第九話 無き者の亡霊

 八月十六日、黒川桐絵が奇妙な死を遂げてから三日が経つ。

 桐絵の死はテレビのニュースでも新聞の地方欄でも大きく取り上げられるようになった。もともと特に目立つことのない静かな街で起きた、女子大生の自殺とも他殺とも言えないような不可解極まりない事件だからかマスコミは面白がって取り上げた。

 大学の同級生の間にも衝撃が走り、大学はマスコミの対応やテレビのインタビューに応えている学生もいた。


 葉月もまた桐絵の親しい友人として、マスコミに執拗に電話をかけ続けられ、とうとう家にまで押しかけられて逃げるように、数日前に水城という警察官と話したカフェ『フリーデン』にいた。今度は水城と話した日当たりの良い席ではなく、奥につくられた個室席のような一人用の席に案内された。奥の低いソファと反対側に椅子、テーブルという他の席と作りは同じだが窓はなく、照明は吊るされたペンダントライトだけでやや薄暗く作られていたが、どうやら仕様らしい。

 見つかりにくいという意味ではこのくらいの薄暗さのほうがちょうどいいなと思いながらメニューからアイスコーヒーを頼んだ。桐絵にこの店を紹介された時に一緒に行っておけばよかったと後悔していた。コーヒーが美味しいという桐絵の姿が頭の中でこだましていた。


 葉月は桐絵の友人としては付き合いだけは一番長い。だが全くといっていいほど桐絵のことを知らない。桐絵は自分のことは話さない代わりに葉月のことを知りたがり、いつも間にか桐絵だけは葉月のことを知っている。という状況になっていた。

 だから葉月にはどうしても桐絵の自殺の理由がわからなかった。仮に自殺ではなく他殺だったとしても殺される理由があったのかどうかさえわからない。ただこれは桐絵じゃなかったとしても分からないことであった。人がどんな理由で自殺すのも、殺す動機も本人でなければわからないことだなと薄々は考えていた。だから最後には自分は桐絵の何もわかっていなかったと言う思いだけが心に残りたまらなくなる。

 葉月は座った状態からソファに横たわると、目をつぶり水城との会話を思い出して整理していた。自殺か他殺か、どのようにあの不可解な状態を作り出したのか?……理由は?……最後にあの夢は何だったのだろうか……永遠と益体のない思考に耽り、目を開いたときにはアイスコーヒーがデーブルの上に置いてあった。腕時計を見ると十分位しか経っていないのだからそっと置いておいてくれたのだろう。

 アイスコーヒーは確かに豆の芳醇な香りとコクのする美味なものであった。その上で眠気を飛ばすような苦味もあるので何杯でも飲めそうなものだった。


 しばらくの間、コーヒーを飲んでは壁によりかかり壁の模様を見ながら思考に精をだしていると、そのうちに女性の店員がやってきて声をかけられた。ハッとして腕時計を見ると、もう午後八時すぎであった。どうやら、いろいろと考えているうちに眠ってしまって閉店時間になってしまっていたらしい。

 会計をして店を出ると、空はもうすっかりと暗くなり小雨がポツポツと降っていたらたらしい。あいにくと傘を持っていなかった葉月は濡れながら帰るしかないと諦めた。


 自宅に帰る前にどうしても行きたいところがあった。

 葉月は進路を自宅ではなく新都の中央街に向かった。中央街は幾つもの光が交差していた。昼間は静かな街も、夜になると交通量も人の数も多くなり賑わいをみせ始める。

 その街の中でも、静かな場所がある。道路とマンションに挟まれた公園。街灯だけが唯一の光源であり繁華街の光などここには届かない。だが今の公園は普段とは違う。噴水には大きなブルーシートに覆われて、その周りにはKeep Outと書かれたバリケードテープが何十にも貼られて中には入れない状態であった。

 葉月は公園内のテープ外からでも見ておきたかった。友人がどこで死んだのかを。

 

 何分か、何十分経ったかわからないが、気付いたときには体中の服がびしょ濡れになり夏の雨だとしても少し肌寒くなった頃。急にあたりが暗くなったように感じた。

 街灯が電池切れを起こしたように、一つまた一つと次々に消えていく。よく当たりを観察するとどうやら消えているのは公園の街灯だけのようである。マンションも繁華街も光はあるし車の通りもある。

 突如風が吹き始める、冬の冷気をも感じさせる冷たい風が。一瞬圧倒され悪寒が体中に走り。精気を失った街灯が明るさを取り戻したことにホッとして気を取られた。


 次の瞬間、振り向いた葉月の目には異様なが視界に飛び込んだ。

 それは葉月自身が待ち望んだものではあるが、そこにであった。

 そこには、黒川桐絵の姿があった。その姿はまるで交通事故にでもあったように血まみれで見覚えのある黒いワンピースは所々破けて、血が出て見える致命的な傷は数十箇所、体全体に広がっている。

 葉月は唖然としていた。何も声が出なかった。あれほど会いたいと願っていたのにまるで死人のように冷たい瞳をしているもであり。それがこんなにも辛いことはなかった。

 精気のかけらもない黒川は、葉月に近づき手を差し出した。

 黒川は亡霊になりながらも訴えかけようとしていた。静かに口を開こうとするがうまくしゃべることができないまま、葉月の左手をとり右手のを確かに強い力で握らせた。

 黒川は最後に消えそうなほどの笑顔を作ってみせた。

 その笑顔はまばたきをしている間に雨に消えてしまった。

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