遥かなる遺言
和之
第1話 長沼家の人々
野々宮裕慈(ののみやゆうじ)はとにかく決まった型どおりの会社勤めが苦手だった。と云って営業の才が有るわけではない。型にはまらない自由奔放な生き方に憧れていた。がどこぞの御曹子でもない彼には望むべきもない。なのに何の努力もせずに希望だけは抱いていた。早い話がどうしょうもない男だった。望むと望まないに関わらず職歴は賑わっていた。その彼がこの春に有名なA社の葬儀社の求人に応募した。
名前に惹かれたが面接場所はA社が市内各所に持つ葬儀ホールに付属するテナントのような別棟だった。
店長は四十代後半の桐山さんで店は昼間からガランとして他に誰もおらずそこで面接した。
店長の説明で判ったのは募集するのはA社から認定を受けた桐山店はA社が企画展開する互助会の会員取扱店で、その個人営業契約店はA社の互助会の会員に勧誘して会員契約の手続きを扱う店だった。
桐山店はA社が扱う葬儀に店で採用した者を派遣して無給で担当して互助会の会員を取る仕事だった。その入会した会員書をA社が規定の料金で買い取る仕組みだった。とにかく一週間の間で通夜と葬儀三十六時間で会員を取る雰囲気を作れるかが勝負の仕事だった。
会社が葬儀の場を提供してそこで会員を取れと云うことだった。当社のパンフレットを持って毎日戸別訪問しても月に一件取れるか取れないかだ。生活費に追われる者が葬儀費用を積み立てる互助会の会員なんて入る訳がなかった。しかし実際の葬儀を目の当たりにして真剣に考える人が身近に居る中での加入活動にはインパクトがあった。
「万が一不幸が有った時の積み立てや、どや遣り甲斐のある仕事やろ」と説明が終わった店長の桐山さんが開口一番に言われた。そして掛け金が多い会員を取れば実入りが多くなる。努力次第では現に月五十万は稼ぐ伝説の担当者も居るらしい。
「まあその内紹介したるけどなあ、背は低いやがとにかく『わしはあんたの為に言うてんのや』と、この男の話の持って行き方が上手いんや。契約書に判を押してもらうまでは帰らへんって男でサブロク仲間では伝説の男や。言い忘れたけどわしらの様に葬儀の担当に付く仲間のことを当社の連中はサブロクと呼んでるさかいそのつもりでハイハイと返事しといてくれ」
野々宮は理由を聞くほどの大事な事でもないとそのままハアと返事をした。別に桐山さんにもそれほどの威圧感はなかった。それどころか仕事の内容よりも気さくな人柄に引き込まれてしまった。断れなかったのも店長の人柄も一役買っていた。いつのまにか仕事をする段取りの話に自然に流れて行った。野々宮も店長を見ていて「まあ良いかあ」と流れを止める気にさせなかった。最大の要因は一週間の内で二日ほど働いて五日遊べる、これが何とも云えない魅力、魔力に引き寄せられた。
初めは店長の桐山さんが何組かの葬儀に付き添ってくれた。夏の終わりかけには一人前のサブロクになって居たが収入は良くなかった。
野々宮裕慈(ののみやゆうじ)はようやく明け掛けた窓を開けた。暑さで寝不足になった目で陽が昇り始めた東山山麓一帯を眺めた。
今日は朝一番で本社待機だ。
本社待機、勇ましく聞こえるが葬儀を扱う会社では死亡通知が入るのを待つ事だ。常に五人が順繰りで担当する。通知を受けて出て行く都度に最後の者が次に名簿記載の者を呼び出して補充する。夜十時を過ぎると朝一番まで呼び出しはない。朝までに全員出たかどうかは各店にファックスで回覧出来た。
そしてこの仕組みが今の彼の生きる糧なのだ。何でそんな仕事を選んだ。有る程度の生活費が得られて束縛されたくなくて自由が堪能できて、規則正しい社会生活から逃れる為に他ならない。そんないい加減な人生を埋める男にはうってつけの仕事だった。
