消失の先に #7
「そもそも、なんで椎名さんは今になってそんなこと気にしてんの? 自分は今まで散々いろんな男性ひっかけてたくせに」
桂の恋愛に椎名の存在が邪魔である、という椎名の理論は、そのまま同じことを桂にも言える。桂から見れば、椎名こそ絵に描いたような『幸せな恋愛』を追い求めている側であり、異性の幼馴染が恋路の邪魔になる確率は高いようにも思える。それでも椎名は桂たちとの距離や付き合い方を特に変えなかったのだから、「その存在は邪魔にならない」と自ら証明しているようなものであり、それはさっき椎名が言った理屈とは矛盾する。
それを桂が指摘すると、椎名はぎくりと肩を強張らせて目を逸らした。
「……何そのリアクション」
「いや……、自分の行動を他人が表現すると、やっぱそうなるんだなぁって、ちょっと」
桂がさっき言った『人をひっかける』という表現は、当然ながら該当する行為を褒める言い回しではない。単純にたくさんの人と出会って仲を深めることを褒めるなら、顔が広いとか人脈形成が上手とか、そういう表現になるからだ。
「ああ。……でも、それこそ今更じゃない?」
桂も、本人を前にここまで生々しい表現をしたのは多分今日が初めてだが、それに近しいこと自体は三年前から数え切れないほど言っている。
「それはそうなんだけど……」
椎名も、全く予想外のことを言われたわけではないことは肯定した。だが、それにしてはやけに歯切れが悪い。
「……椎名さん、まだなんか隠してる?」
「…………えー、と」
「この際だから、腹の中いったん全部吐いちゃえば」
どうせ腹を割っているのだから、今吐けることは全部吐き出した方が、おそらく今後のためにもなる。桂が先を促すと、椎名は今度は申し訳なさそうに肩を縮めて俯いて、そして一言。
「……気が付き、ませんでした」
「何に」
「逆でも、成立すること」
「……はぁ?」
今日はよく感嘆詞が飛び出るなと、桂は頭のどこかでぼんやり思った。軌道の読めない球が多すぎて感嘆詞しか用意が出来ない、という方が正しいかもしれないが。
「自分の恋愛は棚に上げて他人のことを心配してたの? バカじゃないの?」
そして桂が呆れて言えば、彼女は間髪入れずに反論を試みてきたが、やはりそれも球審が驚くほど軌道が読めない変化球で。
「だって! 私のはどうでもよかったんだもん!」
「え」
「……あ」
明らかに失言でした、という顔で椎名は俯くが、残念ながら覆水は盆には返らない。さすがに聞かなかったことにするには難しい発言である。色々と。
「……散々人を後処理に付き合わせといて、どうでもよかったって何?」
しばらくの沈黙ののち、おそらく摂氏で言えばマイナスの二桁はいくだろう冷えた声で、桂は椎名に問いかけた。桂は怒ると上がるより下がるタイプであるので、怒り心頭に至ると声も態度も冷たくなる。
「待って! 話すからちょっと待って顔怖い、般若!」
椎名が言うには、いま桂は表情も相当なことになっているらしい。発端が椎名なので怖いと言われようが、怒りを収める気も取り繕う気もないのだが。
「怖く見えるならちょうどいいかもなぁ」
「今その目で口角上げないで夢に出る! 弁解します、しますから!」
そしてその一言を皮切りに、蛇に睨まれた蛙こと椎名の自白は始まった。
*
椎名の奇行の発端は、確かに二十歳で迎えた同窓会ではあった。だが、それは桂たちが予想する、そして世間一般に言われる同窓会マジックという煌びやかなものではなく、動機もどうやら違うものだったらしい。後ろ向きの全力疾走、とでも言うのが適当だろうか。
「……つまり、椎名さんは自分が安心したくてあんな無茶をやっていた、と」
「う、うん。……あと、いつか邪魔者になるぞって言われたのも、その時。中高で仲良かった人には、ふつうにおばさんとか桂の話もしてたし」
