第29話 店長の忠告

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 野々宮が出勤した高野ホール地下の桐山店の事務所では、毎朝八時に朝礼を兼ねた営業報告をするのが日課だ。事務所と云っても事務机も椅子もひとつだった。あとは膝ぐらいの高さの簡単なテーブルと長椅子の応接セットだ。そんな一室で仕事の打ち合わせをやっていた。壁には五人の営業成績がグラフになって張り出されていた。山岡は葬儀担当でいない。篠田は本社待機に入っている。今日の朝礼は店長と福島と薮内の三人だった。朝礼が終わると福島はひとつしかない事務机を占拠して、備え付けのパソコンでトランプゲームをしている。それを傍でまたか、と一寸見て店長と野々宮は昨日の会員書に目を通していた。同じソファの片隅で薮内は新聞を読んでいる。

「先日の長沼家は打ち出の小槌みたいにどんどん会員取ってくるなあお前ら野々宮を見習え」と店長は上機嫌だった。

「桐山はんそりゃあ運やで」とパソコンに興じながら年配の福島は他人事のように答える。

 ええのんに当たりましたねぇと薮内も一応返事をして「山岡さんが事務所に寄って行くときにグラフ見て『なんやこれは』とびっくりしてました」と言いながら薮内も野々宮の月初めでこの成績は異常だと思っている。そこへまた一件獲得して今、目の前で店長に記入もれがないか点検を受けていた。

「佐伯さんと云うとあの長女の婿さんやなあ。喪主の弟と言い、総当たりやなあこれで五本かあの一件の葬儀で」

「野々宮よ後の反動が怖いぞ、これがコンスタントに取れたらほんまもんのサブロクやなあ」と相変わらずモニター画面を見ながら福島が言ってた。

「えらそうになア。自分はどうなんや」と桐山はゲームする間があったら営業に出んかいと聞こえないように小言をいう。こうなると古株は厄介なものだ。遊びと分かっていながらも営業に行ってきます、と言って出かける山岡や篠田は、まだ可愛いもんやと店長は福島には諦めていた。

 これは地球が引っくり返る出来事ですねって山岡が言ってたと薮内は続けた。坂下に見せたいなあのグラフ、こんな時によって遊びにこんなあと店長もグラフを見る。

 資産家は「葬儀費用ぐらいはいつでも用意できる」と豪語して当社の会員システムなんか端(はな)から相手にしないのが普通だから長沼家の場合は異常だった。

「余程、お前あの家に好かれてるなあと云うか野々宮、お前あれからあの家と何かあったんか?」

「いや、別に・・・その・・・」

 桐山は分かった、続きは外で聴こうと野々宮を近くの喫茶店へ連れ出した。喫茶店は高野川沿いにあり川を隔てて比叡山が遠くに望めた。この落ち着いた店で時々朝食をここで済ます者もいた。

 桐山は店のマスターとどうやねん最近はと挨拶を交わしていつもの窓辺の席に着いた。さっそく朱美が注文を取りに来た。朱美ちゃん山岡と篠田は最近は来てるか? と声を掛けながらコーヒーを、野々宮にはパン付きのモーニングサービスを注文した。

「朝めし喰ってないんやろ、ええかげん嫁さんもらえよう」

 ハアと気の抜けた返事で一口コーヒーを飲む間にも店長はどうやねんと催促する。

「・・・いやその遺産争いに引き込まれそうなんですけど」と野々宮は経緯(いきさつ)を説明した。

「なに! やめとけ! お前あの家のもんに怨まれるぞ、これ全部解約されてみい、いっぺんにこれだけ天引きされたらお前どうすんにゃ、考えたことあるんか? それにそれりゃあ地雷原を歩いてるもんやないか、そんなとこからはよう抜けださんとえらい目に遭うぞ」

 天引きになると今回五件分の会員買い取り金額が二十三万、これはまったく解約保険みたいに安心して使えない金になってしまう。と云うことはこれから先の稼ぎが本当の今月分の稼ぎになる。今月残りで三件担当できて三千が三件で九万円の収入なら今までで最悪の成績になる。この一週間の営業成績は絵に描いた餅で食べられないのか。そう考えると店長の云うようにもうあの家とは係わらない方が良いが、とにかく深入りは避けるべきだろう。

「これはぼくの勘違いかも知れませんので、別にあの家からどうのこうのと云われたことは一度もないし、今のところは仏事の相談だけですから」

「それならいいが、あの娘には要注意やど、お前利用されてるだけかも知れん。もうこれ以上あの家のもんから会員を取るな。・・・どうも旨すぎると思ったが今回の会員書にはそんな裏があるんか」

「店長! 何もありませんよただ私の葬儀の苦労に報いてくれただけなんですから」

「この佐伯さんのもそうか? 嫁ぎ先までがそこまで必要もないのにするか?」

「礼子さんが、アッあのう一番下のあの娘さんですが・・・」

 それぐらいは分かってるから先を話せと急かした。

「彼女が斡旋してくれたのです」

「今朝提出した一口分やなあ、お前が彼女に頼んだんか?」

「いや仕事の内容を話すと同情してくれて力になったげると云われてそれで入ってくれそうよと誘われて」

「で入ってくれたんか。なんや娘が全部お膳立てしてくれたんか、それはおかしないか?」

「おかしいですか? いずれ何か有った時には役にたちますから」

「アホやなあ、それはまだ先のこっちゃ」

「でも今回のも四十年前の会員書ですよ。丁度あの亡くなられたおじいさんも今頃入らはったんでしょう」

「話し逸らすな、お姉さんにすれゃそれで遺産が入れば安いもんや、何でも相談に乗るがな・・・。まあそれはそれとして、戦後間もない頃と今では時代が違う。あの家には余裕があるやろ。会員取るのが仕事やが途中解約されたら会社は痛ないがお前らは一旦支払われたものが翌月には有無を言わさず天引きされるんや店も痛手や」

 会員取るのはいいが向こうのペースでなくお前のペースで取れ。あくまでも不慮の出費に備えての会員システムだと店長は強調した。他に意図があればその目的次第でいつでも解約されるそれを憂いていた。

「ところで次の本社待機は何番目や」

「あいだに八人います」

「今朝ふたり出たとファックスが入ったから六番目か、今日は無理か明日やなあ」

「好い気候だから倒れる老人もないでしょう」

「まあ本社待機に入ったら二、三日は身動きとれんから自然消滅するやろ」と桐山はやんわりと長沼家からは控えるように忠告した。

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