10月1日
ぼくの家はマンションの5階にある503号室。家を出て鍵を締め、エレベーターを使って下まで降り、学校へと向かう。マンションの入口を抜けたところで、タイミングよくズボンのポケットに入れてある携帯電話が振動した。携帯を確認すると、1通のメールが届いていた。
ぼくの携帯はいわゆるガラケー。交友関係の少ないぼくにとってはそれで十分で、その証拠に現在電話帳に登録されているのは母さんと親友の赤木くんだけだったりする。
そんな、ほとんど誰からも連絡が来ないような携帯に連絡が来るなんて珍しいなと思いながらそれを確認する。送り主は母さんだった。
母さんは昨日の夜からずっと仕事で今朝も帰ってきていない。どうやら安否確認のようだ。内容は、寝坊していないか、朝食はちゃんと食べたかを確認するものだった。それに対してぼくは『大丈夫。今家を出るところ。行ってきます』と返信した。
メールと言えば……
しかもその内容も特殊で、お金を振り込めとか、このアドレスにアクセスしろとかそういったものではない。
件名には『divination of the spirit』と書かれていて、本文は『甲斐夏男』とだけ書かれていた。ただそれだけメール。
アドレスのドメイン部分は『ビューティープロテクト』という会社が提供している正規のドメインだったけど、@マークより前の部分が意味をなさない適当な英数字の羅列だった。だから、迷惑メールを送ることを目的として作成されたアドレス――いわゆる捨てアドだと判断してすぐに削除した。
ぼくは携帯電話をしまい、学校へと向かった。
…………
その日の学校は秋休み明けの初日ということで午前の授業だけで放課になった。
教室の中は秋休み気分が抜けていないクラスメイトたちが、これからの予定などを話しながら教室を出ていく。
ぼくもこの後行きたいところがあったので、さっさと帰ろうと腰を上げたところで、
「おい、
名前を呼ばれて浮かした腰をイスに戻した。声を掛けてきたのは前の席の赤木くん。
「知ってるって、何を?」
「
「えっ!」
大声を出して驚くと、教室が静まり返った。だがそれも一瞬で教室は再び喧騒に包まれる。
「なんかよ、上納市に住んでる知り合いがいるって奴から聞いたんだけどよ。駅の近くで黄色いテープ張ってる警察見たらしいんだよ。――んでな、見に行かね? 現場」
「ええっ!? 本気で言ってるの!?」
赤木くんとぼくとは、小学校以来の幼馴染だ。インドア派のぼくと違って、赤木くんはアウトドア派だ。この前なんか、夏休みにお父さんと一緒に登山をしたんだと自慢気に話をしてきて、そのときの様子を収めた写真も見せてもらった。
山頂で撮ったと思われるスマホの写真には本人と赤木くんのお父さんと知らない人――多分お父さんお知り合いだろう――の3にんが写っていた。
そんな正反対に思われるぼくと赤木くんは何かの波長があったのかずっと友人関係が続いている。
そんな赤木くんは結構ミーハーなところがあって、今回の提案も彼のそのミーハー心に火が点いたたのだと理解した。
「本気も本気よ。で、どうする?」
ぼくが行こうと思っていた場所は後回しにしても問題ない。それに、不謹慎かもしれないけど殺人現場というのにぼくもちょっとだけ興味があった。
「行くよ」
「よし! 決まりな。一旦帰ってチャリでオレん
ぼくは首を縦に振った。
…………
ぼくの住んでいる町の名前は
人口2万人程度で人工的な建物よりも自然の方の占める割合が多い。それはそれでいいことかもしれないけど、遊び盛りの若者たちにとっては物足りない。そのためこの街に住むみんなは隣の上納市に遊びに行くのが慣例となっていいる。
一度帰宅し、荷物だけ置いて、着替えずに赤木くんの家に向かうと、赤木くんは私服姿で家の前に立っていた。そんな彼と合流して、2人で上納市へと向った。
今日は比較的暖かい陽気に見舞われ、自転車のスピードを上げるとじんわりと汗をかいた。こんなことなら着替えてくるべきだったと、ちょっぴり後悔した。
殺人現場となったのは、どうやら
その場所に到着すると、平日の昼間にもかかわらず人でごった返していた。
野次馬が群れをなし道路にまではみ出ている。時折車のクラクションや怒号、警察の注意が飛び交っていた。
現場となった路地裏の方を見ると、そこには幾重にもなった人垣ができていて、手を上に伸ばして携帯のカメラを操作している人などがいた。当然ここからでは現場の様子は何もわからない状態だった。
「すんげぇ人だな!」
赤木くんはかなり興奮している様子。
対してぼくは眼の前の光景に呆然として「うん……」と生返事を返していた。
「よし、ちょっと行って来るわ!」
そう言って、赤木くんは野次馬根性丸出しで人混みをかき分け、ずんずんと進んでいてしまった。ぼくは流石にそこまでする気は起きず、赤木くんの帰りを待つことにした。
少し離れた場所から人垣を眺めていると、脚立の上で大きなカメラを構えている人が視界に入った。
テレビの人だ――
その人は現場の方をひとしきり撮影し終わった後、周辺の状況を伝えるためにカメラゆっくりとこちらに向かって角度を変える。ぼくはテレビに映りたくなくて、画角から外れるようにして後ずさる。と、
「うわっ!」
「おっとすまん」
後ろに人がいることに気づかずぶつかってしまった。相手が謝ってきたので、「いえ」と言いながら振り返る。
――うっ!?
