第251話 写真は語る
「白石……」
白石なんて名字に覚えは……あるか?
慧は萌絵の顔を見ても、さっぱり誰のことも連想できない。すでに過去(高校時代)のセフレの顔も朧気だし、名前なんてもっと記憶になかった。そんな最低な慧の思考を読んだ麻衣子は、少し屈んで萌絵の顔を覗き込んだ。
「萌絵ちゃん? だよね、お母さんのお名前は? 」
「
慧を見ると、やはり全く思い出せないらしく、ただ首を捻っている。
「萌絵ちゃんは何歳? 」
「十一。小学五年だよ」
十一ということは、慧が高三……いや萌音さんとやらのお腹に宿ったのは高二くらいかもしれない。
「高ニ、高ニ、高ニ……」
ブツブツ呟く慧を横目に、きっと高校ニ年生あたりのセフレのことを片っ端から思い出そうとしているんだろうと想像でき、できれば今の慧の頭の中は見たくないなと思う麻衣子だった。慧が爛れた高校生活を送っていたのはすでに知っているし、今更過去に嫉妬もできないが、子供の存在があるのなら無視もできない過去だ。
「とりあえず玄関先でする話じゃないわ。家に上がってちょうだい」
確かにその通りだ。
玄関で靴を脱いで家に上がる。リビングに行くと、顰めっ面の慧の父親の修平がソファーに座っていた。
「八重さん、あっちで萌絵ちゃんにお菓子食べさせてあげて」
「承知致しました。萌絵ちゃん、美味しいクッキーがあるのよ。キッチンまでいらっしゃい」
萌絵は不安そうに慧を見ていたが、素直に頷くと八重とリビングを出て行った。
「慧、あなたこの人に見覚えは? 萌絵ちゃんから借りたの」
紗栄子がテーブルに数枚の写真を並べる。今よりは少し幼げだが、明らかに慧とわかる少年と、少し年上だろうか? 化粧の濃い女性が、明らかに事後漂うベッドの中で並んで自撮りしている写真数枚と、それよりは年を取り落ち着いた雰囲気の三十中頃くらいの萌音さんと思われる写真が一枚あった。
合成でもなんでもないその写真に、麻衣子の眉がわずかに寄る。
「まいちゃん、不愉快な写真を見せてごめんなさい。本当は慧だけに見せて、確認が取れたらまいちゃんに話そうと思っていたのよ」
「……全然記憶にない」
修平が立ち上がり、慧の胸ぐらをつかんだ。
「おまえは……おまえってやつは」
「あなた、止めて下さい。派手に言い合ったら、萌絵ちゃんに聞こえてしまうかもしれないじゃないですか」
修平は唇を噛み締め、憮然としてソファーに座り込む。
「いや、確かにあの時期は少し派手にやってたけど、ヘマするような真似はしてないぜ。何より病気も怖かったからな。正直この女は覚えてないけど、この場所は……まぁわかる。もしかしたら関係があった女の一人かもしんねぇな。でもさ、避妊を完璧にしたのは絶対だ」
修平はがっくりと肩を落とし、紗栄子は真っ青になってワナワナ震えていた。
「慧君……ゴムは避妊率100%じゃないよ」
「じゃあなんだよ、さっきのが俺の子供だって証拠もないだろ。できたのだって知らなきゃ、認知だってしてないんだから。勝手に産んで、あなたの子供よとか言われても意味わかんねぇし。第一、あいつは何がしたい訳? 今更認知? 養育費とか? 」
「萌絵ちゃんの話によると、半分以上育てたから、残りの成人するまではお父さんに面倒見てもらいなさいって、この写真とうちの住所を渡されたらしいわ」
「は? 」
「……お母さんは? 住まいとかわかるんですよね」
紗栄子は苦虫を噛み潰したような顔で言葉を吐き出す。
「もういなかったわ。住んでたアパートはもぬけの殻、大家さんに聞いても転居先はわからなかったの。萌絵ちゃんいわく、最近彼氏ができたみたいだから、その男性のところかもしれないけれど、萌絵ちゃんは会ったこともなかったみたいで、住まいはわからないらしいわ」
麻衣子は、さっきの萌絵の姿を思い出す。体質的に小柄なのかもしれないが、小学五年生にしてはかなり小柄で、低学年くらいにしか見えなかった。萌絵が小学校に行っている間に彼氏とデートしていたのなら良いが、もし夜に抜け出していたり、土日に萌絵を放置してデートしていたりしたのなら、彼女はちゃんと三食食べれていたのだろうか?