一週間に一回、通夜から火葬までの三十六時間を担当すればいいのだが、ひとつ落とし穴があった。当社が企画する互助会の会員を勧誘することだった。会員は月々三千、五千、七千の各積立金で葬儀費用を賄う制度だ。この積立金の獲得額に応じて給料が支払われる歩合制だった。だから葬儀を担当しても会員が取れなければ収入はゼロだ。
野々宮裕慈は眠い目を擦りながら支度を始めた。一人暮らしの彼に支度などありはしない。ただコーヒーと共に一本タバコを吸い終えると、いつものようにアパートの階段を慌ただしく下りて行くだけだ。
家族は同じ街に居ながら裕慈はこの古いアパートに住んで十年になる。高校を卒業して家を出たからもう二十九歳になる。今も家に帰れば両親と兄夫婦とその子供が二人で六人家族だ。あのちっぽけな建売住宅では俺の居場所は無かった。家を出て十年、此の仕事に就いてもう半年になる。A社の者でない委託社員の彼らは出入りが激しいからベテランになっていた。
野々宮は十台で満車になる近くの月極めの貸しガレージに向かった。朝から照り続けた太陽が陰り、歩き始めた頃には肩を濡らす鬱陶しい雨の中を中古の車で出かけた。
晴れから急に降り出した天気は、蒸し暑くて滅入りそうだ。気分まで憂鬱にさせる、それでも車に乗れば少しはましだった。この不定期な勤務態勢では仕事は車が無いと成り立たないから無理して中古車を買った。そうで無ければこんな維持費のかさむ物など必要なかったが、今日ほど有り難いと思ったこともなかった。何かにつけずぼらで無気力な此の男には打って付けの仕事だったからだ。
打って付けの仕事とは・・・。野々宮が働くA社の仕事は主に葬儀の仕事だが、そこに勤める彼は会員の受託契約をする店の嘱託社員だった。この仕事はむやみやたらに勧誘しても無理で実際の葬儀で勧誘する。その為に葬儀の担当者を受け持つ。A社を通じて登録された嘱託社員は葬儀を本社待機で割り当てられる。
本社待機は順繰りで前の者から連絡を受けると、まず本社三階の控え室で常時四人が待機する。そして下の事務所のフロアー端に一人が待機する。ここで死亡通知が入るとここに居る者が、本社営業の者とその助手と一緒に三人で現場に向かう。そこで遺族と初対面して以後の段取り等の打ち合わせをする。
葬儀社には営業中は様々な電話が鳴り響く。昼間はともかく、営業の終わった夜間は死亡通知のみだから静かで緊張の走る一瞬だった。
野々宮は本社招集を受けて待機に入ってから、日付が変わる頃にやっと出番が回って来た。
連絡を受けた彼は会社の連中が慌ただしく準備する中で、サブロクが用意する仏さんの枕飾りとドライアイス等を揃える為に奔走した。何せ会社にすれば彼らサブロクは居候に等しい存在だから、足手まといに成らない様に注意が必要だった。警察や消防の緊急出動に匹敵する物々しさで、他の葬儀社に出遅れない覚悟で連絡を受けた病院に向かった。
今回は当社が運営する互助会の会員だった。ただ遺族でなく病院からの連絡だから、当社の会員書を使わないかも知れない、その場合はよその葬儀社へ依頼する事もあり得た。
仏さんの搬送には必ずA社のベテランの営業マンと見習い社員の二人とサブロクが一人同行する。
助手席では定年間近の初老の中沢が今回病院から連絡の有った、三十年前の長沼家の会員書に目を通していた「この人はあの長沼商事の会長やないか、あの頃は小さい会社やったんやなあ。それにしても三十年でここまで大きくしたとはたいしたもんや」と新入社員の運転手でなくなじみのある野々宮に話した。どんな会社なんですかと野々宮は応えた。
「知らんか、野々宮はんも勉強不足やなぁ、この長沼商事っちゅう会社は北米からの木材の大半はこの会社が扱って、貨物船も自前かリースか知らんがいつも同じ船を使ってロシアのサケマス、カニの水産資源まで扱ってる結構大きい会社や」
「そんな会社の会長の葬式、本当にうちで頼むンやろうか?」運転手が言った。
「うちへ電話した以上はうちでやるわな」
