第237話 牛丼
「俺、二十四っすよ」
「あれ、新卒じゃなかったっけ?」
「新卒っすけど、大学入る前に二年放浪してたんで」
「放浪? 」
色気なく牛丼汁だくを食べる手を止め、麻衣子は目の前に座り特盛牛丼と麻婆豆腐丼を交互に食べる松永を唖然と見た。
「なんか、社会人でも学生でもできないことがしてみたかったんすよね。バイトしながらちょこっと海外に」
「海外? 凄いね」
「凄くはないっす。うちって進学校だったんすけど、みんな当たり前みたいに受験して、いい大学目指すのが普通な感じで。そういうのが無茶苦茶嫌で……まぁ若気の至りってやつっすよ」
ニヤリと笑ってみせる松永を見て、特にやりたいこともないまま、良い大学に入るだけを目標として受験した自分、それを不思議にも思わなかった自分に気づいてしまった。
そりゃ、一人親で育ててくれた母親に報いたいとか、少し厳しかった母親から逃れる為に東京に出たいとかもあったが、だからあの大学でなきゃいけない理由なんかなく、浅慮だったんだなと、目の前の後輩を見るとズキズキと胸に響く。
真面目そうな見た目と穏やかな話し方に、ごく普通の子という印象しかなかった後輩が、予想外に波乱万丈な人生を歩んでいたということに、何やら彼のイメージが一気に変わってしまう。
がっしりとした筋肉も、必要にかられてついたものらしく、逞しく感じられた。
その細い目に、自分の見たことのない色んな情景が映ったのかと思うと、それを見てみたいという感情が湧いてくる。
色気……がある子だな。
はっきり言って、見た目は地味メンだ。顔のパーツも記憶に残るような隠れイケメンですらない。目は細いし、鼻と口は少し大きめで、髪型も服装も無頓着な感じ。
でも、凄く男臭くて色気がある。
牛丼と一杯のビール。
そんなに長い時間話していた訳ではないのに、麻衣子は松永との会話に引きずりこまれていた。
★★★
「ごめんね、ありがとう」
バスから降りて、麻衣子は松永を見上げて言った。
それなりに混んでいたバス。降りた人はセカセカと家路に向かう中、麻衣子と松永は公園のベンチに座った。
麻衣子の会社まではバスと電車を乗り継ぐのだが、松永の家は電車からバス一つ目、もちろん一区間なので通常はバスには乗らないのだが、遅くなった為(それでもいつもよりは全然早いのだが)送ってくれたのだった。帰りは歩きでも大丈夫なんで……と言っていたが、歩きだと三十分以上かかるんじゃないだろうか?
まだ、帰りのバスの時間はあるから大丈夫かと思ったが、疲れてるのに悪いなと、麻衣子は財布を鞄から出した。
「あの、タクシー代払うから」
「大丈夫っす。いつもここまで走ってるから、ちょうどいいんですよ」
「走ってるの? 」
「仕事してから身体がなまりがちで。今まではバイトがガテン系が多かったんで、なんもしなくてもよかったんすけどね。」
「筋トレとかもしてるの? 」
松永はポリポリと頬をかいた。
「いや、ただ休日は無限人間メリーゴーランドやらされるから」
「何それ? 」
松永は逞しい両腕を真横に伸ばし、力こぶを作るように曲げた。
「この腕のとこに子供達がぶら下がって、グルグル回らされんすよ。上下運動させながら。だからメリーゴーランド」
「子供? 」
松永は独身ではなかったのだろうか?
左手に指輪もしてないし……と、チラリと松永の左手に視線を向けると、その視線に気がついた松永がブンブンと首を横に振った。
「自分の子供じゃないっすよ。姉の子供なんです。今、姉のうちに間借りしてて。義兄さんが単身赴任で、男手が欲しいからって。姉の子供、六歳なんすけど男の子の双子で、すげーヤンチャなんすよ」
「男の子二人、大変そうね」
子供のいない麻衣子には、今一その苦労はわからないが、ワンパク盛りの男の子がダブルでは、体力的に辛そうだというのはわかる。
「ほんと、大変なんすよ」
大変と言いつつ、ニヘラと笑うその表情は、甥っ子が大好きと言っていた。
「子供、好きなんだね」
「うーん、どうでしょう? あいつらが生まれる前は、特に……って感じでしたけど。まぁ、嫌いではなかったけど、大好きって訳でもなく、まぁ普通? な感じっす。でも、あいつらはなんつうか、生まれた時から知ってるからっすかね、無茶苦茶可愛いっす。たまにゲンコツくらわすこともありますけど」
「双子ちゃん、可愛いだろうな。見てみたいな」
松永はスマホの写真ホルダーの中の双子の写真を見せてくれた。その中には生まれた時からの写真が沢山入っており、その叔父バカっぷりと双子の愛らしさに、麻衣子の沈んだ気持ちもいつしか浮上していた。
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