第240話 BBQ 松田家にて

「ひゃあ、あいかわらず立派な家だね」


 杏里は焼肉というよりガッツリステーキを皿にのせ、片手にビールを持ってBBQ会場となっている松田家庭を見回した。身内のみと聞いていたが、病院関係者や製薬関係者もいるらしく、そこそこパーティーっぽくなっていた。


「お姉ちゃん肉食べないの? そういやお義兄さんは? 」

「さあ? 」


 慧は今日は夜勤明けだったか、来るのは別々に来た。義理実家についてすぐに慧を見かけたが、慧の仕事関係の人もいたらしく、BBQが始まってすぐにおじさん達に拉致られてどこかへ行ってしまったのだ。佳乃も友達数人呼んでいるらしく、庭の端っこで勝手に盛り上がっているのが目に入った。


「私、八重さん手伝ってくるわ」

「じゃあ私も」


 杏里と二人家に入り、BBQ以外の料理を作っている八重のサポートをすることにした。広いキッチンで着物姿の八重がパタパタと動き回っていた。さすがお手伝いさん歴四十年以上、四ツ口コンロフル使用で次から次へ料理を仕上げている。


「八重さん、お手伝いにきました」

「あら麻衣子ちゃん、妹の……杏里ちゃんだったかしら? 助かるわ。出来上がった料理を運んでくれるかしら?あと、食べ終わったお皿をかたしてきてくれると助かるわ。お酒は足りているかしらね」

「あ、私運びます。ウマッ! 八重さん料理上手過ぎ」


 一口つまみ食いした杏里が、器用にお皿を両手に二皿づつ持って運んでいく。


「もう、お行儀悪いんだから。私、お酒の方見てきます」

「じゃあ、ビールをクーラーボックスに補充お願いできるかしら」


 麻衣子は巨大冷蔵庫から冷えたビールをお盆に乗せると、再度庭に戻った。焼き係は慧の兄の彬と、兄嫁の美鈴だ。


「お酒、足りてますか? ビール補充しにきました」

「麻衣子ちゃん、ちょうど良かった。ビールなくなりそうだったんだ」

「お酒配るの手伝います」

「いいの? 可愛い女の子にお酌されたら、おじさん達デレデレになっちゃうわね。セクハラされたら報告してね。外科部長とかセクハラ大王だから」


 居酒屋バイト歴が長い麻衣子は、それなりに酔っぱらいのおじさんの躱し方は身についている。愛想良く、適度な距離を保ちつつ、コップが空の人達にお酒をすすめていった。カクテルも数種類作れるように用意されていたので、麻衣子は女性達にはカクテルも作ってあげた。


「あ、私カルーア飲みたい」


 友達達と肉を取りに来た佳乃は、麻衣子がカクテルを作っているのを見て、お酒を注文してきた。

 未成年だからというのもあるし、何より佳乃は松田家に居候させてもらっている身だ。お客様然としているのはどうなんだろうと思う。


「私カルーア、あんた達は? 」

「私はカシスオレンジ、文香は? 」

「烏龍茶お願いします」


 一人はいかにも佳乃の友達というような若さと可愛さを武器にしているような女の子(保奈美)で、もう一人は落ち着いた雰囲気の美人さん(文香)だった。

 佳乃と保奈美は出されたカクテルを当たり前のように受け取り、文香は「ありがとうございます」と頭を下げた。去り際に、「あれなら佳乃が楽勝だよ」と保奈美が佳乃に囁やき、「おばさんなんかに負ける訳ないじゃん」と佳乃がわざと聞こえるように言ってきた。ケラケラ笑いながら去っていく彼女らは、いかにも十代女子って感じで、怖い物知らずで無敵でパワフルだ。

 麻衣子はそっとため息をついた。


「何あれ?! 」


 いつの間にか麻衣子のそばに来ていた杏里が、不愉快そうに佳乃達の背中を睨んでいた。


「この家に四月から居候してる佳乃さん。お義母さんのお友達の娘さん」

「下品な女。あんなんにお姉ちゃんが負ける訳ないじゃん。何言ってんだか。鏡見てこいって感じ」

「杏里」


 杏里は佳乃に向かって舌を出すと、ビールを缶のまま煽った。


「杏里、飲みすぎないでね」

「これぐらいなんともないよ。お姉ちゃんは飲んでるの? 」

「まだお腹にいれてないから」

「お肉もってこようか? 」

「うーん、今はいいわ。杏里はいっぱい食べて飲んでね」

「私はいっぱい食べたよ。お酒は私が代わるから、食べ物食べておいでよ」

「じゃあ少しだけ」


 心配そうな杏里を安心させる為、少しでも食べようと辺りを見回した。肉は重すぎるから、八重の作った和食でも貰おうか。庭からリビングに上がり、料理を選んでいると、何やら廊下で言い合っている声が聞こえてきた。声は抑えているが、女性が喧嘩しているんだろうか?

