第37話 明かされる樺太での真実

 野々宮はまた礼子から呼び出された。待ち合わせの喫茶店の席に着くなり、一枚の集合写真を見せた。開けた砂地に建つ大きな一軒家の前に、家族を含めた店員達が並んだ一枚の古ぼけた白黒写真だった。

「葬式が終わったとたんにおばあちゃん、からだの調子を悪くしてきっと張りが抜けたのね。それがこの前はお父さんの遺品をそろそろ整理しないとね、と元気に動いているからビックリして手伝ってたら、じいちゃんの樺太時代の頃の若い時分の写真が出てきた。暫く眺めていると突然ばあちゃんが『あっそうそうこれと同じ写真を見た』って言い出すから訊くと、樺太のクルーズ船で一緒だった人が持っていた。訊けばその人のお父さんと亡くなった内のお父さんが一緒に写っていると云っていた。これは新しい情報源だと思って無理言って借りてきたの」と云って礼子はその古い写真を示した。

 この写真はおじいちゃんが真岡の網元の家で働いていた時の写真で、写っているのはその家族と店の人たちだった。

「ニシン漁のないときは従業員は十人なの、漁が始まるとヤン衆と呼ばれる季節労働者がやって来るの。だからこれは漁の最盛期の写真なの」

彼女が差し出した写真には確かに大勢の人が写っていた。

「それがこの写真なの無理言って借りてきたの大事にしてね。これと同じ物を以前行った樺太のクルーズ船に同乗していたお客さんが持っていたの。あの船の乗客って昔樺太に住んでいた人か、その家族親戚が大半で観光のお客さんは三割にも満たないらしいの。で本題にはいるけど、その時の写真の持ち主は写っている人の息子さんで、本人は出発間際に腰痛で出られなくなって、代わりにこの写真と同じ場所がどうなってるか探しにきたの。ここからが大事なのよここに写ってるこの人、舞鶴に住んでるのよ五年前だからまだ生きてると思うっておばあちゃん言ってた」

「その時おじいちゃんは?」

「本人でなく息子さんだからか、それにそんなに親しくしなかったらしいの。逆に樺太のことは良く訊かれたけどおじいちゃん当人じゃないからほとんど言ってないらしいの。おばあちゃんも本人でなくて残念ねって言ってたけど、帰ってからも挨拶状と年賀状の二通だけであとはご無沙汰なし。おじいちゃんはその人とは店には長く居なかった人だから印象が薄かったって言ってた」

 考え込む野々宮に礼子は「とにかくこれから舞鶴に行きましょう」と云う。

「今から?」

「そう。だから駅前で待ち合わせしたのよ」

 石崎と云うその人に会いに特急で例の写真を持って舞鶴に向かった。葉書の住所を頼りに探し出した。七十半ばだがまだ元気だった。さっそく同じ写真を照合すると石崎は懐かしさかで頬を崩して二人を招き入れた。長沼の孫だと知ると彼は消息を真っ先に尋ねた。ひと月前の病死を伝えると彼は非情に残念がった。

 石崎さんは昭和十九年の夏に真岡の網元に雇われたが、一年以上居てソ連軍の侵攻で別れてしまったと言った。長沼さんはその二年前から居てかなりの仕事を任されていた。漁業権を持つロシア人の家にも頻繁に出入りしてましたからかなり重宝されていた。そのロシア人のアレクセイさんですか。彼は母国の政権が変わってから、命からがら落ち延びて来ましたから、ルーブルを信じなくドルを信頼してました。網元はサケやカニの缶詰を戦前はアメリカに輸出してましたから漁場の権益はそのままのドルで支払っていました。アレクセイさんは貴金属にも換金してましたね。亡命者ってのは不変性の高いものに執着するんですね。日本だってロシア革命みたいな革命が有った、と言っても彼に言わせれば明治維新は革命じゃないってね。ロシア革命は価値観が根底から覆されるから悲惨だと。だから貴金属かドルしか頼りにならないとね。だから亡命してから相当溜め込んでいたそうですよ。それがソ連の侵攻で日本人に奪われてしまったのですから彼に安住の地はこの世になかった。

「日本人に奪われた、それはどう云うことです」

「長沼さんから何も訊いてないんですか。そうですかまあ、もうお亡くなりになってますから言いますが、奪ったのは網元の旦那ですが、長沼さんも最終的には加担してます」

 石崎は照合した二枚の写真を指し示した。

「まずこの写真ですが。これは昭和十九年の夏前にいつ出征されるか分からない情勢になってきましたので、自宅前にみんなで写真を撮っておこうとして写したものです。この後お嬢さんとの結婚話しで長沼さんは店を追い出され、私とは短い付き合いでした」

 ーー長沼さんは漁師を諦めて同じ真岡の製紙会社へ勤めたのですが、網元が手を回したのかどうか分かりませんが、会社は彼を敷香へ飛ばしたんです。敷香ではお嬢さんとは当分逢えませんからね。でも翌年の夏のソ連侵攻で真っ先に長沼さんは真岡へ帰って来られました。で網元は娘さんをとりあえず豊原へ疎開させたんです。二十二日に真岡にもソ連の軍艦が現れて、艦砲射撃が始まると全員をここで解散させた。網元と私と長沼さんの三人で真岡を逃げ出して、真っ先に郊外に在るアレクセイの家に行きました。その時に網元が長沼さんを同行させた理由が解りました。と云うのもアレクセイさんと長沼さんとは一番親しい関係だったからです。

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