銀の竪琴

内宮いさと

銀の竪琴

 昔あるところに、醜い楽士がいました。

 その楽士の奏でる音色は七色にも聴こえ、旅する先々で竪琴を奏でれば今にも虹が昇りそうなほどでした。

 しかし何しろ二目と見られぬほど醜いので、彼の顔を見たお客さんは皆、演奏の途中でお金も置かずに帰ってしまうのでした。

 ある夕方、醜い楽士が木陰で小さな銀の竪琴を奏でていると、それは美しく立派な楽士が一人現れました。

 醜い楽士が驚いて演奏をやめると、美しい楽士は挨拶の代わりに小さな金の竪琴を取り出して演奏を始めました。

 それは、耳も塞ぎたくなるほどのひどい演奏でした。

 醜い楽士は驚きましたが、ともかく一曲聴き終えて拍手をしました。

「ひどいもんだろう。皆、僕の見た目に誘われて音を聴きに来てくれるけれど、ちっとも上手くないもんだから全くお金も稼げやしない」

 醜い楽士が黙って聞いていると、美しい楽士は続けました。

「そこでどうだい、ひとつ提案があるんだ。見たところ君は演奏が大層うまいが、顔がまずい。僕は演奏が大層まずいが、顔は美しい」

 醜い楽士は美しい楽士をじっと見つめます。

「僕たちが二人で一人の役をするならば、きっと今よりお金も稼げるはずだ」

 醜い楽士はお金に興味はありませんでしたが、いつも演奏をおしまいまで聞いてもらえないのが口惜しかったので、彼の提案に乗ることにしました。

 

 美しい楽士の美しい演奏はたちまち評判となりました。

 醜い楽士が舞台の陰で美しい音を奏でるのに合わせて、美しい楽士が竪琴を弾く真似をするのです。

 美しい楽士も、本当の腕はひどいけれど、竪琴の心得がありましたから、お客さんを騙すのにわけはありませんでした。

 二人はお金をたくさん稼ぎました。

 初めは取り分を半分ずつにしていたのですが、ある時美しい楽士は「俺が舞台で人を集めているのだから、半分ずつに分けるのはおかしい。取り分は俺が七、お前が三だ」と言って、醜い楽士の取り分を減らしてしまいました。

 醜い楽士は、舞台にこそ出られないけれど、多くの人におしまいまで演奏を聞いてもらえて、褒めてもらえることが幸せだったので、何も言いませんでした。

 しかし、楽士達の舞台が評判になればなるほど、このまま皆を騙し続けていいのだろうかと醜い楽士は不安になってきました。

 

 ある日、醜い楽士がいつものように竪琴に触れると、不思議なことに音が少しも鳴らなくなってしまっていました。

 弦を弾いても撫でても、うんともすんとも言わないのです。

 醜い楽士は途方に暮れました。音を奏で、皆に喜んでもらうということは、たとえお金のことがなかったにしても、彼のほんとうに大事なところだったのです。

 そのほんとうに大事なところがなくなってしまっては、彼は生きる楽しみを奪われたのも同然でした。

 皆を騙した罰だろうか。そうだ、きっと神様がお怒りになったに違いない。彼は鳴らなくなった竪琴を連れて、そっと美しい楽士の元を抜け出しました。

 もぬけの殻になった部屋を見て、美しい楽士は毒づきました。

「あの野郎、皆を騙すのに怖じ気づいて逃げ出しやがった。ちくしょうめ」

 美しい楽士は金の竪琴を投げ捨てて、めちゃめちゃに壊してしまうと、醜い楽士を追うことにしました。

「あいつは、ほとんど金も持っていない。きっと遠くに行ってはいないだろう。きっと捕まえてやる」

 美しい楽士はもうひと稼ぎするつもりだったのです。

 

 元の旅暮らしに戻った醜い楽士は、先々で銀の竪琴を奏でようとしましたが、やはりうんともすんとも鳴らないままでした。

 竪琴の代わりに楽士が歌おうとしても、醜さから石を投げられ、聴いてもらえることはありません。

 誰にも歌を聴いてもらえない日々が続き、楽士はとても悲しみました。

 お金もとうに尽きていましたが、そのことよりも、神様のお怒りがまだ解けていないことが、演奏を聴いてもらえないことがとても悲しかったのです。

 

 お腹を空かせた醜い楽士は、食べ物を求めて森にたどり着きました。初冬の森では果物も木の実も動物達に取られてしまい、野草や木の皮くらいしかありませんでしたが、醜い楽士にはごちそうでした。

 腹を満たした楽士が森の奥に進むと、やがて大きな湖にたどり着きました。透き通る水面を持った、美しい湖です。醜い楽士は喉の渇きに堪えられず、湖の水で喉を潤すと、今までに味わったことのないような幸せな味がしました。思わず、美しい声で歌い始めるほどに。

 久々にお腹がいっぱいになったこと、湖面の美しいこと、その水の甘かったこと。

 誰も聞いてはいませんでしたが、心の底から歌が元気が湧いてきて、竪琴も持たずに楽士は歌いました。

「旅人よ」

 歌い終わって満足していると、楽士はふいに、透き通るような女の声を聴きました。

 見れば、湖に白絹のような衣を纏った女性が立っていました。

「美しい歌をありがとうございます。私はこの湖に住まう者です。どうか湖の世界へ来て、住人達のために歌ってはいただけませんか」

 楽士は少し考え、やがて首を振りました。人を騙し、神様を怒らせてしまった以上、許されぬ内は尊い方々に混じれないと思いました。

「この竪琴の鳴らぬ内は」

 そう答えた楽士に女性は微笑みました。

「その銀の竪琴は、本当に鳴らぬのでしょうか」

「ええきっと。人を騙した私に、神がお怒りになったのでしょう」

「いいえ、そんな筈はありません。きっとその琴は鳴るでしょう」

「しかしこうして」

 楽士は竪琴に触れました。

「神がお怒りになったとすれば、あなたが自らのために歌わなかったからでしょう」

 銀の竪琴は楽士の指に触れられて、優しい音で鳴きました。驚く楽士に女性は優しく微笑みました。

「あなたは人のために歌い続け、人に聞いてもらうことを喜びましたが、歌を自らが楽しんだことはなかったのでしょう」

 言われて初めて、楽士は一人でいたときも、二人でいたときも、ただ人に聞いてもらうことだけを目当てにしていたことに気づきました。

 楽士は自らの心を恥じました。

 そして、自らとそして人のために歌い奏でようと心に決めました。

「さあ、湖の中は音楽の国です。ついてきてください」

 楽士は湖の縁で立ち尽くしました。女性の美しさに気後れしてしまったのです。

 湖の女性は水面を指差します。

「透き通る水は真実を映します。湖の国ではあなたの心映えこそが目に映るのですよ」

 楽士が恐る恐る水面を覗き込むと、そこには美しく立派な男性が映りました。

 楽士は女性に手を引かれ、ゆっくりと湖の底へ歩いていきました。

 

「あの野郎、とうとう見つけたぞ」

 醜い楽士を追いかけてきた美しい楽士は、湖に沈んでいく彼の姿をめざとく見つけると、同じように湖の縁に立ち、やがてぎゃっと悲鳴をあげました。

 水面には、二目と見られぬ醜い楽士の顔が映っていたのです。

 楽士は驚きのあまり足を滑らせて、湖に沈んでしまいました。 

 やがて楽士の醜い死骸が湖で見つかったので、人々はもうあの七色の歌は聴けないのだと悲しみました。

 その死骸が誰のものであったか、今はもう知る人もありません。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

銀の竪琴 内宮いさと @eri_miyauchi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