第20話 ラブレター

 喫茶店を出て桐谷の家へ向かう途中、運よく買い物帰りらしい桐谷にばったり遇った。桐谷の方が先に気付いて、島崎に声を掛けてきたのだ。


「こんにちは。どうなさったんです? まだ何も届いていませんよ」

「いくつかお聞きしたいことがありまして。お買い物帰りですか」


 大きなトートバッグの中にはトマトやピーマンが頭を覗かせている。

 彼は自分で料理をするのだろうか。どう考えても、彼の背後に女性の影は見えないのだが。


「ええ、牛乳があるので時間がかかるようでしたら一旦置いて来ますが」

「いえ、今日はお時間取らせません」


 とは言え真夏の炎天下である、さすがに二人はすぐそばにある公園の日陰に避難した。

 ベンチに腰を下ろすと、どこからか子供たちの歓声が聞こえてくる。近くに小学校でもあるのだろうか。いや、今は夏休みの筈だ。

 そんな島崎の心の声を聴き取ったのか、桐谷が穏やかな笑顔を向けて来た。


「この公園は結構広くてね。野球場がいくつかあるんですよ。すぐ隣に小学校もありましてね。今日はプール開放してるんじゃないのかなぁ。多分その声ですよ」

「ああ、なるほど」


 金属バットにボールが当たる音が聞こえた。こんな暑い日に野球とは! 子供たちの体力には恐れ入る。


「で、聞きたい事とはなんでしょうか」


 さて、ここからが島崎の腕の見せ所だ。わざとらしくならないように、尤もらしい事を言って情報を引き出さなくてはならない。こんな時、川畑ならそつなくこなすのだろうが、生憎島崎にはそういう能力が彼女ほど備わってはいない。


「今朝なんですが、宮脇さんのお宅へ伺ったんですよ。阿久津さんや西川さんのことを恵美さんから何か聞いていなかったかと思いまして。もう昔の事ですし、ご両親もご高齢なので、ダメ元ではあったんですが」


 少々無理があったかとは思ったが、桐谷は疑う様子も見せずに静かに頷いている。


「やはり何も出て来ませんでした。宮脇さんのご両親の記憶ははっきりされていたんですよ。忘れてしまったわけではなく、そもそも恵美さんは桐谷さんと中橋さんの話しかしなかったとおっしゃってまして」

「そうでしょうね。それくらいあちらの四人とは接点が無かったですからねぇ」


 またバットにボールが当たる音が響いた。


「あぁ、今のは打ち上げましたね」


 一瞬遅れて、彼が野球の話をしているのだと島崎は気づく。だが彼の目は、お母さんと一緒によちよちと歩く二歳くらいの子供を追っていた。


「僕もあれくらいの孫がいても不思議じゃない歳なんですがね。島崎さん、お子さんは?」

「私は独身です」

「ふふ、僕と同じだ」


 桐谷が自虐的に笑った。「君はこれから、僕はもうあとは老いるだけ」と言っているように島崎には見えた。


「宮脇さんとご婚約なさってたんですね」

「ええ。あれ……昨日言いませんでしたかね。言ったつもりになってました。年は取りたくないですね、もう耄碌もうろくして来たんだろうか」


 寂しげに笑う桐谷に、島崎はもう一言投げかけた。


「恵美さんから桐谷さんに宛てた手紙がカーペットの下から出てきたと、彼女のご両親から聞きました」

「ええ、先月いただきましたよ、命日にお線香を上げに行ったときに。カーペットの下から出てきたというのは初耳ですが」

「どんなことが書かれていたんでしょうか」

「単なるラブレターですよ。出しそびれていたんでしょう」


 単なるラブレターをカーペットの下に隠すだろうか。出しそびれているようなものならすぐに出せるところに置いているだろうし、最後まで誰にも見せる気が無いのならそんなところに隠さずにすぐに捨てるか、そもそも書かないだろう。

 島崎は覚悟を決めた。


「不躾なのは重々承知していますが、それを見せていただくわけには――」

「お断りします」


 きっぱりとした拒否だった。これまでの島崎の問いには、熟考ののちに答えることが多かった。だが今回は、質問すら最後まで言わせて貰えなかった。


「すみません。僕と彼女の個人的な話なので。阿久津君や西川君とは関係のない、プライベートな手紙です」


 これ以上は聞かせないという空気が漂っていた。野球の音やセミの声までもが、一斉に止んだような気がした。背中に冷たいものを感じた島崎は、無理やり笑顔を作った。


「そうですよね、他人のラブレターを見せろなんて、いや、失礼しました。私はラブレターなんて貰ったことが無いものでして。ああ、そろそろ牛乳が危険ですね。お引き留めしてすみませんでした」

「もういいのですか?」

「ええ、ご協力ありがとうございました」


 桐谷と一緒に腰を上げた島崎は、何食わぬ顔で「お?」と初めて気づいたように声を上げた。


「トマトにナスですか。桐谷さん、ご自分でお料理なさるんですか?」


 一瞬、桐谷から表情が消えた。が、それも束の間、すぐにそれは照れ笑いにとって変わられた。


「ええ、どうしてもコンビニ弁当だと栄養が偏るので、最近料理の本を買って来て練習しているんですよ。退職して時間ができたものですから。六十の手習いですね。それでは失礼します」


 島崎は礼を言いながら彼の後ろ姿を見送った。

 一人暮らしでいくら自炊すると言っても、あの食材の量は一人分には不自然だ。誰かと一緒に住んでいるのだろうか。

 そして宮脇恵美からの手紙。そこには何か大変なことが書かれていたんじゃないのか? 宮脇恵美は事故死ではなく、実は誰かに殺されたのでは?

 だが、そうだとすれば、何故桐谷はその手紙を隠そうとする? そこに犯人が書かれているかもしれないのに。


 やはり俺の思い過ごしなのか。単なるラブレターだったのだろうか。

 いや絶対そうじゃない。あれは何か隠してる。俺の刑事の勘がそう言っている!

 と言えたらカッコイイんだが、残念ながらそこまで場数は踏んでいない。

 とにかく一つずつ潰していくしかない。島崎はスマートフォンを手に取った。


「吉井さん、島崎です。今から一旦戻ります。すみませんが、西川修の件でMe tooに参加した女性をリストアップしておいて貰えますか」

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