所詮は1/365
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「クリスマスなんて滅んでしまえ」
十二月二十五日、仕事から帰宅した彼女は、開口一番そう言った。ただいまよりも先にそんな物騒なことを言わないでほしい。
「待ってハルさん、人殺してきた顔してるんだけど。ていうかおかえり」
「殺していいならとっくに殺してるからそんなことはもう問題じゃない」
「あのね」
だいぶ荒んでるなこれは。証拠に、おれの「おかえり」に対しての挨拶がない。
と、アキはそんなことを思った。
「電車もどこもみーんな休みを満喫してるなかでこっちは明らかにビジネスです! って格好だから浮くんでしょうね? だから百歩譲って仕事なんだなって思うのはべつにいいですよ? いいですけど! 明らかに『仕事なんだな可哀想だな』って目を向けるな! こっちは仕事したくてしてるんだ、なのにどうして憐れまれなきゃならないんだよ赤の他人に!!」
「わかったから落ち着いて」
「落ち着けるか!」
「あーこりゃだめだもう」
アキは、用意していた着替えやタオルと一緒にハルさんを脱衣所に押し込めた。この時期は荒んで帰ってくる確率が高いので風呂の準備はいつも万全にしてある。
「とりあえずお風呂入って頭冷やしておいで」
脱衣所の扉を閉めて向こう側にそう声をかけて、夕飯の準備のためにキッチンへ向かった。
*
荒んでいるハルさんを落ち着かせるのに必要なのは、ただの日常だ。いつもどおりの、何も変わらない日常。だから、今日の献立は豚汁と、根菜ときのこの煮物。チキンなんかは出てこない、浮かれた空気も微塵もない、至って普通の地味な献立。
「ここでケーキとか出したら殺されそうだなぁ」
まぁ、買ってないし、作る気もないけど。
彼女が、十二月のこの時期に露骨に殺意を纏うのには理由がある。
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その「理由」を初めて垣間見たのは、まだアキがコーヒーショップでバイトをしていた頃。十二月に入ると店員の制服にはサンタ帽が追加され、店内BGMは決まってクリスマスソング。イベントごとが嫌いでない自分でさえ、クリスマスまでの一ヶ月近くをこれにされると、正直飽きる。
けれども、この時期のお客さんは、なんというかキラキラしている人の割合が多いので、なんとなく幸せになれる。結局はこの非日常っぽい空気が飽きても好きで、本業の日程を調整してまでこの時期にシフトを入れていた。
そんな折、常連であった彼女が、おそらく同僚と思われる方数人と来店した。
お客様が注文を終えて品物を待つときは、受け渡し口のすぐそばで、連れがいるときはその人たちと談笑していることが多い。だから、自ずとこちらの耳にお客様同士の会話が耳に入ってくる。注意して聞くことはもちろんないが、左から右に流しているだけのつもりでも、どんな内容の話をしているかくらいは分かってしまうことが多い。今日も例に漏れずそんな感じで、彼女とその連れの方の会話が耳に入ってしまった。
「もうすぐクリスマスかー、皆なんか予定あるの?」
誰かがそう言ったのをきっかけに、それぞれ自分の予定を話し始める。デートへ行くとか、友人とパーティーをするだとか、定番の話。こういう話をしているときの人の眩しさってなんだろう、時々目が痛くなるくらい眩しい。しかし、常連の彼女だけはずっと会話に参加せずに黙っていた。
「春風さんは?」
一人に問われて、やっと彼女は質問に答えた。
「私は特にそういうのはないかな」
分かる、春風さんはクリスマス興味なさそう。とアキは心の中で相槌を打った。そして、興味がないから、わざわざ聞かれるまで会話に参加しなかったんだろうな、とも思った。ここで予定がないと言うと、変な気遣いを生むかもしれない、楽しそうな空気に水を差すかもしれない。自分だったらそう考えて黙ってしまうだろうから。
案の定、その後少しだけ微妙な空気になってしまって、「お待たせいたしました、お品物です」の一言を言うのがたいへん気まずかったのはここだけの話。
*
ハルが十二月、とくにクリスマスを嫌うのは、こういう気遣いに疲れたから、が一つの理由。でもこれはどちらかというとおまけで、主な理由はまた別にある。それは一緒に暮らし始めてから起きた出来事だ。
十二月は月末にクリスマスもあるけれど、月初めから中旬は忘年会が開かれるシーズンでもある。その日は十二月の二週目の週末で、部署の忘年会で遅くなるからご飯はいらない、と予め言われていた。
「……遅いなぁ」
日付が変わってもうすぐ一時間、という時間だがハルはまだ帰宅しておらず、また連絡もなかった。さすがに心配になって自分の携帯に手を伸ばし電話をかけると、ほどなくして通話が繋がったが、電話の向こうから返ってきたのは、知らない男性の声だった。
『もしもし?』
「……どちら様ですか?」
予想外のことに、アキは不信感を露わにした声色でそう訊いた。どうしてハルさんじゃない人がハルさんの携帯電話への着信に応答しているのか。何か変なことに巻き込まれているとかじゃないよな?
