第47話 祖母の回想2

 京都には東の横浜と並ぶ進駐軍の地方司令部が四条烏丸辺りのビルに有ったのよ。もちろん伝手が無ければ一般の人が自由に出入り出来る場所じゃなかった。食うや食わずの時代でもここには物資が山積みされ、飢えた庶民には羨望の的だった。あたしの友人が岡崎辺りの洋館に住んでいた。案の定そこは進駐軍に接収された。けれど彼女と家族はそこへ同居した将校と懇意になった。お陰であたしにも伝手が出来たの。である日、司令部の前をうろつく長沼とばったり出くわした。もちろん二人とも初めての顔合わせよ。あたしが此処の米軍将校と仲が良いと知ってからやたらと付きまとって来るのよ。そこで「姉さん、物を買いたいんだ」と声を掛けられて「物なら駅裏の八条の闇市へ行けばって」云ったら「そうじゃねぇコンタックスやライカの様な舶来の高級品だ」と云うから「金持ってるの?」と訊くとドルの札束を見せるからこの男の目的は察しが付いた。要はその当時は手に入らない物を右から左へ流して金儲けを企んでるんだと。

 ばあちゃん、何の面識も無い人といきなりそんな話しするの、いやその当時はお姉さんなのねと礼子が言い直すと、彼女は機嫌良く話しを続けた。その日その日を食いつなぐ敗戦のドサクサのその当時はね、瞬時に人の目利きが出来なけャア。それと今、目の前に有る品物だけが信頼の証しの様なものだからね。

「だって誰の物か分からないのに」

「そんな事言ってたら生きていけないご時世で、持ってる人が所有者。たとえ盗んだ物でも盗まれた者が悪い、あの当時生きるってそう云う事なのよ」

それに当時の長沼はどことなく頼りがいのある雰囲気を漂わせていて、それでいて生活臭さがない。一言で云うなら此処の米軍将校と変わらない。いっぺんに惚れたけどこのご時世、そんなもの悟られたら何処まで身を落とすか分からないから暫くは突っ張ってた。けどあんなに荒れた世の中なのにこんなに清々しい人、見たことないから直ぐに一緒になったけれど・・・。

 あの人どこで手に入れたか知らないけれど(まあまともじゃないと思ったけど)貴金属とドル紙幣を大量に持っているのよ。なんせあのインフレの中ではこれらは不動の価値だからねえ。円なんて紙切れよ、あっと云う間に十倍も二十倍も目減りするんだから。戦災を免れた蔵には外人が欲しがるお宝が眠っている。それをあの人は二束三文で手に入れて来る。それをあたしが占領軍の高級将校に売る。彼らは珍しがって幾らでも買ってくれる。だからおじいちゃんは福の神ね。それから米軍に取り入って闇ルートで砂糖などの貴重品の商いを始めると、手元の資金はあっと云う間に膨れ上がるから、たちまちおじいちゃんは大金持ち。それもあたしが一役買ってるのよ。だってあたしと会わなければあの人の持ち物なんて宝の持ち腐れだったのだから。経済が安定して物価が落ち着けば値打ちは下がるからね。それまでにあたしのお陰で手持ち資産を何百倍に出来て、それを元手に事業を始めた。折からの経済成長でおじいちゃんの会社は右肩上がりで此処まで来たのだから。あたしの伝手とあの人の元手が合算して、今日のあなた達の生活が成り立っているの。だからあの人の遺産の意味を良く考えなさい。

そのばあちゃんが突然想い出し笑いをした。そしてあの人、実に純な人なのよ。だって進駐軍の司令部近くの通りには多くの女が立っていた。でもその中の一人の街娼なんかはどっから見ても十五、六まだ子供じゃないかと咎めるからあたし大笑いしたのよ。彼はなんでこんな子供まで米兵の相手しなけゃならないんだって真面目に言うから、あたしも生(き)真面目に言ってやった「あんたら男どもが威勢よう始めても、ちゃんと後始末出来ひんさかいあんな女の子まで苦労するんじゃないの。だから戦争はまだ終わってないのよ、これからが女たちの肉弾戦や」と言うたら、そしたらあの人は若いのに戦争に行ってないんだって言うじゃない、しかも樺太に居たって。よくもまあロスケに捕まらなかったねぇって言えばロシア人は悪く無いって。あの人、火事場泥棒のロシアを擁護するから、もう開いた口が締まらないってこの事ね。でもそこで初めて金の出所を一応、信じるか信じないかは別にして知ったの。

********


 このおばあちゃんの話から、じいちゃんの遺言の真意を理解すれば、あなたは何も結婚を急ぐ事は無いのよと言われたの。ただ喪が明けるまでに成仏させてやってほしい。長年あの人がこころを痛め続けたものをすっきりさせてあげたい。とそれをあたしと井津治に言付けたのよ。あなたもやっとそれを悟ったのね。

 それで永倉喜一さんは本当はどうだったの? と礼子は訊いた。

「間違いなく親父は帰した」

 金の切れ目が縁の切れ目を、絵に描いた様な親父だった。そんな親父だから眼前に広がる美しい風景より、濁った雑踏の町でしか生きられない。親父には何も無い此の能登に留まる理由は何ひとつ無かった。此の能登の水那月はおじさんが夢をはせた北前船の寄港地だった。井津治には好きな秘密のスポットがひとつだけあった。これからそこへ案内すると言いだしそこへ三人は向かった。

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