第2話 長沼家の人々2

 商談が終わり長沼家を後にしたのは明け方の三時頃だった。雨がすっかり止みオリオンも消えかかっている。夏も終わりに近い人気のない夜道を本社へ向かった。

 中沢は今夜の成果に満足していた。それもそのはず、商談は彼の云うままに成立していた。高い祭壇に棺や霊柩車は最高の物を揃えて付随するものもそれに近かった。二百万は優に超えている。あと親族や弔問客の接待費を入れると持ち込みのないホールだと四百は下るまい彼としては社内で鼻が高い。

「結構な金額ですけど、まああの家では遺言の範囲内ですね、あとはお寺さんへのお布施と戒名ですね」

「野々宮はん、あそこは浄土真宗やさかい戒名って云わへんで、法名って云うんや。まあお寺を借り切って葬儀をすればこんな金額じゃ済まないが、うちの会社の売り上げにすれば大きい。新規会員も七千円コースやなあ。親族からも二、三本取れるんちゃうか野々宮はん」

「どうやろうねぇ。それだけまとまった金をポンと出せる人が月々七千円、百回払いで七十万満期の会員に入るやろうか。今回のは本人が三十年も前に掛けていた奴でしょう。今の羽振りだと葬儀費用なんか積み立てせんでも一気に払えるて云う腹づもりちゃいまっか」

「そうかも知れんがあの喪主やったら、あんたがいたせりつくせりで葬式を取り仕切ったら親戚にも声を掛けてくれそうやで、わしら社員と違(ちご)てあんたらは会員取ってなんぼの世界やと話せばなあ」 

 野々宮はA社から委託を受けた互助会の取扱店の店員にすぎない。入会してもらった会員書をA社が規定の金額で買い取る仕組みになっている。A社が受けた葬儀を担当して取り仕切ってもA社からの手当ては一切出ない。だから会員が取れなければ店長の桐山が口癖のようにボランティアで終わるぞと言って会員獲得にハッパを掛けていた。

 サブロクには坂下の様に半ば強引に判を押させる凄腕の仲間もいるが、野々宮にはそこまでのやり手でないから会員獲得件数に差が付いてしまう。それがそのまま質素な生活に結びついていた。

「親族か、中沢はん。あそこの家族構成はどうなってました」

「参考になるかどうか?」と言いながらカバンから長沼家の会員証を調べた。

「故人の奥さん、つまり喪主の母親は七十二や次はこの人やけど、見て通り元気やったなあ。後は娘が三人や親戚で居たのは喪主の弟だけや。後はこの書類からは分からんなあ、当たるしかないなあ、まあ今夜の通夜には顔ぶれがそろうやろ、そこで野々宮はんがアタック出来そうな親族を捜さんとあかんやろなあ」

「今まで喪主以外に取ったことがないですよ」

「まったくか?」

「十件に一件ぐらいはダブルがありますがあの坂下さんみたいにトリプルがしょっちゅうと云う訳にはいきませんよ」

「鷺山(さぎやま)店の坂下さんか。あの人は別格やで社長も役員待遇で誘ってるんやが縦にふらん、なら取扱店の店長になれと言ってもならん、今の境遇と云うよりこの仕事が好きなんやなあ。人の終焉を気の済むように弔いたい、その為に金を貯めさせてどこが悪い、慈善事業やと云うとる、そう思い込まんとあれだけ件数毎月取れへんで」

「噂には聞いていますがどれぐらい取ったはんのです?」

「平均して二十件ぐらい一件五千円としら百万やけど三千円が多いらしいで」

「それでも六十万かそれでも七千が混じるとそれ以上やなあ」

「野々宮はんあんた月何件や」

「四、五件で十七、八万」

「最悪で十二万か」

「家賃払ったら残らへん」

 ポツンと一箇所だけ灯りが点いた本社に戻り、長沼家の家族構成のコピーを中沢から「まあ頑張りや」と言われながら貰った。

 野々宮はアパートへ戻り、三時間ほど仮眠を取って所属する桐山店へ出た。


 A社は府下一円で総合ホール形式の葬祭場を展開している。それぞれのホールにはA社の会員入会手続きの代理店が、その地下や付随の一室を事務所として間借りして営業している。