その人はツーブロックでサングラスを掛けたガタイのいい男の人だった。プロレスラーかと思ってしまうくらい筋肉質で、それは服の上からでもよくわかるほどだった。
「わるい。急いでたんでな」
男の人はぼくに向かって軽く手を上げて早足で駅の方へと向かっていった。
内心ホッとしていた。
――常識のある人でよかったぁ……
もし因縁をつけられたらぼくなんか紙切れ同然でひねられていたに違いない。
人混みの中から赤木くんが戻ってきた。
「ふいー……っと」
そして彼は大きく深呼吸した。
「大丈夫……?」
「平気は平気。しっかしまぁ、すごかったぜ! 最前!」
どうやら、一番前まで行ってきたらしい。
「なんての? 黄色いテープ? あれが張ってあってさ、あとブルーシートも!」
赤木くんは興奮しながらその様子をぼくに教えてくれた。
そして、事件現場を見れたことに満足した赤木くんは、付き合ってくれたお礼ということで、駅の近くのファミレスでお昼をおごってくれた。
少し遅めの昼食のあとぼくらは帰途についた。
よほどすごかったのか、帰りの道中も赤木くんは事件現場の様子を繰り返しぼくに語った。
…………
家に帰って着替えをすませたぼくは、当初の目的だった場所に向かって自転車を走らせる。もともと都会と呼ぶには程遠い場所からさらに人里離れた方角へと進む。
ちょっぴりきつい坂道は左右を林立する木々に挟まれてはいるけれどちゃんと舗装されている。この坂道を行けば目的の場所はすぐそこだ。
坂を登りきると、立派な門が現れる。門柱には『カムライ教』と書かれた真鍮製のプレートが付けられている。
ここがぼくの目的の場所だ。
放課後は基本ここに足を運ぶのが習慣になっていた。
カムライ教は、古くからこの地に根ざした宗教で、
門をくぐって少し歩いた先にあるのは、清潔感漂う真っ白な建物。少し離れたとこにある駐輪所に自転車を止めて、カムライ教の建物に入る。
入口の扉を開けるとその先は風除と呼ばれる小さなスペースがあってさらにその先の扉の向こうがホールになっている。中に入るといつもとほとんど変わらない光景がそこにあった。
部屋の奥はステージになっていて、そこに向かって弧を描くようにして、パイプイスがきれいに並べられている。そのパイプイスにまばらに座る人たちが、壇上に祀られている偶像に向かって祈りを捧げていた。
「おぉ、今日も来たのか。感心じゃのぅ」
入り口近くに座っていたおじいさんがぼくに声を掛けてきた。
ぼくがここに来るとき、必ずと言っていい程ここいるおじいさん。顔なじみだけど名前は知らない。
おじいさんと軽く挨拶を交わして、ぼくは前から三列目の右端のイスに座った。ここに来ると、だいたいこの場所に座る。その理由は、最前列中央で、両手を組んで祈りを捧げている少女――
濃紺色の法衣に身を包んだ彼女はぼくのひとつ下で、真摯に祈るその横顔にはまだ
そして驚きなのが、ぼくより年下の彼女こそがこのカムライ教の現教祖だ。
ぼくがカムライ教に足を運ぶようになったのは母さんの影響だ。物心つく頃から母さんと一緒にここに来ていたのを覚えている。母さんはカムライ教の前教祖、杏奈さんの熱狂的な信奉者だった。だけど、今年の7月、杏奈さんが他界すると、母さんはここに来るのをピタリと止めてしまった。それは母さんだけじゃなく、カムライ教の信者のほとんどがそうだった。
杏奈さんが教祖を務めていたときはこのホールはいつも溢れんばかりの人でいっぱいだったのを思い出す。今ではもうあの頃の面影はない……
一方ぼくは杏奈さんが亡くなった後もカムライ教に通うことをやめなかった。その理由が杏珠さんの存在だ。
母さんが杏奈さんの信奉者であったように、ぼくは杏珠さんの信奉者になっていた。そこは腐っても親子ってわけだ。
ぼくは、必死に祈りを捧げるフリをしながら、祈りを捧げる彼女――杏珠さんの姿を見つめた。
…………
夕方になって家に帰ると、母さんが夕飯の支度をしていた。
ただいまと声を掛け、リビングのテレビの電源を入れると、お昼に赤木くんと見に行った事件現場が映し出されていた。どうやら、夕方のニュースで事件のことが取り上げられているようだった。全国ニュースで、自分よく知る場所が話題になっていることが信じられなかった。
そして、テレビの画面には被害者の顔写真と名前が映し出された。
「え……」
それを見て、ぼくは思わず手にしていたリモコンを落としていた。
信じられなかった。
テレビに映し出された被害者男性の顔写真。その人の名前は“
それは、先日ぼくの携帯に送られてきた迷惑メールに書かれていたものと同じだった……
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