第242話 プレハブ一日目
麻衣子はスマホの画面を見つめていた。
沢山の着信は、慧と慧の母親の美沙子から。ラインには美沙子から何件も入っていて、大まかにあの出来事の真実(美沙子目線の)と結末が記されていた。
慧は爆睡してて佳乃が上に乗ってることに全く気がついてなかったとか、佳乃は疑似セックスのような動きをしていたけど実際は洋服はきちんと着ていたとか、慧に佳乃への気持ちは全くなく佳乃の独りよがりな気持ちであったとか。
こんなことをしでかした佳乃を下宿させるのは止めて、アパートを借りさせて松田家への出入り禁止、慧との接触禁止を言いつけたとのことだった。
麻衣子はそんなラインを見て、正直「そうですか……」としか感想がわかなかった。感情が気持ちの表面を滑って消えていくようで、嬉しいとか悲しいとかの感情が湧いてこない。
慧からの着信はあったものの、留守電にも入ってなかったし、ラインもメールもなかった。
あんなに乗っかられて、しかも局部を擦り合わされるように動かれて、本当に寝ていられたのかとも思うし、最初は寝ていたにしろ、寝たふりをしていたんじゃないかとも思う。もし仮に、ちょっと信じられないが本当に寝ていたとして、逆に起きていた時に佳乃に迫られてたら、自分が見たのは着衣の二人じゃなく、確実に既成事実の真っ最中だったんじゃないか? そんな考えが浮かんでは消え、麻衣子の感情がどんどん抜け落ちて行く。
麻衣子は全くもって慧を信用していなかった。自分を守る為に感情を削ぎ落とすしかなかった。
「お姉ちゃん、今日はどうする? うちに帰ってくる? 」
杏里は結局何も聞いてこなかった。一晩他愛ない話をし、一緒に枕を並べて眠った。それが凄くありがたかった。
麻衣子はスマホの電源を落として洗濯機の上に置くと、仕事に行く為に化粧を再開する。
「今日は帰るわ」
「大丈夫? うちはいつでも大丈夫だからね」
「佑君に悪いでしょ」
「大丈夫! あいつは一週間くらいなら渡り歩けるくらいの知り合いはいるから。最悪、会社に泊まればいいのよ。仮眠室は充実してるみたいだから」
仮眠室か、そういえば会社にもあったなと思い出す。会社の屋上に、社長の忠太郎がつい最近まで住んでいたプレハブもある。忠太郎はうちのマンションの最上階に越してきていた。本当は恋人の愛理の隣の部屋(麻衣子達の部屋)を熱望していたのだが、慧が引っ越すのを億劫がって、頑として売らなかったのだ。
会社には置きスーツが数着あるし、下着メーカーということと、モデルをしたおかげか、麻衣子のサイズの下着も箱単位である。
家に帰らなくても良さそうだと思うと、初めて麻衣子の表情が緩んだ。それを見た杏里は、思っていたよりも最悪な状況じゃないのかもと安堵した。
「本当に本当に大丈夫? 」
「大丈夫よ。ごめんね急にお邪魔して。佑君にも謝っといて」
最後に口紅をひき、麻衣子はポケットにスマホをしまった。BBQとはいえ義理実家の集まりだった為、昨日はキッチリしたワンピースを着ていた。杏里からジャケットを借りればスーツに見えなくもなかった。バストサイズが違うから、ちょっと前はしまらないけれど。
麻衣子は余裕をもって杏里宅を出て会社へ向かった。
★★★
麻衣子は部署の殆どの人が帰った後も仕事をしていた。もちろん、会社に泊まる気満々だ。
「松田さん、帰らないんすか? 」
同じく残業していた松永が帰り支度をしながら声をかけてきた。
「うーん、もう少しなやろうかなって。社長に屋上のプレハブ泊まる許可取ったから、今日は会社に泊まろうかと」
「プレハブって、元社長の家っすよね? 松田さん、社長と親しげだとは思ってたけど、まさか」
