った木の葉の隙間から小道を眺めている。


「まあ……帰れるかどうかの前に、生きていかなきゃならないからな。そもそも何でこういうことになっているのかもわからないし……お前はどうなんだ、ザブロン」


 ザブロンは白い歯を見せて笑った。


「ま、答えは同じだよな、お前と」


 そうは答えたものの、その声色に何か不安な響きが潜んでいるのを感じた。


 ——こいつ、実は、結構参っているのかもしれない。


 ザブロンの横顔を見ながら、俺は考えた。

 

——帰ったら長老に相談してみよう。何か、助けてやれればいいが……

 

 安定してきたとはいえ、まだまだサバイバル色の残るこんな生活じゃ、ちょっとの気鬱ですら大事になりかねない。


 たっぷりした食事のあと、柔らかい木陰の下生えで少し仮眠を取ってから、俺たちは出発した。

 ここからは木々も途切れがちになってくるので、身を隠すのも一苦労だ。


 森が開けた場所で、俺たちは人影を見つけた。


「おい、チェスワフ! 本当に人だ、誰かいる!」


「とりあえずあの石の影に隠れよう!」


 上手い具合に、近くに隠れるにはもってこいの大きな岩があったので、森を抜けてそこまで走った。

 幾つかの大石が重なり合っている窪みに落ち着いてホッと胸をなでおろす。


 大丈夫、誰にも見つかっていない。


 俺たちはそっと村の様子を窺った。

 

 薄汚れて灰色がかってはいるものの、白い漆喰で塗った木造の建物が幾つも並んでいる。

 ここは村の外れのようで、他にもたくさんの建物があり、遠くには館のような大きな建物や教会の尖塔らしきものも見える。


 先ほど見えた人影は、村はずれの家に住むらしい若い女性で、庭の木に渡した紐から洗濯物を取り込んでいる。

 そして、小さな納屋のようなところからは、鶏の鳴き声が聞こえてきた。

 俺たちは目を見合わせた。


「聞こえたか、ザブロン? 鶏がいるみたいだ!」


 ザブロンは目を見開いて頷いた。

 鶏がいれば卵も手に入り、魚以外のタンパク源になる。


「それにあの洗濯物のロープ。桶だって幾つもある。うちの村じゃ貴重品なのに」


 ついつい、声が興奮してしまう。うちの村ではもともとが一軒家のところへ大勢住んでいるので、細々した日用品すら足りていないのだ。


「しかもあれ、あの洗濯物の紐を結んでる木、あれはリンゴじゃないか? 実はまだ小さいけど」


 俺たちのところには、イチジクの木と野生化したサクランボ、プラムが少しばかりあるが、リンゴなどない。

 その後も二人で観察を続けているうち、村の方から若い男が歩いてきた。


「しっ、静かに」

 

 俺たちが息をひそめて見守っていると、その男は先ほどの女性に声をかけ、二人で楽しそうに話しながら家に入っていった。


 俺はザブロンに言った。


「ちょっと近づいて、会話を聞いてみないか? あくまで隠れて、盗み聞きだけどな」


 ザブロンは、緊張した面持ちで頷いた。

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