第6話 通夜 2

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 この日の喪主は快活によく語ったが後で周囲の親族のひんしゅくを浴び、特に祖母からは激しい叱責を受けて暫くは口を利くのもはばかられた。

「父は偉大でした。二十一歳で樺太を脱出して物の無い時代にこの街へ戻ってきて、人と物が集まりやすいところは駅裏だと目を付けたんです。そう八条口と呼ばれたところの闇市から始まり、暮らしが少しばかり落ち着いてくると、境内の露天商で小金を稼いでそれを元手に商売を広げて今日の財を父は一代で築いた。そのたゆまぬ努力の源は樺太で作られたと言ってました。父は喰いっぱぐれて樺太へ一旗挙げに行った。それは厳しい厳寒の地でして、今まで作った自分の限界がこの地では通じないと思い知らされたと言ってました。これまでは一体何だったのかと、それからは限界は自分で決めないでトコトンやり抜いた。この地での苦労を掻きむしるように刻み付け、戒めにしたお陰で今日の成功があったがお前にはそれがない。そう父から引導を渡されて後を継いだのはわしでなく弟でした。だからわしも商売に向かんから弟に譲った。

 会社は弟にやるが父の財産はわしが引き継ぐと決めてあるから弟には一銭もいかない。まあ経営のことでわしが口を挟むより、あいつならその何倍も稼ぐからその方がいいだろうと、父は会社以外の資産を長男一家に譲ると口頭で伝えている。その代わりに長男のわしは会社への一切の権利を放棄したが、少しばかりの株は持っているが筆頭株主は弟になっている。

 ああそれからもう控え室へ戻ったが、母は父の露天商の店へ良く買い物に行ってたそうでして。それで知り合った? まあ母を見初めたと云うより出合ったその日の帰りに四つ葉のクローバーを見つけた。それが父には何かの暗示めいたものを感じまして、まあ恋の切っ掛けと云うものは実に思いもよらぬところから始まるもんですね。それまで漠然としていた結婚と云うものが形になって現れ始めた。この偶然はその人の容姿よりも心を揺り動かされ、それが幸せを導いてくれると父が一途に思い詰めた結果、私が生まれたのです。そう云うことには感謝しなければなりませんなあ。理想の人を追い求めても菩薩様はそう簡単に居る訳がない。子孫繁栄の為には結局どこかで現実と夢の線引きをせんとあかん。わしは大事なんは夢でなく生き方や、これがしっかりせんもんにゃ夢を語る、理想を語る資格がない。桐山さん、えらい長い話になりましたけどそうちゃいまっか」

「同感ですなあ」

「酔ったついでにもうひとつ親父の功績を言わせてもらいまっさ」

「娘さんの事ですか」

「それもあるがそれより今日、遅く来た永倉ちゅう若い男のことや」

「お父さん、いらんこと言わんといて!」礼子が口を挟んだ。

「じゃかましいわ、だまっとれ!」 

 酒も飲めねぇ奴に人生は語れねぇ。何イ! そんなことはない、じゃあどうしてさっさと帰っちまったのさあ。父はそう言いながら桐山が注いだビールを空けた。

「お父さん、仏さんの前で親子でもめてどないしまっね」

 桐山が見かねて言った。

「ここに居る中で知らんのは桐山さんと野々宮さんだけで後は身内や聞かれて悪いもんやない。都合悪いのは内のやつだけやがもう部屋いって寝とるわい」

 喪主はとうとうビール瓶を三本空けてしまった。

「桐山さん、あの永倉っちゅう子は孤児になったんを親父が引き取って育てた子やぁ」

「慈愛の精神をお父さんはお持ちやったんですね」

「そんなたいそうなもんとちゃう。あいつの母親は三つの時に離婚しょったんや母子家庭やなあ、それで母親は祇園のスナックに働きだしたんやそこで親父と知り会って妾、今で云う援助交際やなあ、ところが母親が交通事故で亡くなると親父はその子を引き取ってわしの娘達と一緒に育てた」

「幾つぐらいになってたんですか」

「九つか十ぐらいかまだ小学生やった。その頃は上の姉達は歳が離れているから相手にならないが、下の礼子とは歳が近いから一緒に兄弟みたいに遊んでいるかケンカをしてるかやった」

「あの子は礼子に良く泣かされていた」向かいから優子が笑って言った。

「初耳だ。そうなんですかそんな風には見えなかったのに」と佐伯が言った。

「だってあの子いつまでもうじうじしてるからよ」礼子が弁明する。

「止めに入るかどうかあたしは冷や冷やしながら見てたのよ、それなのに優子姉さんたら『ほっとけばいいの気の済むまでやらせればいい』って言うのよ、そんなあたしの気も知らないであっけらかんとしてまたあの子と遊んでるんよ、野々宮さんはどう思います」と雅美が半ば呆れ、半ば勝ち誇ったように、礼子は昔は手の付けられないこんな子だったのよと野々宮に突きつけた。そんなことをこの人が本気にする訳はないわと云わんばかりに礼子は野々宮を見詰めた。野々宮が返事に詰まった間を突いて喪主は続きを再開した。

「それも中学までや高校へいったら腕っ節では叶わなくなって今度は口ゲンカばっかりしょって仲が良いのか悪いのか分からんかった。卒業するといつまでも厄介になる訳にはいかんからアパート借りて働くと言い出して、しかしそれでは亡くなった母親へ顔向けできんと親父は進学を勧めて、それならと母親が生まれた地方の大学を受けて下宿しょった。わしの娘に関しては親父は越権行為やけど、あの子に関してはわしらは口出しできんかったからなあ。それで二年前か、卒業してまた帰って来たが今は別の所に住んどる」

「お父さんの会社へは入らずでっか」

「学校だけは出したると云う母の思いを実践してくれた以上もう自立したいと言って親父の紹介書を持って就職しょったが大学に関しては自費で卒業しょった。とにかく一番金のかからん所を捜しよったなあ。下宿代だけは親父が四年分前払いしたがそれ以外は一切催促してこなかった」

「就職まで面倒見たんですか」

「まあ保証人程度や。親父はその先も見据えていたようやなあ」 

「先て言いますと?」

「まあ、あの箱に収まってしまった今となってはもう何も波乱は起こらんやろう」と桐山相手に喪主は語っていた。

 今日の父はやっと祖父からの呪縛から逃れられ、祖母と母の重しの取れた開放感に浸ってみっともない、と礼子は父の境遇を野々宮に語りだした。

 今日ぐらいは酒を好きなだけ呑むと良い、と母は祖母と一緒に部屋へ引き上げてしまった。だから父はハメを外して呑んでいる。母さんには頭が上がらない父が、酒の力で豹変するのを井津冶は知っていた。だから彼は一度も一緒には呑まなかった。それを父は快く思ってない、しかも祖父はそんな彼を可愛がっていたが、正直なところは解らなかった。本当は亡くなった彼の母親を敬愛していたに過ぎないんじゃないか、その情が子供に移っただけではないかと云う疑問を父は持っていた。それは祖父は井津冶に優しい言葉を掛けても、一度も幼かった井津冶を抱きしめたことはなかった。絶対三歩以上近づいたことはなかった。三人の孫娘と同じ様に育てていても、やはりそこが違うと父は思っている、が私は変わらないと感じていた。彼は愛人の忘れ形見であり、父には跡取り息子としての将来を楽しみにしていた。だが物の見方がとにかく細かい父に、祖父も嫌気がさし、今は次男に期待している。

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