「勘違いしないでね。社長の彼女の愛理ちゃんと親しいのよ。家が隣なの」
今回のプレハブの使用も、慧と喧嘩して家に帰りたくないから、数日プレハブを借りれないかと、愛理を通して忠太郎に許可をとったのだ。愛理は自分の家でもいいんですよと言ってくれたが、自宅の隣に家出もないなと、ありがたく辞退した。愛理から事情を聞いた忠太郎はあまり拗らすなよと、苦笑しながらもプレハブの鍵を貸してくれたのだ。
「なんだ、てっきり社長と大人な関係なのかと思ったっす」
「いやね、そんな訳ないでしょ」
松永と軽口を叩ける自分にホッとする。まだ自分はそこまで追い込まれていないんだと、ただまだ慧に会いたくないだけで、少し時間を置けば元に戻れるんじゃないかと思えた。
「松田さん、夕飯はどうするんすか?なんか買ってきましょうか? 」
「あまり食欲ないんだよね」
「でも、昼飯も食べてなかったっすよね」
年下の松永に睨まれ、麻衣子は少し反抗してみる。
「食べた……よ? ゼリー飲料」
「それは食事じゃないっすね」
「そう……かな」
「飯、奢ってください。俺、今月ピンチなんす。安くて早くて美味い蕎麦屋知ってるんす。すぐ行ってすぐ帰ってこれますから」
「あ、うん、いいけど」
ほら立ってと手首をつかまれ、松永に引っ張られるように会社を出た。会社を出てすぐ、裏通りを駅の方面に腕を引かれたまま歩くと、立ち食い蕎麦屋があった。入口すぐの食券機で食券を買い、カウンターごしに食券を渡すと、一分も待たずに丼が目の前に置かれた。
「早いっすよね」
「そうね」
麻衣子は月見うどん、松永はたぬき蕎麦大盛りにカツ丼を頼んだ。二人合わせても千円をわずかに超えるだけという激安だった。
温かくて美味しくて、お腹の中からジワジワ染み渡る。
「顔色、よくなりましたね」
麻衣子の倍以上の量をペロリとたいらげた松永は、麻衣子の方を向いてニカッと笑った。
それで初めて心配されてたんだと気づいた。奢ってと言いながら、麻衣子に食べさせる為に連れ出してくれた松永の優しさが嬉しかった。しかも、どちらかというと肉食の松永だ、食欲のない麻衣子に合わせて蕎麦屋にしてくれたんだろう。
「ちょっと切羽詰まると、すぐに食事が抜けちゃうの。駄目ね」
「朝、昼、晩、ちゃんと食べないとっすよ。それでなくても松田さんは細いんだから」
「うーん、気をつけるね、ありがとう」
松永は会社まで送ってくれ、松永と別れた麻衣子は残りの仕事をやり終えると屋上のプレハブへ向かった。プレハブにはトイレもシャワーもないが、忠太郎が住んでいただけあり、冷暖房はついているし、テレビや冷蔵庫などの家電もあった。
麻衣子はスマホを充電器にさすと、ひとまず仮眠室へ移動してシャワーを浴びた。しっかり髪の毛まで乾かして、仮眠室にある毛布やらシーツをプレハブに運ぶ。ロッカーから置きスーツや下着なども運んだ。全て運び終わって落ち着いた時にはすでに日をまたいでいた。
昨日は杏里の家に泊まるとだけはラインで慧に連絡した。今日のことはまだ知らせていない。仕事中はスマホの電源を落としていたので、慧から連絡があったかもわからない。
麻衣子は、スマホの電源を入れてみた。
愛理からと杏里からラインが入っていた。愛理には、プレハブで快適にすごしてます、ありがとうと送り、杏里にはノープロブレムのスタンプを送っておいた。
慧からの連絡はなく、ラインで会社に泊まりますとだけ送ったが、既読もつかなかった。
美沙子からの状況説明メールはあったが、慧からは何もないままこの日は終わり、麻衣子は毛布にくるまり眠ろうと努力した。
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