「どうでしょう?」電話は当人でなく病院側からだった。野々宮も若い社員同様に疑問に持った。中沢はかまわず続けた。
「しかし古い会員書やなあー。何か有った時に家族に迷惑掛けんように三十年前に入ったんや、まさかこんなに会社が大きくなるとは此の人もその時は思わなかったんやなあ、掛けたもんは無駄にはできん。昔の人らしい、お陰でうちとこ使ってくりゃはるありがたいこっちゃ」と中沢はニンマリとした。
雨が降る中で一時を回った夜中に病院に着いた。処理を終えた遺体は霊安室に安置されていた。待ち構えていた病院のスタッフによって案内された。そこで当社会員の加入者の長沼清一さんを当家の喪主として確認をした。名義は長男の清一(せいいち)だが掛けたのは亡くなった父親であった。喪主はそこで母親と弟、そして娘たちですと名前を告げず簡単に続き柄で紹介した。
「ご葬儀をどうしましょう」と営業者から喪主への呼び掛け「お願いします」で最初の段取りが始まった。
事前に会員書の家族構成に目を通してあるから現場の人々とはだいたい辻褄が合った。七十代で病死の故人は元を取ったのだろうか、だが悲観に暮れる遺族はいなかった。故人には妻と二人の息子が居た。喪主に当たる長男は五十二歳、妻は四十七だが喪主の三人の娘たちは年恰好から名前を推し量るしかないが三人とも歳が近かった。自宅で一同が顔を揃えれば解るだろうか? だが三人とも個性的で一癖もふた癖もありそうだ。サブロクでは会員獲得数では常にトップで、押しの一手では伝説の坂下が向くタイプじゃないことは確かだ。だが喪主の顔ぶれでは静寂な俺のタイプでもコロッと会員が取れるかも知れん、たまには楽に会員を取りたいからなあ。
野々宮が思い巡らす中を分刻みで動いている。同階の患者が寝静まる中で遺体の搬送作業は始まった。病院からの紹介で当社の会員であることは判っていたから、まず遺体をどこに搬送するか遺族と相談する必要があった。それは会社の営業の仕事だった。まだ野々宮はただの同行者として搬送の手伝いに従事していた。喪主夫婦と弟は手助けしてくれたが、三姉妹は完全に傍観者として佇んでいる。
ストレッチャーに移送を終えると、遺体は病室から搬送車まで社の者だけで搬送する。搬送車に積み終えて出発の段階で、喪主と当社の運転手が簡単な道順の打ち合わせをしている。その間に野々宮は挨拶と共に、以後の葬儀一切を受け持つ担当者として喪主に名刺を渡した。
遺族が二台の車に散ってゆく。雨は昼からだから此処にいる人々はそれ以前から病院に詰めて居たのだろう。小降りだが傘の用意のない数人が慌ただしく駆け出した。娘二人も釣られて駆け出したが、二十代後半だろうか一人ポツンと雨を躊躇う女性に野々宮は促して傘を掛けて車まで同行した。優しいひとねと取って付けたように、一言云って彼女は車の後部座席に身をゆだねた。
野々宮さん行きますよと云う新人の中山の声に引っ張られて搬送車に駆け込んだ。先頭車はすでに走り出していた。
先導する遺族の車に野々宮の乗る遺体の搬送車が続いた。
営業の中沢さんは早速カバンから出した会員の資料に目を通し特典を確認した。遺族は自社が経営する月掛け割り引き会員制度の互助会での経緯によって特典があった。中沢は記載されている家族構成に目を通し始めた。
臨終に立ち会った故人の妻以外では男は二人、故人の長男と次男だけで後は女ばかり四人居た。長男の隣に居るのが妻と子供は娘ばかり三人いた。書類ではこの内二人は既婚者だ。此処に集まっている三人の娘達の名前はまだ分からない。さっきの女はどこに当てはまるのか多分末っ子だろうと察しが付いた。
彼らは二台に分乗して発った。故人を乗せた搬送車がその後に続いた。見失わないように前方の車を見続けるうちに、揺れ動くテールランプが手招きするように妖しく灯っていた。
運転手で大卒新人の中山が眼を擦りながらハンドルにしがみ付いている。
