第236話 佳乃の誕生日

 数回の呼び出し音の後、瑞々しい声がスマホから響いた。


『はい、松田です』


 あなた、松田ではないよね?


 松田実家の家電に出たのは明るい声の佳乃だった。


「今晩は、麻衣子です」


 松田さんちに電話をかけて、松田ですと言うのもなんなんで名前を名乗る。


『ああ、はい』


 少し尖った返事をされるが、お義母さんに代わってもらえないらしく、麻衣子が何か言うのを待っている様子だ。


「あの……今日伺うって慧君から連絡いってると思うんだけど、仕事が」

『忙しくてこれないんですね?!わかりました! 気にしないでいいですよ。今日はでお祝いっていうか、私の誕生日パーティーしてくれるって。私の友達も来てるし、あなたが来なくても料理余ったりしないから大丈夫。あ、今日慧兄ちゃんうちに泊まっていくかもですね。きっといっぱい飲むだろうし。じゃ、さよなら』


 勝手に喋られ、勝手に通話は切れた。


「……家に帰れるようになったみたい」


 麻衣子はひきつる表情で無理に笑顔をつくる。


「義妹さん? 」


 スマホの会話が聞こえていたらしく、松永が気遣うような視線を投げてくる。


「いや……、義実家の古くからの知り合いらしくて、今義実家に居候して専門に通ってる娘。今日誕生日なんだって」

「若そうでしたね」

「十……九かな? しっかりした娘なんだ。ちょっとラインするね」


 麻衣子は道の端に寄り、慧に今日は家に帰ることをラインする為に立ち止まった。先に帰っても良いのに、松永は麻衣子の横で立ち止まって待っていた。


 麻衣子の明日からの仕事のこと、それに備えて家でマニュアル確認したいから義実家にはいけないこと、最後にあまり飲み過ぎないようにね……と文章をしめる。

 帰ってくる? とは聞けなかった。


 既読がつかないが、まだ仕事中なんだろう。


「松田さん、帰るだけなら飯でも食って帰りませんか? ラーメンとか牛丼とか」

「そうね……。うん、久しぶりに牛丼が食べたいかな。行こっか」


 お洒落にイタリアンとか言わないところが松永らしいというか、逆に新鮮だった。

 自然な笑みが浮かんだ麻衣子の隣を、松永は適度な距離を保って歩き出す。知り合いの距離は安心感を麻衣子に与えた。いつも慧と歩く時は後ろからついて行くことが多かったからか、麻衣子のペースに合わせて会話しながら歩く松永の横にいると、後輩で異性なのに親しい友人のように感じられた。


 ★★★


 夜勤の薬剤師と申し送りを終えた慧は、白衣をロッカーに突っ込むと、スマホをジーンズの尻ポケットに突っ込んで病院を出た。歩いてすぐの実家に行き、玄関の扉を開けるとキャーキャーと楽しそうな声が響いている。

 佳乃の誕生日パーティーをすると言っていたが、友達でも呼んでいるのだろう。


 一瞬、あのカシマシイ雰囲気の中に麻衣子がいるのか? と心配をするものの、母親もいるだろうし

 適当にやってるだろうと簡単に考え、リビングの扉を開けた。


「ただいま、腹へった」

「慧兄ちゃん、お帰りなさい! もう、第一声が腹へったとか有り得ない。今日は私の誕生日なのに!」

「はいはい、おめっとさん」

「愛情がこもってない! やり直し」


 リビングに入った慧に突進してきて腕を組む佳乃の頭を押しやり、広いリビングを見回したが麻衣子の姿はない。佳乃の友達だろう女子三人が慧に向かってペコリと頭を下げているだけだった。


「麻衣子は? 」

「知らないよ。ほら、こっち座って。楓の渾身の料理、食べて食べて」


 佳乃に引きずられて、慧は女子等に囲まれる形でソファーに座らされた。隣に座る佳乃はベッタリと慧にくっついている。


「佳乃ご自慢の慧お兄さん、クールなイケメンだね」

「うん、派手じゃないけどいい感じじゃん。手が何気に色っぽいかも。私、男の人の手の筋が好きなんだよね。お兄さん、細マッチョって感じする」

「でしょでしょ?! 」


 友達の言葉に上機嫌な佳乃は、スリスリと慧の肩に甘えるように頭をのせる。


「あんた等失礼だよ。すみません、佳乃がいつも専門で慧さん自慢するもんだから。佳乃、くっついてないで料理取り分けてあげなよ」

「やだぁ。今日は私の誕生日なんだから、心置きなく慧兄ちゃんにくっつくの」


 もう! と呆れながらも、佳乃の友達の一人が慧に唐揚げやら煮物やらを取り分けてくれた。とりあえず空腹だった慧は、佳乃をまとわりつかせたままガツガツと料理をたいらげた。