 桐山が店長を勤める桐山店は、左京の高野の近くある高野ホールにあった。高野ホールは一階が受付事務所とロビーと宴会用の部屋があり二階は二件の葬儀場になっている。建物に付随して三十台程の駐車場かありその片隅に倉庫のような八畳ほどの部屋が桐山店の事務所だった。 

 店長の桐山は働き盛りの四十七である。前任者が病気で辞めてから後を継いで三年目だ。もう一人、桐山と店長候補として争った古株の福島がいるが歳は五十半ばだ。後の三人は山岡、篠田、薮内で此処一、二年で採用したいずれも二十代の若手だ。彼らは店長の桐山と契約を結んでいて、彼ら五人が取ってきた会員証を桐山が月締めでまとめてA社に買い取り請求する。

 各店舗の店長自ら募集した者を葬儀の特別担当者としてA社に登録する。社内ではこの特別担当者をサブロクと呼んでいた。彼らサブロクは街頭でチラシを配っても家庭訪問しても会員は滅多に取れないが、葬儀を担当すると喪主から一件は取れた。だから死亡した加入者の家族が会社に連絡する事に依って葬儀が担当できるが、いつ入るか当てのない死亡通知を待つのは辛いが、その先に美味しいものが有る以上致し方がなかった。

 この野々宮のようなサブロクが二百人ぐらい居て、常時五人本社の別室に待機し死亡通知が入ると順次出てゆく、その都度最後の者が次の者を呼び出して、常に本社には五人が詰めていた。A社のエリアでは一日で百人の死者が出ると通夜と本葬で二日付くから、三日目は担当者がいなくなる勘定になるが、葬儀は一社だけじゃなく、まして全てが当社の互助会の会員とは限らないから、この人数で一週間間隔で廻ってくる。季節によっては死者が増えると出棺が終わると、次の本社待機に入る事も希にあるが、死者が増えても二、三日の間隔になる程度だった。

 桐山店の事務所では毎朝朝礼を行い各自の営業状況を報告すると、福島以外は会員獲得の為の営業活動と云う名目で遊びに出る。店長には遺族が入りそうなのでアポ取って来ますとそれらしい口実を付けて出てゆく。福島は年季が入ってるからそう云う手を使わず事務所でパソコン相手にゲームをしていた。店長は苦々しい顔をして彼らを見送りながら野々宮に声を掛けた。

「野々宮、どや今度の相手は何口取れそうや」

「一件は堅いです」

「喪主が取れるのは当たり前や若い連中は喪主から取ったらあとはほったらかしや、みすみす美味しいものが転がってても相手にしょうらへん。アタックせんと何で会員が取れるンや山岡なんかわしが同席した時なんか入ってくれそうな親戚が結構おったのに結局、喪主の一件きりや、あいつは親族とどんな話をしとっにゃ。野々宮、わしも一緒に行くさかい、今朝自宅に運んだ仏さん、いつホールに搬送や? 先方には何時に行くんや」

「もう出ます」

 桐山は福島に留守を頼んで野々宮と一緒に事務所を車で出た。

「会社から誰が来たんや?」

「中沢はんです」

「あのおっさんやったら綺麗にしてくれたやろ」

 確かに残っていた満期の会員証はすべて今回の費用に回して新規で会員が勧められる。

「どう云う構成や」

 野々宮は運転しながら内ポケットから中沢から貰ったコピーを渡した。

「なんやこれは。喪主の子はみんな女ばっかりか、これではこの家から難しいな」

「三人姉妹のうち、二人は既婚者ですからそのご主人が関心を持ってくれれば脈はありますね」

「来てたんか?」

「いや喪主夫婦とその弟さんとお母さんと娘三人だけでした」

「どう云うこっちゃ来てないて。義理でもおじいちゃんやろう。そんなもんから会員取れんぞ」

「いや、最近はそう云う家庭が多いですよ、・・・それとも他に事情があるんでしょうかねぇ」

 桐山はどうやろうなあと言いながら書類を返した。車は長沼家の近くに止めて本社から来る搬送用のベンツのライトバンを待った。

 長沼家の前の路は行き止まりの狭い雑木林に覆われていた。そこを何とか大型の搬送車が枝すれすれに入ってきた。運転手の小野は元は野々宮達と同じ仕事をしていたが、品格の良さに会社がベンツの運転手に彼を引き抜いた、と云う話を店長から聞いていた。確かに物腰の柔らかい男だった。