「DNA鑑定でもなんでもすりゃいいだろ。子供置いていなくなるような女、俺以外にも男いただろうし」
「慧君! 」
廊下をパタパタ歩く音がし、麻衣子は慌てて慧の腕を引っ張って黙らせた。いつもは飄々としている慧が、さすがに隠し子(本人無自覚)の登場に動揺していたようで、萌絵がヒョッコリ顔を出すと、居心地悪そうに押し黙ってしまった。
「おばあちゃん、八重さんが大変。腰が痛いって動けなくなっちゃった」
「ギックリ腰ね、大変だわ。あなた、ちょっと診てきてちょうだい」
「おじいちゃん、こっち」
萌絵に手を引かれて修平がリビングを出て行くと、紗栄子がうっとりと呟いた。
「……おばあちゃん」
「オフクロ」
「ウウッン。だって、そう呼ばれるのが夢だったんだもの。しかも女の子の孫だなんて」
「孫じゃねぇっつの」
紗栄子はハッとしたように麻衣子を見て、申し訳無さそうに肩を落とす。
「DNA鑑定は……いづれしないととは思うわよ」
「いや、すぐやれよ」
「慧君、今は駄目だよ。お母さんがいなくなって、それでなくても不安だろうに、お父さんって思っている人に拒絶されたら、あの子の居場所がなくなっちゃう」
「だからって」
「もし慧君の子供じゃないとしてよ」
「俺の子供確定みたいな言い方は止めろって」
「血縁関係のない全くの他人だってことになったら、あの子はどこに行けばいいの? 」
慧はムスッと黙り込む。
「そうなのよ! それが私も心配してたところよ」
「嘘つきやがれ。おばあちゃんって呼ばれて浮かれてやがった癖に」
言い捨てる慧に、なんとなく居た堪れない雰囲気が流れつつも、麻衣子は話の流れを戻そうと咳払いをした。
「お母さんがすぐに迎えにくるかもしれないし、少し様子を見てもいいんじゃないかしら。今、小学校は夏休みよね? なら、夏休みが終わるくらいまででも」
「そうよね、しかるべく所には届けを出して、とりあえずしばらくはうちで面倒をみましょ。ただ、八重さんがギックリ腰だと……ちょっと困るわね。私、明後日から二週間海外に行くのよね」
「は? 」
「今からじゃあの子のパスポートもとれないし、本当の保護者じゃないから申請も難しいのかしら? それにお父さんも明日から学会で北海道なのよね」
「……ババァ」
困ったわと頬に手を当てて考える姿は、おばあちゃんと呼ぶには可愛らし過ぎるが、それはもう麻衣子達に面倒を見てくれと言っているようなものだろう。
「お義母さんが戻ってくるまで、うちで預かります。私も仕事があるので食事のお世話くらいしかできませんけど」
「十分よ。朝は慧と一緒に病院にこさせてくれればいいわ。職員用の保育所があるから、そこで過ごせばいいんじゃないかしら」
「あいつ、小学生だろうが」
「あいつじゃなくて萌絵ちゃん。ちゃんと名前で呼びなさい。保育所じゃなくても、裏に公園もあるし、近所には図書館もあるから、家で一人で過ごさせるよりはいいわよ」
「そうですね。私もしばらくは定時で上がれるように仕事調整します」
「ありがとう、まいちゃん。もし今回のことでうちの愚息に嫌気が差して別れることがあっても、まいちゃんはずっとうちの娘でいてね。愚息の方を追い出すからね」
紗栄子が涙目で麻衣子の手をしっかり握り、麻衣子は困ったように微笑んだ。
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