「楓は? 」

「料理作って帰ったよ。明日も仕込みで早いからって」

「楓君もかっこいいよね」

「ザ・料理人って感じ? 男の人のエプロン姿って萌える! 後ろからギュッてしたくなる」

「それ、包丁持ってたら危ないから実行しないでね」


 かっこいいとかクールとか、とりあえず人の見た目を評価するのは芦田保奈美あしだほなみ。小柄だが胸の大きさは佳乃レベルの小動物系女子だ。

 手が好きとか後ろから抱き締めたいとか、性的欲求が強そうなのは、いかにも男好きしそうな見た目の金森志津かなもりしづ。茶髪巻き毛で化粧濃いめ女子。

 そんな二人を嗜めつつ、慧に料理を取り分けてくれたのは松永文香まつながふみか。黒髪ストレートで佳乃達に比べたら地味だが 、切れ長一重の綺麗な女の子だった。

 みな専門学校の同級生で、なんとなく席が近くに座り仲良くなった四人だった。みなタイプは違うが、文香以外は自分勝手で他人を気にしないタイプなので、会話が成り立っているようで成り立っていない。みな好き勝手なことを話し、それを文香が方向修正してグループの会話が成り立っていた。


 とにかく騒がしい。


 若い勢いに頭痛がしながらも、満腹まで食べきると、ちょうどそこに慧の母親の紗栄子がリビングに入ってきた。


「あら、慧。あんた何女子会の仲間入りしてるのよ」

「仲間入りって、飯食っただけだろが」

「慧兄ちゃんにお祝いしてもらってるの。おば様も一緒に、ね? 」

「私はもうおなかいっぱい。慧、家帰らなくていいの? 」

「えー、慧兄ちゃん、今日は泊まって行くでしょ? こっちからのが仕事場にも近いじゃん」

「麻衣子ちゃん仕事忙しいんでしょ? 今日も仕事で遅くなるからこれないって電話あったのよね、佳乃ちゃん? 」

「ああ、ここずっと忙しそうだったけど……」


 今日は早く帰れるって言ってた筈なのに……と、慧はスマホを取り出した。そこで初めて麻衣子からのラインに気がついた。


「あんた、ちゃんと家事分担とかしてるの? 麻衣子ちゃんだけにやらせてないでしょうね? 」

「……」


 ごみ捨てさえしていない慧は、無言でスルーする。


「やだ、おば様。慧兄ちゃんにそんなことさせるお嫁さんなんかダメダメよ。私なら上げ膳据え膳、至れり尽くせりなんだけどな」

「おまえ、意味わからず喋んな」

「あら、駄目よ。共働きなんだし、そこはちゃんとしないと。お手伝いさんを雇える甲斐性だってないんだから。麻衣子ちゃんが何でもしてくれるからって、あんたは甘え過ぎなのよ。じゃ、私はもう寝るから、皆さんごゆっくりね」

「へぇへぇ。……俺も帰るわ」


 紗栄子がヒラヒラと手を振ってリビングを出ていき、慧もそれと同時に立ち上がろうとした。


「エーッ!! まだいいじゃん」

「そうですよ。せっかくだから、慧さんと佳乃の昔話とか聞きたいのに」

「ねーッ!」


 両側から抱きつかれるように腕をつかまれ、佳乃と保奈美の大きな胸が押し当てられる。


「そんなもんねぇよ! こいつの小学校の時しか知らねぇし、楓に聞けって。あいつのが佳乃と長いだろ」

「だってもう帰っちゃったしね」

「ねー」


 文香以外の三人でしっかり慧をつかんで離さない。


「あぁ、もう、うっとーしいな!」

「ひどーい。十代の女子に囲まれてるんだから、言い方~ッ!」


 わざとだろ! というくらいギューギューと胸の谷間に腕を押し付けられ、手を恋人繋ぎにからめとられる。

 性的に刺激しようという意図が見え見えで、いわゆる真面目系な男をからかいたいだけなんだろうと、慧は内心うんざりしてしまう。

 別に小娘のおっぱいぐらいでドギマギなんかしないし、大きければなんでも男が興奮するってもんでもない。

 これが麻衣子だったら即行揉みしだいて押し倒すんだろうが……。


 最近してねー。


 麻衣子の裸体が思い出され、つい反応しそうになる。


「じゃあ慧兄ちゃん、みんなからお酌受けたらね、そしたら帰ってもいいから」

「ああ? もう、わかったよ。ほら、さっさと酌しろ」


 佳乃はニヤリと笑い、やったぁと無邪気を装って慧に抱きついた。



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