「どうえ小野さん狭いところでしょ、そやけど上手い事入れるなあさすがや」

 近くを通る国道と旧街道は車の往来が激しい。新しく出来た住宅街も道幅何メートルかの設置義務があるらしく建て込んでいない。だがこの家の周辺だけは規制が出来る以前の建物だから込み入って見通しが悪く、傍まで来ても家の大きさが分からないほど周りを雑木林が取り囲んでいた。

「上客らしいですね。今朝は中沢さんからあんたが迎えに行くて聴いて安心したと言ってましたよ。それにしても古い家ですね」

「小野さん、中はけっこう広いでっせ、木を全部切って更地にしたら三十坪ぐらいの家が八件ぐらい建てられますね、道路負担がなければもう五割は増やせる」

「そこまでは無理でしょう」

「中へ入ったら分かるけど。家が目立たないぐらい立ち木が多いにゃあ」

 野々宮と桐山は「お迎えに参りました」と長沼家を訪れた。小野はベンツを敷地内に乗り入れて会釈した。周りは手入れの行き届かない古い車が無造作に留めてあった。

「小野さん、お金は持ったはるのやけど、見たら分かる質素な生活や」

 最初、垣根越しに覗いた桐山は、入り組んだ不便な場所に建っている家を見て納得した。だが中は凝っている、建物でなく室内の趣が亡くなった主(あるじ)の趣味なのか年代物の掛け軸、欄間の凝った彫刻や黒光りする流木や木の根や盆栽。それと対比して娘が二人嫁いで、残った娘ひとりにしては他の飾りが華やかだった。ひょっとすると二人の娘も時々里帰りしているのか? ・・・あとの女性と云えば故人の奥さんと喪主の妻だが、誰か生けるのか床の間や玄関にさり気なく置いてある生花は初々しい。

 外見はともかく内装には異なる風格があった。あとの三人娘だが誰が既婚者で誰が未婚者なのか一瞥だけでは判らなかった。とにかく一家の主(あるじ)が去って数時間しか経っていない。あのばあさん以外はそんなに早く緊張がほぐれる訳もないと、小野と桐山は思った。

「娘さんはそうでもないですよ」と野々宮は言った。   

 桐山はそう云うこっちゃと家風を小野に言いながら、三人は車から降ろしたストレッチャーを持って入った。

 娘たちの主人と弟の奥さんはまだ見えていないだけで顔ぶれは変わっていない。男手は喪主とその弟と我々三人の五人で車まで故人を搬送した。その間は喪主の妻が心配そうに寄り添った。祖母と孫たちは傍観者として立ちはだかった。病院で傘を差し伸べてやった一人の孫娘は、済ました目で腕組みをして突っ立っていた。この女だけは緊張しているのか冷静なのかまったく解らない。

 長沼家は弔問客が百人を超えると云うので、高野のホールでなくもっと規模の大きい天王町の白川ホールが葬儀会場になった。そこの控え室に安置された遺体は、祭壇の設営が終わり次第、棺に納棺されて三時までには祭壇の前に置かれた。

 なき故人の思い出の品で一緒に持って往ってもらいたい物があれば、棺に入れて下さいといっていたが、棺には古い書物が一杯詰まっていた。なんやこれはゴミ捨て場やなあと桐山は今までの納棺では初めてやと唖然としていた。

「本人にとっては捨てがたい大事なものなんでしょうね」と野々宮が口を挟む。

「だが家族には二束三文なんか」と桐山は呆れながら閉じた棺に合掌した。

「だからこそ一緒に棺に入れたんじゃないですか」

「そうか・・・あの若い娘なんか賽銭箱に金をいれるように薄い本を放り込んでいたなあ」

 野々宮は内ポケットから四つ折りになった会員の家族名のコピーを桐山に見せて「本を放り込んだ人が礼子とか云うそうです。そして上の姉が雅美(まさみ)と優子(ゆうこ)です」と家族欄を指し示した。