椎名が言った内容に、そういえば母は椎名の三者面談にも意気揚々と出かけていたな、と桂は椎名の学生時代のことを思い出した。あれはまだ時代がすこし緩かったから許されたことでもあるわけだが、椎名と似ても似つかない、父でも母でもなさそうな大人が保護者代理として出てくるなら、友人(当時)たちにあれは誰だと訊かれることもあって当然だし、その流れで話していてもおかしくない。ついでに桂は、それを聞いたおかげで、少し前に聞いた謎の言い回しにも合点がいった。
「……それは確かに友達じゃなくても、この後友達に戻らないとも言わないか」
「はい。……それで、あの、ご納得いただけましたでしょうか」
椎名はおそるおそる、という様子で桂を窺う。同じ状態の犬の写真をインターネットで見た気がするなと、桂はどうでもいいことを思い出しながら「うん」と頷く。あの犬は確か、病院の診察台らしき台に載せられていたな、と、これまたどうでもいいことを思い出しながら。
「言い分に納得はした。でもやっぱりそのうえで大バカだなこの人、って思ってる」
「ごめんなさい! てか今日だけで何回バカって言うの!」
「さっきとは性質の違うバカだよ。僕だってバカのバーゲンセールなんかしたくなんかないし」
「ねえ、どんどん言うこと酷くなってる」
「そんだけ呆れてるってことだよ。だってそれ、その時に言ってくれれば『杞憂だよ』の一言で終わったし」
実際、さっきようやく蓋が開いたその話の着地点だって同じで、三年間も熟成させて拗らせる前に明かしてくれたら、おそらくあれよりもっと簡潔に、その一言で済んだ話だ。
「……言えないよ、そんなの。重いし」
「重くて何が悪いの。家の合鍵まで知ってる間柄で」
「でもそれを教え合ったのは、私が未成年だったからじゃん。……私から言い出すのはおかしいから言わなかったけど、いつ庭から合鍵がなくなるんだろうって思ってたし、ずっと」
確かに昨今は物騒なので、周囲の相互監視が強めの、天然防犯カメラだらけの田舎でも、家を空ける時間の長短や家人の在不在に関係なく戸締りはするべきだという考えに変容しつつあり、自治会の回覧板でもその手の啓蒙チラシを目にする機会は増えている。今はそのような時代にあるのだから、家の締め出し対策をするにしても庭に鍵を隠し置くより、ひとり一本合鍵を持つ方がはるかに安全で合理的だ。
ただ、庭に鍵を隠すことをやめれば、当然椎名は藤沢家が無人の時に家の鍵を開けられなくなる。椎名はそうなったら、もう自分には鍵を開けていい権利はなくなる——藤沢家との距離が遠くなるものだと思っていたらしい。
「そうなったらなったで、合鍵を椎名さんに渡してただけだと思うけど。ここまで関わってきた椎名さんを、今更締め出す理由なんかないから」
「……え。理由、ないの?」
「ないよ。椎名さんはもう自立してる大人で意外とちゃんとしてるから、椎名さんが自由気ままに家に上がってたところで、うちがものすごく不利益かぶることもないし」
「意外とって」
椎名から軽く苦情が挟まったが、綺麗に無視して桂は続ける。傍若無人な振る舞いに反して、たとえば飲んだくれる時の食べ物はきっちり持参するとか、寝落ちた時に借りた部屋の片付けはきちんとしてから帰るとか、そういうバランスはしっかり取るのが栗平椎名という人なのだが、スタートが台風である以上は、その淑やかさは『意外』に括るしかない。
……というか。
桂は椎名の自白を受けて、一つ、手っ取り早い解決案を思い浮かべていた。
椎名があの無茶な恋愛を通して欲しかったのが、『桂たちとの変わらない関係』という安心で、その上で要らない心配をした結果が二ヶ月の音信不通であるなら。
「そもそもだけど。自分ちの鍵を勝手に開けて上がってるのを許せる人って、もう家族みたいなものでしょ。少なくとも椎名さんは僕達のことをそう思ってるみたいだし」
「え、うん」
「だったらその相手に彼氏とその親って名前がひとつ増えたところで、関係壊す方が難しいんじゃない?」
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