第231話 初恋……なのかな

「ね、昔川釣りした時にさ……、あれ覚えてる……、慧兄ちゃんってば女風呂に……」


 とにかく昔ネタがとまらない。

 佳乃は、麻衣子がお抹茶を飲み終わった後も、なんなら和菓子もお茶うけに置いてあった煎餅すら食べ終わっても、慧の方を向いて話し続けていた。


「おまえ、昔からお喋りだったけど、なんも変わらないな」

「そんなことないもん。もうずっと大きくなったし。色気だってほら、駄々漏れでしょ」

「色気なんかどこにあんだよ」

「ひっどーい! 」


 プクリと頬を膨らませて慧を上目遣いで睨む様は、あざと可愛いの一言に尽きる。膝がつきそうなくらい密着したり、過度なボディータッチは、昔馴染みのお兄ちゃんだからというふりをしているが、そこには女の顔が見え隠れしている。自分がどうすれば可愛く見えるか、どんな態度が男の欲求を煽るのか、計算しつくされているようだ。


 麻衣子は内心ため息をついた。


 新婚旅行なんて行けるとは思っていなかった。慧が新婚旅行に行こうと誘ってくれたこと自体、天変地異の前触れかってくらい驚いた。そして何より嬉しかった。

 ここにくるまで、新婚旅行の甘さなんか一欠片もなく、自分のペースで歩き、イチャイチャベタベタなんかなく、スマホゲームばかりして会話すらまともになかったけれど、それが慧だから嬉しさが損なわれることはなかった。


 でも……さすがにこれはな。


 目の前にはツルツルピカピカの十代女子。しかも極上の見た目で、昔の慧を知っていて、多分……いや100%慧にかなりの熱量の恋愛感情を持っている。彼女の初恋が慧だったのかもしれない。


「おまえ、いい加減戻れよ。俺らまったりしに来たんだから」

「ええ?! 温泉来てまったりとか、どこの老人よ」

「王道だろ。せっかく部屋に露天風呂までついてんだから」

「やらしい! 結婚してもう二年もたつのに、まだお嫁さんとイチャイチャしたいの? 」

「もうって、二年ならまだ新婚だろうが」

「何年付き合ったの? 」

「何年? 何年だ? 」

「トータル八年よ」


 慧が覚えていないようなので、麻衣子がフォローを入れる。


「八年?! 新鮮味0じゃん。たまには摘まみ食いしたくならないの? えーと……お姉さんは、慧兄ちゃんに浮気とかされたことないの? 」

「……」


 四年前の記憶が、ズキリと胸に痛む。

 付き合ってから、その前のセフレのような関係の時も入れれば、慧は麻衣子以外の女達と数回関係していた。でもそれは身体だけの話しで、その都度麻衣子の中で消化してきた。

 けれど、二回目の大学の時の、あの年上の人だけは、いまだにたまにトゲのように刺さっていた。あれは、あれだけは浮気以上の気持ちが入ったものに思われたから。

 それを蒸し返そうとか、慧を責める気持ちが消えないとかではないのだが……。


「あるんだ! へぇ、やるじゃん慧兄ちゃん。ふーん、そうなんだ。浮気するんだ。出来るんだ」


 それは、自分も入り込める隙がある。もしくは入り込むだけでなく、慧を略奪できるかも……という期待が漏れた口調だった。


「ね、ね、相手はどんな人だったの? 」

「おまえ、いい加減にしろよ! 浮気たって、たいしたことしてねぇよ。しかも結婚前だし」

「ええッ?! 浮気するような相手と結婚したんだ。まぁ、慧兄ちゃん優良物件だもんね。お金と愛情は別か」

「何昼ドラみたいなこと言ってんだよ。バ~カ 」

「あ、慧兄ちゃんの好き。懐かしい」

「マジ、ウザイから戻れよ」

「ハイハイ。ね、後でまたくるね。昔みたいに散歩行こうよ」


 佳乃はやっと重い腰を上げて立ち上がる。


「あ……イタタ」


 立ち上がった瞬間、よろけたように慧にしがみつき膝の上に倒れ込む。


「あんだよ」

「足……足痺れた」

「バカ? 」

「ヤバイ! つりそう! 足揉んで」


 佳乃は着物の裾をチラリとめくり、艶かしい脹ら脛をさらす。


「自分でやれ」

「やだやだ、痛い痛い! 慧兄ちゃんお願い」

「チッ……しゃあねぇな」


 慧は乱暴に佳乃の脹ら脛を揉み、足の先を反りかえすように掴んだ。

 性的な触れ合いではないが、目の前で自分の旦那が若い娘の足を揉むとか、平静に見れる訳がない。


「ハァ……ン」

「変な声出すな」

「ムラムラする? 」

「本当、バカかよ」

「ね、まだ足の感覚がおかしいから、部屋まで送ってよ。もし転んで捻挫とかしたら大変じゃん」

「ッたく! 」


 佳乃が立ち上がると、慧もしょうがねぇなと立ち上がる。


「じゃお姉さん、慧兄ちゃん借りますね」


 佳乃はわざと慧にもたれかかるように腕を取り、もうここには用がないとばかりに慧を連れて部屋を出て行った。


「何よ、あれ……」


 昔のトゲと、目の前のトゲ……。

 どちらがより痛いだろうか?


 しばらく待っても慧は帰ってこず、麻衣子は一人でこの場所にいるのが苦痛でしかなくなる。


 こんなことなら、くるんじゃなかったな……。


 麻衣子はバックを持って立ち上がり、部屋を出ることにした。

 土産でも見るか、それこそ辺りを散策でもしようか。


 新婚旅行って、こんなに一人の時間が長いもんなんだな。


 立派な宿も、素敵な部屋も、今の麻衣子には一つとして魅力的には思えなくなっていた。



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