第239話 麻衣子の気持ち
「そういやさ、今度のGW最終日、BBQだから。あと、その前日俺は宿直な」
スマホゲームをしていた慧が、スマホから視線も上げずに言った。
麻衣子は、洗い物をしていた手を止めて聞き返した。
「BBQ? 仕事関係? 」
基本インドア、面倒くさいで全て構成されている慧が、わざわざアウトドアイベントに参加するのは珍しい。居酒屋飲みならまだしも、仕事場の花見とかも断る人だから。
「いや、まぁ、半々? 実家でやっから」
なるほど。慧の実家の庭ならば、余裕でBBQできるだろうし、支度など面倒くさいことはお手伝いの八重が仕切ってくれるのだろう。
行って飲んで食べるだけなら、面倒くさがりの慧でも許容できるのかもしれない。
「ふーん、行ってらっしゃい」
嫁として行ってお手伝いをするべきなんだろうけれど、慧の実家にはあの娘がいる。できれば会いたくない。というか見たくもない。
若い娘が自分の夫にベタベタするのを、心穏やかに眺められる妻がいたら、その心得を教えてほしいものだ。しかも、多分昔からあれが通常運転みたいで、慧が嫌がりもしないというか気にもしていないのもどうかと思う。
「なに? 用事でもあるの? 」
「ああ、うん。杏里とね」
嘘ではない。久しぶりに杏里からお昼しようとラインがきていた。まだ返事はしていなかったけど。
「なら、あいつも呼べばいいじゃん。一人増えてもたいしたことねぇよ」
「でも、松田家でやるんでしょ? あの子もよく知らない家に呼ばれても困るだろうし」
「そんな殊勝なたまかよ。だいたい、佳乃達もいるし、年齢近いからいいんじゃね」
仲良くなれない未来しか見えないけどね。
「まあ、聞いてみるけど」
聞かずに断ろうと思っていたら、ちょうど運悪く麻衣子のスマホが鳴った。着信の相手は杏里で、スマホは慧の目の前のテーブルにある。
「あいつ、鼻が効くな。もしもし……」
慧は勝手に電話に出て、しかもBBQの約束を取り付けてしまう。そして麻衣子に替わることなく通話を終了させてしまった。
「くるってよ。高い肉用意しとけってさ」
ウゥッ、断って欲しかった。
麻衣子はドンヨリとした気分で洗い物を続けた。最後の皿を拭き、食器戸棚にしまい終わると、いつの間にか後ろに立っていた慧の手が麻衣子のウエストに回った。
「待たせ過ぎ」
不埒に動き回る慧の手に、麻衣子の反応は薄い。それでも慣れ親しんだ愛撫に感情とは関係なく身体は開いていく。
この手は自分以外にも触れたことがある手だ。
セフレだった時も、付き合ってからも。結婚してからだって、きっとまた……。
据え膳食わぬは……ってタイプだもんね。
今も昔も慧のことは好きだ。
麻衣子の唯一だから。でもそれだけじゃない。面倒くさがりで、ぶっきらぼうで、はっきり言って恋愛も結婚も全然むいていない人だけど、たまに感じる愛情が凄く心に染みた。
でも、今までのことが麻衣子の傷になっていないかというと、そんなことはないのだ。
浮気した方は過去の出来事でも、された方はいつまでも瘡蓋にならない傷として残っているから。
その傷を抉るのが佳乃の存在だ。
今の慧は佳乃には全く興味はない。でも、あんなにストレートに気持ちをぶつけてくる相手に、悪い気はしていないだろう。しかも若くて可愛くて健康的な肉体美、少しでも気持ちが揺れたら、もう後は想像できる。
あんなに辛い気持ちになるのはもう沢山だった。
きっと次は耐えられない。
こんなドンヨリ暗い気持ちで、明るい日差しの中、健全にBBQとか、全くもってできる気がしない。しかもあの娘もいるとか、どんな拷問ですか?!って聞きたい。
「なんか、心ここにあらずじゃね?」
ちなみに、鬱々と麻衣子が考えている今であるが、夫婦の営みの真っ最中だったりする。しかも、キッチンから移動はしていない。
「BBQ行かなきゃ駄目かな」
「なに、行きたくない訳? 」
「そう……いうン……じゃないけど」
「まじでいい肉食えるぜ」
慧は麻衣子の気持ちなど考えもしないのだろう。
身体の熱は上がっていく一方、麻衣子の気持ちは下降していくのだった。
★★★
(その頃の四人娘)
「にしてもさ、この家でっかいよね。お医者さんってもうかるんだね」
保奈美は佳乃の部屋で専門学校の課題をやりながら、自分のアパートより広い部屋を羨ましそうに見回した。
「まぁ、総合病院だし、不動産とかもやってるいわゆる昔からの地主っていうの。あるとこにはあるよねぇ」
「佳乃んちだって老舗旅館じゃん。やっぱお金持ち繋がり? でもさ、なんで慧さんなん? いくらお金持ちの家の息子でも、次男じゃん。跡継ぎは長男さんでしょ、お医者さんだし。狙うなら長男じゃないの? 」
「保奈美は即物的だからな。見た目とかステイタスに弱いよね」
「そういう志津は本能一直線じゃん」
「そりゃ、そうでしょ。なんかさ、慧さんて上手そうじゃん。年の功っての? 私もどっちかっていうと慧さんかなぁ。あの手で弄られたいみたいな」
「ちょっとー、人の男で妄想するの、止めてよ」
「いやいや、まだあんたのじゃないっしょ」
三人は爆笑する。この会話についていけない文香は、黙々と課題をすすめるしかない。それにしても、松田家の長男も次男も既婚者だ。
友達の恋愛は応援してあげたいという気持ちはあるが、正直不倫は駄目だと思う文香は、四人の中では一番まともというか一般的な思考の持ち主だった。突っ走りがちな三人をヤンワリと諌めるのはいつも文香の役目だ。言うことなど聞く三人ではないのだが。
「まだも何も、綺麗な奥さんがいるんでしょ」
「まぁ、スタイルはいいかもだけどそれだけよ。私のが若いし断然可愛い。それに私のが先に慧兄ちゃんのこと好きだったんだもん。後からポッと出てきただけの女なんかに負ける気がしない」
いや、結婚してる時点で負けてるんだけどね……と、文香は思うだけで口にはしない。
「アラサー? ババアに負けたら笑うよね。佳乃がせまれば一瞬じゃない?そのダイナマイトボディでさ」
「慧兄ちゃんにしたらさ、ツルンペタンだった私のイメージが強いんだよね。だから、今度のBBQでちょっと仕掛けようかと思って」
「今だってそのオッパイ押し付けたりしてんじゃん」
「さりげなくじゃなくて、ガッツリいくつもり」
何してくれちゃうの?! と、三人の会話を聞きながら文香はプチパニックだ。
「ガッツリって? 」
「慧兄ちゃんって、学生時代とかセフレが沢山いたみたいなんだよね。ちょいユル系。色んな情報集めたんだけど、今の奥さんと付き合ってる時も、セフレとは関係あったらしいし。だから軽いノリでいけば、セックスしてくれると思うんだよ。で、実はヴァージンでした責任取ってって、松田のオジサマ達巻き込んで離婚にもっていかそうかと。あんたらも協力してよ」
それから、どうやって慧をその気にさせるかを熱心に語り合う三人に、相槌すら打てずに空気になりきる文香だった。
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