七、ドミニクの企み
最近、なんだか健康的に痩せてきた気がする。
裾が長く、貴族的な装飾の黒いドレスは、腰に張りを入れてふくらませた古めかしいものではあるが、なかなか似合っている。
この屋敷のクローゼットに入っている衣類のうちの一着なのだが、サイズもぴったりだ。
以前は——この世界に来る前は、日々のストレスのため大食いをし、かなり太っていた。
雑用程度の仕事で毎日オフィスに行くものの、運動不足で、いつも不機嫌な金持ちのボスにこき使われ、未来の展望もなく、生きていく甲斐も感じられない毎日だった。
ドミニクは、自室の鏡の前でほくそ笑む。
ここに来てからはすぐに気を切り替えて、毎日をゲームのように過ごしてきた。
新しい、しがらみのない場所。
夢を見ているのと同じようなものだ。
それなら楽しんだ者、頭を使ってのし上がったもの勝ちなのだ。そして、今のところかなりこのゲームはうまくいっている。
この充実感。嗤わずにはいられない。
この世界に来る直前、休暇中に一人で訪れていたアルプスの観光地で、ドミニクは雪崩にあった。
そして……。
気がついてみると、彼女は古びたベッドの上に寝かされていた。
そこは昔風の農家の寝室で、粗末な羊毛の服を着た年老いた男が、ベッドの脇に腰掛けて彼女を見ていた。
「おお、気がついたか」
ドミニクは面食らった。
誰だ、この老人は?
「お主たちが突然、庭に倒れているのを見つけた時は、もう死んでいるかと思ったが……お前さん、名前は? どこから来たんだい?」
老人の問いにドミニクは仕方なく名乗ったが、警戒心が先に立ち、それ以外のことは口にしなかった。
「……ここはどこですか? あなたは誰?」
マルコと名乗ったその老人は、ポツリ、ポツリと話をしてくれた。
ここはアルプス山麓の村で、昔から家畜の世話や大きな畑を耕して生きてきたが、以前にあった疫病、それに住民が高齢化で、ここ数年で村の住民が減ったこと。
もはや村には彼とその妻しか残っていないこと。
そして三日前、家畜たちが騒ぐので庭に出たところ、ドミニクと他二人が気を失って庭にいたこと。
一人は怪我がひどく、手当ての甲斐なく死んでしまい、もう一人の男はまだ意識を回復していないという。
「あら、話し声がすると思ったら……良かった!」
ジュリアと名乗る老人の妻は、人の良さそうな笑顔を見せた。
「お腹が空いたでしょう? ちょうど昼ごはんができてるわ。持ってくるわね」
「おお、手伝うぞ」
「あら、珍しいこともあるものね」
二人は微笑みを交わしながらドミニクを残し、部屋を出て行った。話し合いたいことがあるのだろう。
ドミニクは部屋を見回した。奥の壁には本棚があり、何冊かの本が並んでいる。聖書と辞書、あとはシリーズものの古典集らしい。
ベッドの頭側の壁には古びた風景画があった。あまり上手とも言えないその絵には、 “ 6 - ago - 2018 ” 、数年前の日付が記してある。
「ああ、その絵な。私の娘が描いてくれたんじゃよ。まだ十歳だったが、それにしてはうまいじゃろ。あの時の疫病で亡くなってしまったがの……まだ二十歳にもならんかった」
スープ皿を乗せた盆を持って入ってきたマルコ老人が涙ぐんで言った。
年数について頭にぼんやり疑問符が浮かんだが、目が覚めた後の余韻が続いていて、深く考えられなかった。
続けて入ってきたジュリアも言った。
「ああ、またあの子の話ですか。あれは辛かったですわね……他にもほとんどの人たちが亡くなってしまって。世界中で大流行したらしいですからね。私たちはかろうじて助かったけれど、一体この世の中に、どれだけの人数が生き残っているのか……。あなたたちはどこから来たの? この辺りで若い人を見るのは、本当に久しぶり。あの疫病以来、五十年ぶりくらいじゃないかしら」
ドミニクはようやく思考が働き始め、面食らって呟いた。
「五十年前……」
明らかにおかしい。二〇一八年の十年くらい後に娘さんが亡くなって、今はそれから五十年後? この人たち、頭は大丈夫?
……それとも、まさか、私の方がおかしいのだろうか。……今は二〇二〇年ではなかったか?
ドミニクは窓の外を見た。
すぐ近くに、手入れのされていない豪奢な作りの邸宅があり、その裏手にある塀のこちら側は大きな菜園となっている。
マルコ老人が手を入れているのだろう、作物の実りは良かった。
私たちが発見されたのは三日前というが、窓の外の景色からすると、どう見ても今は夏だ。私は真冬の観光地のスキー場で雪崩にあった筈なのだが……。
「今年はトマトの実りが良いじゃろ。もう、収穫が追いつかなくての……ほら、お食べ。卵入りの野菜スープじゃ」
差し出された陶器のスープ皿からは、なんとも食欲を誘う香りが立ちのぼっている。ドミニクは急に空腹を覚え、すぐに受け取って食べ始めた。
美味しい。温かいスープが、身体中に染み渡るようだ。
「消化もいいから、たくさんお食べ。うちの庭の……いや、正確には領主様の庭だが、とにかく丹精込めて作った野菜じゃ」
食べながら、ドミニクはまた窓の外の屋敷を見た。……領主様、か。
「あのお屋敷な、あれはこの一帯の領主様の家じゃった。わしは雇われ農夫でな。ジュリアは掃除婦として働いてたんじゃよ」
マルコ老人は懐かしそうに昔話を始めた。
ドミニクはその話を食べながら聞き、一方で目まぐるしく思考を働かせた。
この状況は明らかに普通じゃない。
——普通じゃないなら、ここはどこ、いつなんだろう?
これから、どうなるんだろう。どうすればいいのだろう?
こんなこと、まるで小説やゲームの中みたいではないか。夢でも見てるのだろうか。
「それで、領主様のご一家も、あの疫病で亡くなられてしまわれたのじゃ。とはいえ立派な家だし、いつかご親戚のどなたかがいらっしゃるかもしれないと、できるだけわしらで時々掃除程度のことはしているのだがな」
「今のところ、誰一人としておいでになりませんけれどね」
昔話を続ける老夫婦が眺めるその隣の建物は、外壁がクリーム色で屋根は赤茶色、重厚で気品があり、尊敬に値する重要人物の住居、という佇まいだった。
ドミニクは今いる古い農家との対比を感じずにはいられなかった。
そうだ。
もし、あそこに私が住むとしたらどうだろう?
そう、……自分の屋敷として?
ドミニクは、気の良さそうに微笑む二人の老人の顔をじっと見つめた……。
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