第246話 プレハブ三日目 2
すでに最終はない時間、何故か松永と向かい合って缶酎ハイを飲んでいる。弁当類は全て松永の胃におさまり、目の前にはポテチやらスルメイカが並んでいる。
松永はそこそこ酔っぱらっているのか、時間を気にする様子もなく、双子の甥っ子愛を語っていた。語るだけでなく、赤ん坊からの写メまでガッツリ説明付きで見せてくれる。動物と子供はテッパンの癒しだ。
固く強張った麻衣子の心が、ホッコリと緩んでいく気がした。
「あ……酒なくなったっすね」
「……だね」
一晩飲みあかせるほど麻衣子は酒が強くない。そして松永は仕事で残業した訳じゃないから、仮眠室の使用もしにくいだろう。そして既に電車はない。
「じゃ、俺はそろそろ」
「電車ないでしょ。どうするの? 」
「あー、マン喫とか駅前にあるから大丈夫っすよ」
「そんな、タクシー代出すよ。ちゃんと帰りなよ」
「いや、タクシーなんかもったいないすから」
「でも……」
「じゃあ……朝まで飲み明かしますか? 」
「えっ? いや、でも……」
帰る手段のない後輩を追い出すのも戸惑われ、でもいくら後輩でも男子とベッドのある部屋で飲み明かすのもどうかと思われた。
「大丈夫っすよ。俺、松田さんの旦那さんみたいに酔っぱらった女子に手を出したりしませんから。いくら気になる相手でも」
「エッ? 」
松永はボリボリと頭をかく。
「すいません、実はさっき社長がここに来た時、外にいたんす。事情を聞くにしても、男女が人目のない場所で二人っきりでいたら誤解を招くからって。最初は話の聞こえないあっちの隅にいたんすけど……」
「そう……なんだ」
「すみません、つい気になって盗み聞きするみたいになって」
それはまぁ良い。自分の恋愛事情(慧の浮気事情)が後輩にオープンになったのは恥ずかしいが、松永は言いふらすような口の軽い男ではないことはわかっている。それに、この差し入れやらなんやらは、麻衣子の話を聞いて松永なりに気を使ってくれたのだろうし。
問題は、「気になる相手」ってとこだ。
「松田さんは、旦那さんとこれからどうするつもりっすか」
「どうする……って」
「俺の知り合いにも
麻衣子の気持ちがズンッと下がる。
「そうかもしれないね。でも、慧君は最初からブレずにそういう人だし、でも積極的に浮気するってタイプでもなくて……」
「嫌じゃないんすか」
背中に浮気の跡を見た時、送りつけられた姿の見えない動画で声だけの情事を聞いた時、急激に狭まる視野に胃が握りつぶされるような感覚、背中に流れる冷たい汗を思い出す。
「……嫌に決まってる」
「そういうの、これからもずっと我慢していくんすか? その価値が旦那さんにあるってことですか? 俺ならそんな我慢絶対にさせないのに」
両肩を強くつかまれ、麻衣子はポロポロと涙をこぼした。
「痛いよ、松永君」
「すいません」
思ってもみなかった松永からの気持ちに動揺が隠せない。「気になる相手」「俺ならそんな我慢させないのに」って言葉、麻衣子の思い違いじゃなければ、松永は麻衣子に好意を抱いているんだろう。それがどの程度のものかはわからないが、冷え冷えした麻衣子の気持ちを温めるには十分だった。
麻衣子もすでに松永に対して、ただの後輩以上の気持ちは持っていたから。大きな身体は安心感を、さりげない優しさは穏やかな気持ちを麻衣子にもたらしてくれた。
でも……。
「慧く……夫とのことはまだよく考えられないの。ただ、今は側にいるのが辛くて。だからどうしたいとかまではまだ……」
「そう……っすか。」
松永は自分の拳をギュッと握りしめると、ニカッと笑顔を作った。
「しっかり悩んだ方がいいっす。そんでもって、旦那さんときっちり話し合ってください。もし手助けが必要ならいつでも言ってください。愚痴でもなんでも聞きますから」
松永はヨイセッて立ち上がると、ヨレたズボンをパンパンと叩いた。
「帰ります」
「でも……」
「襲っていいすか。酔った勢いじゃなくて合意で」
「……」
まさかうなずける訳がない。
「冗談すよ。きちんと鍵かけてくださいね。ゴミ捨てお願いします」
「うん、気をつけて」
麻衣子はこれ以上引き止めることはしなかった。
一人になった部屋で、スマホが着信しているのに気がついたが、麻衣子は慧からの電話に出ることはなかった。
★★★
佳乃に帰りのタクシー代を叩きつけ、後は知らんと愛理の家を出た慧は、自分の家のリビングでスマホとにらめっこをしていた。
もう最終電車もなくなった時間、まさかまだ麻衣子と松永とやら後輩は一緒にいるなんてことは……ないよな?
麻衣子が浮気するなんてことはないとは思うが、あのガタイのよい男に押し倒されたりなんかしたら、麻衣子の細腕じゃどうにもならないじゃないか。両手を一括にされ、好き勝手弄り倒されている麻衣子を想像してしまい、慧は頭をガリガリ掻きむしる。
麻衣子は無茶苦茶感度がいい。もちろんそう教え込んだのは慧だ。無理やりだろうが、ちょっとこねくり回せばすぐに潤い滴る。基本、慧の要求にノーと言わない麻衣子だ。いつでもどこでも、流されるように抱かれるのは、相手が慧だから……と思いたい。
麻衣子と付き合う前は、セフレが当たり前、複数人と同時進行で身体だけの関係とかが当たり前だった。慧にとってSEXは気持ちが良い運動であり、排泄行為(溜まるから出す)みたいなものだった。
麻衣子と付き合った当初もたいして意識は変わらず、バレなきゃいいだろうとか、ちょっとだけだし……なんて安易に他の女に触れてきた慧だった。その度に麻衣子を傷つけてきた。それでも最後は麻衣子は慧を受け入れてくれて……。だから甘えていたのかもしれない。
佳乃にベタベタされても、拒否るのが面倒でそのまま放置した。だから佳乃は自分が受け入れられる筈だって勘違いしたのかもしれないし、その積み重ねがあるから、今更どんなに拒否しても攻め²押せ²で諦めやがらないんだろう。
きちんと拒絶してこなかった自分のせいとはいえ、くだらない佳乃の策略で麻衣子に誤解されて家出されちまうし、弱った麻衣子を攻略しようとする男の影もチラホラ見えるし……。
慧の思考を麻衣子に当てはめるなら、慧にバレない今ならヤり放題な訳で。慧はスマホを睨んで大きなため息を吐く。自分は今までたいした罪悪感も感じずにしてきたことが、いざ相手にされる(された訳じゃねーけど! )とこんなにダメージがでかいとは?!
慧は麻衣子の電話番号をタップした。
しばらく呼び出し音が鳴り、留守番電話に繋がった。
で……でやがらねぇ。
慧の眠れない夜が過ぎていった。
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