第四話 悪夢

 その夜、葉月は悪夢にうなされた。

 これが夢であるということがしっかりと理解できるほどの、奇妙な現実感いや非現実感を持ち合わせていた。そして不思議なことに、まるで実感を伴っているほどの鮮明さがあった。なおかしな話だが、寝る前にはあんなに気持ちよく眠れそうだったのにとのなかで後悔していた。


 そんな葉月は、都市部にある大きな公園にいた。なぜここにいるのかは全くわからない。

 都市部はビル群や大型商業施設や飲食店、マンションが立ち並び、計画的に設計された人工都市である。

 その中で唯一の憩いの場所として知られている公園は、周りの施設の大きさからは見劣りするがそれでも大きなものであった。高級マンションと大通りに挟まれて位置しており、空気の詰まりそうな街の中で感じられる貴重な自然であった。真ん中には円の形をした噴水が取り付けられており、昼夜問わずに水を吐き出し続けている。木々もオスの銀杏の木と紅葉の木が植えられており、秋には赤と黄色のコントラストが一面を覆う。都市の景観と少ない自然を保つためとはいえ市政は膨大な金額を公園運営につぎ込んでいる。しかし、その自然さえもはじめから人工的に計画されていたものであった。


 そんなアンバランスな形だけをしっかりと残した街は、いまは見る影もない。

 葉月は周囲を見渡す。しかし、周りのビル群や施設から漏れる光もない。道路には人の姿も、自動車一台もなく、ましてや信号機の明かりも横断歩道の音もない。まるではじめから人なんかいなかったのような、薄暗い雰囲気だけが漂っている。

 そんな異様な空気が流れる中で、葉月は驚愕した。驚愕というより恐怖に近い。これが夢でなかったら発狂しているところだった。公園の街灯はすべて消えている、それはいい。どこもかしこも明かりなんて消えている。

 いや、こんな状態なら暗闇のほうが、どれほどよかったかと感じた。


 公園の真ん中には噴水はもうない。水の音もしない。

 そのかわりに異質なほどまでの巨大な円柱型の建造物が現れた。

 葉月が噴水を視界から外したのは周囲を見渡す一瞬だけだった。その一瞬で巨大な建物が建ったのだとしたら、オカルトだと思った。しかしこれは夢である。気味は悪くても夢である限りは精神現象かレム睡眠の深層心理の見せるものと、夢の中でもあってもそんな理屈をすぐに立てようとして落ち着かせる。夢なのに考えていることも、心臓の鼓動もリアルに感じている。

  

 葉月は気味の悪い建造物から離れて、はるか上方を眺める。円柱型の建物はもともと隣接するマンションと同じくらいか少し低いくらいのものであった。隣接するマンションは地上五十階ほどの高さであった。しかし、そんなことはどうでも良かった。第一、目視で測れるものでもないしと思った。

 問題なのは、これがなんなのかだ。別に夢の中で《俺が》何を作ろうかなんて俺には関係ないけどな。


 建物の中からは、光が漏れている。ガラス張りのドアから漏れる光からは、とても人間味を感じない、冷たい陶器のような無機質なものが流れているような気持ち悪さを感じた。

 葉月はガラス戸からエントランスらしきフロアを覗く。まず最初に不思議に思ったのは、ここには受付も警備員室もないということであった。外から見る限り吹き抜け状態、尚且なおかつこのガラス戸には施錠はされていない。いやそれどころか施錠する鍵穴もオートロックするためのコンソールもない。

 ちょうど正面にはエレベーターがある。その床の作りは、大理石調の博物館を思わせるような作り。入り口からエレベーターまでまっすぐ敷かれた真紅のカーペットがある。その左右からは階段が円状に続きており、きっと螺旋階段のようになっているんだと思った。

 葉月にはこんなところに入る気は毛頭なかった。しかし、この建物を覗いているうちに身体からだ……たましいが引っ張られるような感触になり、ついに葉月は自らガラス戸を自ら開け無意識に、吸い寄せられるように入ってしまった。


 エントランスに足を踏み入れた瞬間、葉月の意識は戻ってきた。まるで人形に魂が入って驚いているかのように葉月は自分がこの建物に入っていることに驚いた。そして体中に悪寒が走った。きっと蛇に睨まれた蛙や蜘蛛に捕まった蝶の気持ちとはこういうものだったのかと。心臓を握られているのか、身体を締め付けられているのか分からなかった。

 きっとこのままここにいれば、夢でも死ぬかもしれない。という恐怖が葉月の体をつき動かした。もと来た道を睨みつけると、ものすごい勢いで走り出した。止まればもう駄目だろう。だがここから出られればなんとかなるかもしれない。そんな思いだけであった。

 エントランスの出口、ガラス戸を身体でぶつかりこじ開け、外気を吸いこんだ瞬間の出来事であった。

 それは暗黒の空から降ってきた。まるで流星か彗星ように。しかしそれは流星でも彗星でもなかった。それは人の形をしていた。そう、その人の形をした何かとぶつかる刹那、一瞬、葉月が見たのは黒川桐絵の姿であった。


 「うゎゎ……はぁ……はぁ……はぁ」

 葉月は自室にいた。

 窓は空いて風も吹き込んでいる、外も部屋の中も涼しいはずなのに葉月は汗だくになり髪の毛は水を浴びたかのように濡れて、毛先からは汗が滴っている。

 我ながら変な夢を見たと思った。しかしあれを夢で片付けていいのかと思った。またく頭が働いていない、寝起きのせいでもあるが、あの悪夢のせいだ。と静かに目を閉じた。汗が風に冷やされて寒いが、いまはそれが気持ちよかった。

 八月十三日、午前三時二十分。

 

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