 飲み過ぎて怒り上戸になる人もいるし、もし言い争いをしているのなら仲裁に入った方がいいかもしれないと、麻衣子は廊下へ続くドアの方へ近寄った。


「さすがに駄目だよ、止めた方がいいよ」

「何でよ。佳乃に協力するって約束じゃん」

「だからって、隠し撮りとか……」

「証拠が重要でしょ。大丈夫、佳乃になら慧さんだってその気になるって。飲んだ勢いでとか言えないようにさ、証拠押さえとかないと。飲んで覚えてないとか言われたら、責任とってとか言えないじゃん」

「そんなことしたら駄目だよ。人様の家庭壊すことになるんだよ」

「別に子供いる訳じゃないし、たいしたことじゃないよ。それにほら、三十分しても戻ってこなかったら来てって言ってたじゃん。もうすぐ三十分だし、うまくいったんだよ」

「ごめん、私は協力できない」

「文香、待ってよ! 私一人じゃ嫌よ」


 バタバタと足音がし、玄関から出て行く音がした。それを追うようにもう一人も出て行ったようだ。


 証拠? 責任? うまくいくって何が?


 麻衣子はリビングから出ると、足音をさせないように階段を上った。二階の角部屋、そこに慧の部屋があり、結婚した今もそのまま残っている。

 ドアはかすかに開いており、中からギシギシいう音と、女性の艶めかしい息使いが聞こえてきた。


 まさか?! という気持ちと、またか……という気持ちで視界が狭くなったように感じた。


 部屋の中では慧がベッドに仰向けになっており、佳乃がその上にのり騎乗位の体勢で腰を動かしていた。着衣のままではあるが、明らかに行為をしているような動きで、さらに佳乃が慧の手を取り自分の胸に押し当てていた。


 あまりな光景に、麻衣子がよろけたはずみにドアが音をたてて開いてしまった。

 音に驚いて振り返った佳乃とバッチリ目があった。


「……どういうこと? 」

「こ、こういうことだから! 慧兄ちゃんは私のだから」

「慧君に聞いてるの。慧君! 」


 麻衣子の大声でビクッとなった慧が、ゆっくりと麻衣子の方を向いた。


「慧君、言い訳はある? 」

「は? 」

「言い訳もないんだ。……わかった」

「えっ? 」


 麻衣子はドアを勢い良く閉めて階段を駆け下りた。涙も出なかった。もう無理だって思いだけが思考を奪う。

 リビングから庭に出ると、ちょうど愛理と出くわした。


「お姉ちゃんどうしたの?! 顔色が真っ白だよ」

「ごめん、私、帰る」

「わかった、私も帰るよ。荷物持ってくるから」


 麻衣子は杏里を待つことなく義理実家を後にし、麻衣子の荷物も持った杏里が追いかけてきてくれた。


「お姉ちゃん、本当、どうしたの?慧お義兄さんはいいの? 」

「いい」


 そのまま駅に向かって電車に乗る。何も喋らない麻衣子を不審に思っているようだが、杏里は麻衣子が自分から話すのを待ってくれた。最寄り駅を過ぎても電車を下りない麻衣子の手を、杏里はそっと握った。何があったかわからないが、麻衣子がショックを受けているのはわかる。さっきから麻衣子の鞄の中でスマホが何回も光っているが、全く頓着していないというか、虚ろな視線は何も映してないようだった。


「お姉ちゃん、うち来なね」


 杏里は同棲している佑に「今日は友達んちに泊まって」とラインを入れると、「何で? 」「どうしたの? 」と送られてくるラインを既読無視する。


 杏里が麻衣子を自宅に連れ帰った時には、佑は杏里の指示通り家にはいなかった。








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