第30話 井津治と野々宮
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ホールに戻ると藪内の車とすれ違った。これから営業かと野々宮が声を掛けると。そんなところですと云うところから、当ての無い時間潰しなのが良く分かった。サボりを見透かされた藪内は同罪とばかりに野々宮をドライブに誘った。
「お互い暇なんだなあ」
「野々宮さんは忙しいはずでしょう、例の長沼家ですか、その一件で」
「もう止めとけと店長から釘を刺された」
「いつも営業にハッパをかける店長が、それはおかしい」
山岡や篠田と違ってこの男は寡黙だ。俺と似てさぞ営業では四苦八苦している。がなぜか藪内とは本音を語ることが多いから「まあなあ」と店長とのさっきの話を適当に話した。
「それって爆弾抱えるようなもんじゃないですか、しかも四十九日間の時限信管付きの」
なるほどそう云うことになるなあ。喪が明ければ幾つか解約されるか、まさか全部と云う事はないだろうなあ。さあこれを不発に押さえる手立てはないだろうか?
「今日はこれからどうするんですか?」
藪内は分かりきった予定を聞いてくる。この仕事は取れそうなところを取ってしまえば、後は次の葬儀が廻ってくるまで何もすることはなかった。それに気付いたのか次の本社待機に話題を切り替える。この呼び出しはいつまで経(た)っても気分がいいもんじゃない。本社の一室に詰めてただひたすら、人が死ぬのを待つ為の待機なのだ。多くの人々にとって最大の不幸の瞬間を何の感情も抱かず待つ。相反する二極の人間の対比が藪内は耐えられない。仕事として割り切れない物があった。それでも月に四、五件の葬儀を担当するだけで後はフリーな時間の魅力に負けてしまう。そんな自分の意志薄弱を嘆いている。それは裏を返せば自分と同じ境遇に野々宮もただ聞き流すだけだった。それだけは二人だけの暗黙の共通点だった。
「野々宮さんいいチャンスですよ、このまま爆弾を抱えて突っ走ればいい『地獄の報酬』の映画の様に」
外人部隊の成れの果ての映画だった。高報酬に釣られて北アフリカの貧困地帯から抜け出し、フランスへ帰る為に油田火災現場にニトログリセリンを運ぶ危険な仕事をする映画だった。
「古い映画を知ってるんだなあ。ここは地の果てアルジェリアか」
「明日はチェニスかモロッコか。いい唄ですね」
「いや、地の果ては樺太だったなあ」
「何ですかそれは?」
「そこの公衆電話で止めてくれアポ取ってみる」
「営業ですか?」
まあなあと一言いって電話してから、藪内に四条烏丸まで送ってもらった。
「まだ電話一本で会員が取れるんですか」と羨ましがったが「バカ、爆弾を抱えるんだ」と云ったら、彼はニャっと笑って見送ってくれた。
この目抜き通りの人ごみが、なぜかあの映画のシーンと重なる。
あれはアルジェリアかどこか市場の雑踏場面だったなあ。そこで主人公がシャンゼリアの雑踏に思いを寄せていた。
指定した喫茶店は人通りの絶えた小路の片隅にあった。彼はこの近くに働いているのか? 静寂なこの店は通りすがりに立ち寄る店でない。客も各自物思いに耽っていた。一人ひとりの個性を観察するうちに永倉はやってきた。目礼で軽く頷いたマスターの仕草で彼もここの常連の一人だと理解した。野々宮にすれば急な思いつきだったが、彼にすれば予定の行動らしく着席の態度がいやに落ち着いていた。
「今日連絡がなければこちらから電話しょうと思ってたよ」
「何の用事で?」
「それはないでしょう。今日電話したのは君の方だよ」と彼は笑って云った。前回と違って彼は屈託がない、彼女がどう手なずけたのか迷った。
「礼子さんから頼まれていたから」
「どう云う風に?」
「仲良くしてほしいって。君の方は?」
「まったく同じことを云っていた」と今度は二人とも大笑いしてしまった。
「遅かれ早かれあなたとはこうして二人きりで話し合わなけゃあならないそしたら早い方が良いでしょう、礼子さんへの挑戦権を得る為に」
「永倉さん、ぼくにはあなたの言っていることがよく分からない。ぼくは所詮あなた方の傍観者に過ぎないですからね」
「あなたはそうかも知れないけど彼女はそう思ってないようですよ」
「それは君の思い過ごしだ」永倉には対等だと思わせるように言った。
一つ一つの言葉尻にそう匂わせる言動があった。それは彼女の気まぐれでもあった。しかし永倉との恋ごころを繋ぎとめる道具であり、本心じゃないと野々宮は心に刻み付けていた。そうあってほしいと望むのは希望的観測でもあった。そして現実を直視する限りありえない出来事だった。第一キャリアが違う。幼馴染みと、出会って十日も経たない者では太刀打ち出来ないのは当然だった。だがその彼がこうも簡単に会ってくれるのは一種の焦りから来るのだろうか・・・。
「あの人は君の存在を認めている」
「長沼家の資産の一部に匹敵するほどの存在価値はぼくにはありませんよ」
「実に謙虚な人ですね、それが本心がどうかはさて置き。どうしても会わなけゃならない理由はもう解ったでしょう」
「でもぼくは祖父の意向には沿わないと云うか、おじいさん自身も面識がない、まったく知らない人間ですからねぇ」
「それが彼女との未来には何も関係ありませんよ、それは知ってるくせに・・・。まあそんな話ばかりじゃ先へ進みませんから、お互い本音で話しましょう。そのつもりで電話したんじゃないんですか」
「ウン、まあそうですけど。この前の印象ではそうでもなかった。一寸変わりましたね」
「知ってるくせに。彼女が意見したぐらいは想像が付くはずなのにさっきも言ったように本音で話しましょう」
「そう言われても二人っきりで会うのは今回が始めてなんですよ」
「確かに、でも時間がないんですよ」
「四十九日ですか」
「だからお互いやまにやまれず電話した、そうでしょう。単刀直入に話しましょう」
「そうは言われてもぼくはあなたを良く知らない」
「でも礼子さんに相応しいかどうかは知っているでしょう。それだけで充分でしょう」
「あなたは幼馴染みだから新鮮味が欠けて新しい面が見出せない。だから好奇心の強い礼子さんがイライラする。ただそれだけですよ、それが相応しいかどうかは知らない。ただ長沼さんの肩入れがなければこんなに悩むことはないでしょう」
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