「お前仮眠したか」と中沢は頷く中山の肩を軽く叩いた。眠いのは俺だけじゃないようだと野々宮は笑いをかみ殺した。
辺りは田畑が取り残されたように点在する宅地に変わった。やがて路を曲がりくねりながら走り始めた。そして開発が進んだ一角から急に道が狭まった。入り組んだ路地の果てにポツンと取り残された、雑木林に覆われた中に古い屋敷が埋もれいた。ここが会長の屋敷だった。
故人の歳を考えると病院から自宅に戻るまで一族が取り乱し、哀しみに暮れる姿をまだ一度も見せなかったのは常としても、その妻のばあさんまでが淡々とこなしている。それを定年間近の中沢が「死にたくねぇなあ」と寂しそうに眺めていた。
ばあさんは故人との関係が稀薄なのか、本人が気丈なのか、それとも冷めてしまったか。大きく崩れない彼女からその様子は読み取れない、本心が解らなかった。だが中沢の話ではその時折見せる微笑は、亡夫を引きつけるのには十分すぎた。彼も墓場の陰で先立った事を悔やんでいるのが目に浮かぶほどの微笑をたたえているらしい。同乗者の若いふたりにはそこまで読み取れなかったが。三人の孫娘に目を移せば、確かにこのばあさんの血を引いていると納得した。
しかしあの亡くなったばあさんのご主人は、世間体を余り気にしなかったようだ。この家を見ればそれも納得できそうだと中沢の講釈は続いた。
屋敷前の道は車一台がやっと通れる幅しかなかった。夜中なのに連絡を受けたのか五十がらみの男が屋敷の前に立っていた。男は喪主を確認すると垣根の切れ目にある鉄製の飾り扉を開けた。彼は中に入る車に一礼してから導いた。
玄関前の砂利の広場には車三台が楽に止められた。玄関から傘を差した三人ほどの男女が出て来た。遣り取りから女は車を誘導した男の奥さんらしい。残りの二人の男も四十を超えているがそれ以上は分からない。
三人は搬送車から降ろされるストレッチャーに玄関まで傘を掲げた。玄関の引き戸を開けると星のように散りばめられたタイルの土間を上がると、十六畳ほどのホールになっている。
片隅にピアノがあった。ホールには三つの出入り口があった。喪主は迎えの三人にはもう休む様に言った。
遺族は庭に面した長い廊下を通り、奥にある六畳の間に遺体を安置した。枕飾りを設置して隣り十畳の和室の居間に通された。喪主が掛け軸を背にして座り、隣に中沢が座り残り全員が中央の座卓を取り囲むように座った。
野々宮は廊下に面する庭を見たが、深夜で照明を落とした庭は、暗く広さが解らなかった。雑木林が取り巻く外見からはこの庭は想像がつかなかった。
「まずは葬儀会場ですがどこでなさいます?」
喪主の両隣は次男と中沢である。中沢は主にこの二人と葬儀の打ち合わせと商談を始めた。
「ご葬儀はどちらでいたしますか?」
喪主はこの家を希望したが、家を取り巻く環境が大勢の人が出入りするにも車を誘導するのも無理だった。喪主も中沢の説明にそうかと納得して、当社の広い駐車場と百人以上の弔問客にも支障ないホールを勧めると、女達が賛成して直ぐに決まった。
盛大にしかも安く挙げろが亡き父の遺言だから、喪主の長沼は最初からそのつもりだったが母親の手前、自宅葬儀を持ち出したらしい。要するに専門家に母を説得してもらう腹積もりらしい。
此処で葬儀をするには敷地は広いが周りが建て込んで大勢の弔問客の受け入れは難しく御近所さんにも、また来て頂く方々にも迷惑と不便を掛けますと中沢は老婦人を説得した。途中で菩提寺の和尚が枕経を挙げに来て、一時中断したが言い出した母親が折れてからは喪主のペースで運んだ。
自宅葬儀に拘った祖母を孫達はカマトトぶってと冷ややかに見ていた。野々宮が傘を掛けてやった孫だけは、ツンとして二人の孫とは一定の心の隔たりを保って座っていた。
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