第252話 同居

「萌絵ちゃん、しばらくはこの部屋使ってね」


 マンションに萌絵を連れて帰ってきた麻衣子は、使ってない和室に萌絵を案内した。

 麻衣子が以前家庭内別居の時に使用していた和室だから、布団もあるしテレビまで置いてあった。居心地は悪くない筈だ。


「ここ、萌絵が一人で使っていいの?」

「うん、テーブルとかはないから、お勉強する時はリビングの机でね。夏休みの宿題とかあるんでしょ? 」

「もう全部やっちゃったよ。暇だったから」

「萌絵ちゃん偉いんだね」


 そういうところは母親似なんだろうか。慧なら、最終日に友達がやった宿題を丸写ししてそうなタイプだから。


「偉くないよ。勉強くらいしかやることないから。友達と遊ぶとお金かかるもん、うち超貧乏だったからさ」

「小学生が遊ぶのにお金かかるの?」


 麻衣子も友達が大勢いた訳ではないが、小学校の時など公園で遊んだり、冬はお互いの家を行き来したりでお金を使った記憶はなかった。


「そりゃそうだよ。ゲーム持ってないと仲間に入れなかったり、カード集めなくちゃいけなかったり、髪留めとか洋服とか、お洒落しないと仲間外れになるんだよ」

「そうなの?! 」


 最近の小学生は、友達付き合いもなかなかハードになっているらしい。


「おばさんは……」

「おば……」


 いきなりの「おばさん」呼びに、麻衣子の顔が引きつった。小学生からしたらアラサーなどおばさんなんだろうが、親戚の子供がいない麻衣子にとっては「おばさん」耐性が著しく低かった。萌絵は大人の表情を読み慣れているのか、そんな麻衣子の表情を見て呼び方を替えた。


「お姉さんは、パパの奥さん? 」


 慧が「パパ」で麻衣子が「お姉さん」だと、外で仮に三人で食事などをした時に対外的にどうなんだろう? 慧と萌絵が家族で、麻衣子が不倫相手のように見えはしないだろうか?

 かといって、麻衣子は「ママ」ではない。


「麻衣子。私は麻衣子っていうの。名前で呼んでくれると嬉しいな」

「……麻衣子さんはパパの? 」

「奥さんだね。慧君とは同じ大学でね、同級生なの。結婚してからはそんなにたってないけど、お付き合いして十年くらいかな。ごめんね、私も慧君も萌絵ちゃんのこと何も知らなかったから」


 萌絵はブンブンと首を横に振る。


「ううん、ママもパパには内緒で萌絵を産んだって言ってたし、ママとパパは好き合ってたんじゃないって聞いてるから」


 萌絵の母親は、子供になんて話を聞かせているんだろう……。


 今は再婚した麻衣子の母親の麻希子でさえ、シングルマザーとして麻衣子を厳しく育てはしたものの、離婚した父親のことは悪く言うことはなかった。

 あの時の自分は少し頭のネジが緩んでいた……らしいが、その結果として今の自分の環境があるのだから、たとえあの頃に戻っても緩んだネジを締め直そうとは思わないと、苦々しい顔つきで言われたことがあった。

 あの頃は怖いだけの母親だったが、嫌われているとか、望まれずに生まれたとは思わなかったのは、そんなことを聞いたからかもしれない。


「ママはなんで慧君に内緒にしたんだろうね」

「萌絵ができたのに気がつくのが遅かったんだって聞いたよ。気がついた時には萌絵は大きくなり過ぎてたし、そん時に付き合ってた彼氏がいたから、その人の子供のフリして産んだらしいよ」

「え? 」

「でもさ、ママ馬鹿だから、まだ六ヶ月だとか言い張って産んだ萌絵が、三千四百グラムもあったから、彼氏に自分の子供じゃないってバレて離婚したらしいよ。だから、戸籍上のパパは他にいるけど、その人とは血が繋がってないんだって」


 あっけらかんと言う萌絵は、「子供はパパとママの愛の結晶」という考え方は欠片も持ち合わせていないらしかった。


「そう……なんだ」

「うん。ママね、恋多き女とか自称してるけど、ただの頭のネジの緩い愛すべきおバカさんなんだよ。緩いっていうか、外れてどっか転がってるんだろうなぁ」


 たまたまだろうが、萌絵は麻希子と同じ言い回しをし、さらに辛辣に虚仮威しているようだが、口調も顔つきも「しょうもないママだけど好きなんだ」と言っていた。


「でね、たまたまパパが大当たり引いちゃっただけなんだよ。だからね、別に萌絵はパパと家族になりたいとか、パパに責任とってママと結婚して欲しいとかはないの」

「そう……」

「萌絵、お掃除とか洗濯は自分でやってたし、家庭科で料理も習ったからご飯も練習すれば作れるよ。保育園で小さい子の面倒見てたし、オムツ替えとかも先生やるの見てたから出来ると思う。麻衣子さんの代わりに家事やるし、赤ちゃんとか生まれても面倒も見るよ。だから、義務教育の間は形だけでもパパの子供ってことで置いてくれないかな。パパって呼ぶのがまずかったら……慧さん? って呼ぶから」