『こんばんは。えっと、君がアキくんでいいのかな?』
「そうですけど」
『ごめんね、怪しいものじゃないよ。春風の同僚です』
「……そうでしたか」
とりあえず、犯罪に巻き込まれたとかそういう可能性は低くなって、少しだけ安心した。
『彼女、いま酔い潰れて店で寝てるんだけど、家に帰そうにもどこに住んでるか分からないし、さすがにこんな夜中に女性一人放置するわけにもいかないから起きるまで待ってて。そしたら君から電話がかかってきたから』
「それは、ご迷惑をおかけしまして」
これまでにも彼女が付き合いの飲み会に行くのは何度もあったが、酔い潰れるなんてことは今日が初めてだった。酒量もちゃんとコントロールできるタイプなのに、一体何があったのか。
「迎えに行きますね。どこですか?」
アキは同僚という男性から場所を聞き出すと、タクシーでそこへ向かった。
店について中を覗くと、確かにカウンターに突っ伏して寝ているハルがいた。おそらくその隣にいるのが、電話を取った同僚だろう。
「あのー、春風さんを回収しに来たのですが」
「あ、アキくんかな。ごめんね、こんな夜更けに」
「いえ。むしろご迷惑をおかけして申し訳ないです。おうちの方とか、大丈夫ですか」
この時間にはもう終電もないので、もし徒歩圏内でないところに住んでいたら帰れない。
「あ、それは大丈夫だよ。ここから歩いて十分くらいのとこに住んでるから」
彼はアキが何を気にしているかを察してかそう言った。ハルと同じ、仕事ができる人の雰囲気がするなぁ、なんてことをぼんやり思う。
「にしても、なんで今日はこんなことに……」
「それは、ごめん。たぶんうちの上司のせい」
「へ?」
「君も、彼女の仕事に対する姿勢は知ってると思うんだけど」
「まぁ、はい」
「うちの上司はどっか頭が固いというか前時代的というか、『どうせ女性は仕事に穴空けるんだから、ポスト与えても無駄だろ』みたいなことを考えていて、しかもそれを平気で口に出しちゃうんだよね。うちの部署は男性比率が高いせいで、上司たちはその辺の感覚が鈍くて」
「なるほど、それが地雷だったと」
「そう。しかも、クリスマスが近いじゃない? だから、クリスマスケーキの比喩話もし始めて」
「あ、あの売れ残りとかいう話……」
「そう、それ。まぁ誰だってキレるよね、自分のキャリア設計や努力を馬鹿にされた上にそんな話されたら。すぐ俺や他の男性社員で止めたけど、一度口から出てしまったものは取り消せないし、春風だって聞いたものを消すことなんかできないだろうし。ごめんね、気遣いが足りなくて」
「いえ、それは」
同僚さんはむしろ被害を最小限にとどめてくれた側だ。
「おーい、春風。迎えが来たぞ、起きろ」
同僚さんが思いっきり身体を揺するが、ハルは起きない。
「んー……」
普段は眠りが浅い癖に、こういうときは眠りが深いらしい。
「起こすのもかわいそうだし、おれ抱えて帰りますよ。タクシー待たせてますし」
「あ、そうなの?ごめんね、ありがとう」
会計は同僚さんが済ませておいてくれたらしく、精算は今度本人にやらせるから君は気にしなくていいよ、とのことだった。
「何から何まですみませんでした」
「いやいや。こちらこそこんな夜分までこいつ借りたうえに呼び出しちゃってごめんね」
「そういえば、なんでおれのこと知ってたんですか?」
自分がハルにとってどんな人なのかを知らなければ、あの電話の応対はできないだろう。そう思って訊いてみると、同僚さんはあっさり種明かしをした。
「酔い潰れて寝る直前に春風が言ったんだ、『アキのごはんが食べたい』って。それで俺が誰? って聞いたら同居人、とだけ答えて寝落ち」
「そうだったんですか」
「君と春風がどんな関係なのかはすごく気になるけど、それは今度春風に聞いた方が楽しそうだから、今日は聞かないでおくよ」
「そうしていただけるとありがたいです」
「じゃあ、気を付けてね。おやすみ」
「はい、おやすみなさい」
この一件が決定打となって、彼女はクリスマスの時期に殺意を纏って帰ってくるようになったのだった。
*
「なんか飲み物ちょうだい」
風呂から上がってキッチンへとやってきたハルからは、帰宅直後に纏っていたどす黒い何かもすっかり消えていた。
「お茶でいい?」
「うん」
アキは、グラスに麦茶を注いでハルに渡した。
「ありがと」
「もうご飯食べる? もうすこし後にする?」
「今でいいよ、アキもお腹すいてるでしょ? ごめんね、遅くまで待たせて」
「いえいえ、役得なので」
「そういうところずるいよね、アキ」
「本心なんだけどな」
予め温めておいた煮物と豚汁を器に盛り、お茶碗にご飯をよそう。冬だなぁ、なんて感じながら。
「白菜が多くなると冬だなって感じする」
配膳を手伝ってくれていたハルがそんなことを言った。
「ついにハルさんが野菜の旬を気にして……!?」
すこしオーバーリアクションぎみにそう言うと、呆れたようにハルが言う。
「さすがに馬鹿にしてるよねそれ?」
「だって食べることにほっとんど興味持ってなかったじゃん、前は」
「……言い返せない」
「うれしいなー、おれがハルさんを変えたんだー、やった」
そんな馬鹿な話をしながら二人でダイニングテーブルに座る。
「よし、じゃあ」
「うん」
いただきます。と二人の声が重なった。
(おわり)
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