「訊いたのか?」

「いえ、喪主の弟さんが向こうからさっき話してくれたんです」

「今日初めて見たが、あの目立たん男やなあ。目立たん男と言えばさっきからこっちを伺う中年の男が居るんや此処の親族は知らん顔やから別の弔問客か?」

「何処ですか?」

「あっ、もう消えたなあ、まあええわ。それでどうなってる」

 納棺の説明の時に喪主と一緒に立ち会ってくれて、その時に姪のことを話してくれた。

「孫娘の名前は全て亡くなった故人が付けたんです。長女と次女には優雅であれとの思いを込めて命名したそうですか、三女が生まれて欠けているものを加える意味で礼を尽くせとの意味合いが込められているそうです。それはそうとして喪主にすればたまらんでしょうね。わが子に親が口を挟み、三人とも命名されて。喪主は次の子はとの期待を抱いていましたが続かなかった。礼子のときにもっと自己主張すべきだったと、それが彼の最大の後悔として今も胸に焼き付いていると弟は言ってました」

「えらいとこまで聞けたなあ。それは野々宮、お前の特権やなあ」

「ハア?」

「誰でもお前を見たら安心してこの人には話し易いと思い込ませる。得な性格やこの仕事には打ってつけやのに、なんで坂下のように取れんのや、わしはお前が歯がゆいてならん」

 返事を窮する野々宮に優しすぎると桐山は語り掛け、ええこっちやと付け加えたが、それでは喰っていけんと厳しく付け加える事も忘れなかった。

 ーーだが晩年父は悔やんでいた。それは自分の思いを込めた三人の孫娘がその名に恥じない人生を送ってないことです。それを兄に厳しく問いただした。お前が甘やかしすぎた。云わいる監督不行き届きだなぜもっと躾けなかったと、学業半ばまで成長した三人には手遅れだったが、それでも父は是正を兄に迫ったが、その板ばさみにも娘達は快活に育った。それが返って兄の心の慰めになっていました。これで良いんだと口癖のように私が訪ねると云ってました。そして三人が成人するに至って、父は諦め傍観するようになって今日に及んでいる。父の死をもって、やっと兄は解放されたと思う。父は口で厳しく言ってもやはり孫は可愛く、娘達にはとうに諦めていたが、やはり兄の前では厳しかった。父の二面性に気付かず、兄は一言も愚痴ることなく、心の底に今まで重く圧し掛かっていた。それが弟の私には痛いほど身に浸みていた。

 父は私に「孫達に箍(たが)を締めるにはあいつの重しが必要なんだだから黙っておれ」と言ってました。それから父は読書し多くの本に埋もれていきました。姪たちはそれを知っているから「おじいちゃんのいい思い出ね」と言って惜しげも無く本を投げ込んだのです。

 言われてみれば姪たちには、そんな大らかな風情が漂ってると思いませんか。特に末っ子の礼子には要注意ですよ、普段はお嬢さんぶってますがつむじを曲げると、てこでも動かない感情の起伏が激しい子ですからねぇと言われました。

「そうには見えんが。まあ葬儀が終わるまでは何事もなく穏便に過ぎるやろ、我々には係わりのないこっちゃ。弟は入ってくれそうか?」 

「その話はまだしてませんがそれとなく互助会の話をして臭わせてますあとは切っ掛けですね、まあ出棺が終わってからですね」 

 それでも喪主が主体で段取りははかどっていた。時々弟か奥さんが口を挟んでいた。三人の娘達は甲斐甲斐しく身の回りの世話を焼いているが、これから始まるひとつのセレモニーに今までの退屈な毎日が紛れると云わんばかりに動き回っていた。故人の妻は悲しみに暮れることなく主人に代わって主(ぬし)のように控え室に構えていた。喪主夫妻とその母は喪服に着替えていたが他の者は祭壇の設営が終わると一旦帰った。 

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