第一章 時が流れた日

第一話 逃げ惑う駒

 八月の灼熱の熱気に後ろ髪を引かれ、未だに厳しい酷暑にさらされる九月。

 ビル群は昼下がりの太陽を反射し階下に歩く人々を容赦なく照らしている。アスファルトはその熱を吸収し、街全体の温度を上昇させている。

 時折吹く風は湿度を含み、生暖かさをこの街に充満させる。


 午後十二時、昼時の雑踏の中をかき分けていく男―――葉月陵はづきりょうがいる。彼は額に大量の汗をかきながら、もたつく足で繁華街の裏路地の影に消えていく。なんのテナントが入っているかわからないビルとビルの間、香辛料の香りからして洋食店や中華店がはいっているのだろう。それにきっと看板のたぐいからして居酒屋やバー、キャバクラなんかも入っているかもしれない。一度も立ち入ったことのない裏路地について考えながら何度も右や左に曲がり、とうとう自分がどこにいるのかもわからなくなっていた。


 「はぁ……はぁ……なんだってんだ、クソ」

 息を切らしながらビルの室外機の隣に壁にもたれかかるように座り込み、呼吸を整える。じっとりと汗ばんだシャツの袖で額を拭うが、すぐに意味のないことだと知った。この暑さの中、こんな熱の溜まりやすい裏路地、しかも室外機の隣りに座っていれば嫌でも汗をかく。

 葉月は顔を伝う大量の汗を感じながらよく理解のできていない、この状況を整理しようと、疲れ切った頭と体に鞭を打つように思考の迷路へと分け入っていく。

 

 腕時計の針を確認すると午後十二時五十分を示していた。

 女物の華奢な手首によく似合いそうな、綺麗に装飾された時計は誰から見ても葉月には似合わない代物であった。

 もう十時間近く逃げている。強いて言うなら亡霊の類。

 本気でそんなことを考えるくらいには、体力と頭の限界に近づいていることを知って腹から笑いがこみ上げてきた。

 なんなんだこれは……どうしてだ……クソ。早く眠りたい。のどが渇いた。そんな事を考えながら葉月は目を閉じる。


 

 

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