 麻衣子はキュッと唇を噛んだ。

 普通なら親に甘えて甘やかされて不自由なく生活しているのが当たり前なのに、家政婦のように働くから家に置いてくれと言う。


「萌絵ちゃん、私ね、どんなに仕事が忙しくてもお家のことは自分でしたいんだ。赤ちゃんのこともね、授かりものだからいつうちにきてくれるかはわからないけど、私がお世話したいんだよね」


 萌絵は困ったとばかりに眉を下げる。


「じゃあ、萌絵のこと追い出す? 」

「まさか。私の代わりに家事をする必要はないけど、お手伝いしてくれれば嬉しいよ。それに、慧君のこともパパでかまわない……と思う。慧君が何て言うかはわからないけど、萌絵ちゃんは慧君がパパだって思ってるんだよね」


 慧は、寝室に籠もって出てきていない。萌絵を押し付けられたと拗ねているのだ。慧が萌絵の父親かどうかはわからないが、慧が萌絵の存在を受け入れるのには、少し時間がかかるかもしれない。


「小さい時から、これが本当のパパだって言われてあの写真見てたから」


 あの写真って、上半身裸でベッドで寄り添って自撮りしていたあの写真だろう。……あの写真を「パパよ」と幼い子供に渡す親も親だと思う。ただ、どんな写真でも、本当の父親だと言われて渡されたのなら、きっと萌絵にとっては唯一父親に繋がる大切な写真だったろうし、きっと素敵なパパを想像したことだろう。


「あのね、お母さんから慧君のことはなんて説明されてる? 」

「大きな病院の息子で、お金持ち。女性にだらしないって言ってたかな。女性にだらしないってどういうこと?」

「どういうことだろうねぇ」


 麻衣子は明後日の方向を向いてしらばっくれる。さすがにセフレが数人いるような男のことだよなど言えない。


「萌絵ちゃん、荷物はそれだけ? 」


 麻衣子は話をそらすように、萌絵が持ってきた荷物に目をやった。パンパンにふくらんだランドセルに、学校の道具が詰まってると思われる紙袋、それ以外は衣服が入っているだろうキャリーケースだけだ。萌絵はランドセルを背負い、キャリーケースの上に紙袋をのせて松田家のチャイムを鳴らしたらしい。小学生が一人で運ぶには重すぎる量だが、これが萌絵の全財産かと思うと少な過ぎる量だ。


「うん」

「中、見てもいい? 」

「いいよ」


 とりあえず洋服の確認をすると、夏服二〜三枚枚に冬服も同じくらい。下着も少なかった。ダウンなどは多分丈が足りなそうだし、衣類もお古なのか襟はヨレヨレだし裾は擦り切れていた。


「これだと洋服足りないねぇ」

「そうかな? 毎日洗えば大丈夫だよ」

「うーん、うちは週にニ回、多くても三回くらいしか洗濯機回さないからな」


 二人暮らしだと、一日おきくらいの洗濯で十分だと言うのは本当だったが、萌絵に新しい洋服をプレゼントしたかった麻衣子は、「ちょっと待ってね」と萌絵を和室に残し、寝室のドアをノックした。もちろん返事などはないが、気にせず寝室に入る。昴は寝っ転がってスマホでゲームをしていた。


「慧君、これから萌絵ちゃんと買い物行ってくるけど、何か欲しい物ある?」

「……」

「じゃ、留守番よろしくね」

「……おまえ、嫌じゃないのかよ」


 麻衣子が部屋を出ようとすると、慧がムクリと起き上がって言った。


「よくわからない……が正しいかな。いきなり慧君の娘だって言われても実感湧かないし、赤ちゃんとか幼児とかなら浮気! ってなるけど、もう小5だしね。それに、萌絵ちゃんはいい子みたいだから」

「あれは絶対に俺の子じゃねぇ」

「あれじゃなくて萌絵ちゃんね。万が一他人だとしても、一応慧君が知っている人の娘ちゃんでしょ」

「万が一ってな……」


 麻衣子は慧がブツブツ何か言っているのは無視し、萌絵の待つ和室に戻った。


「慧君が買ってこいって。だから行こう」

「パパが? 」

「そう。軍資金も貰ったからね。下着から洋服まで、パーッと買い物しよ」


 麻衣子が手を出すと、萌絵はその手をギュッと握った。


「本当にいいのかな? 」

「いいの。いいの。私に可愛いの選ばせて」

「うん」


 嬉しそうに笑う萌絵は、年齢よりも幼く見えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る