第230話 温泉宿
「ここ? 」
「ここ」
温泉旅行ということで、お気楽にスキニーデニムに白モコVネックセーター、ロングのスプリングコート……無茶苦茶ラフな格好できた麻衣子は、老舗中の老舗みたいな重厚な佇まいの入り口の前で、明らかに場違い感半端ない。
まあ、慧はヨレヨレジーンズにトレーナー、小汚ないスニーカーって、ちょっとそこまでコンビニに買い物行ってきますみたいな格好だから、よりそぐわないんだけど。
入り口から入ると、和服を着た従業員みたいな男性と、やはり同じく和服姿の女将らしき女性が立っていた。四~五十代だろうか? 少しキツメな顔立ちだが、まだ十分艶っぽい色気を醸し出している。
「まあまあ、坊っちゃん、立派になられて」
女将がニコニコと笑顔を向けてきた。
坊っちゃん???
慧は凄く嫌そうに眉を寄せると、男性に荷物を渡した。
「
「あら、失礼いたしました。そうですわよね。こんなに素敵な奥様と結婚されたんですものね。つい、昔のわんぱくな坊っちゃんが思い出されて」
朱里は小さくフフと、親しげな笑みを浮かべた。
「小っこい時からここには家族でよくきててよ。まぁ、だから予約とれたんだけどな。あとは朱里さんとうちのババアが幼馴染みっつうのもあって」
確かに、こんな高級そうな温泉宿、半年一年前から予約が埋まってそうだ。二週間前にいきなり予約してとれてしまったのは、知り合いだったからなんだろう。今さらだけれど、慧との生活水準の違いを目の当たりにさそられた気分になる。
朱里に案内された部屋は、一階の一番端の菖蒲の間だった。木目をいかした和モダンな作りで、八畳の畳スペースと板間の和畳室はゆったりとくつろげる落ち着いた雰囲気で、仕切りがあり続くベッドルームには大きなキングサイズのベッドが置いてある。
ウッドデッキにある露天風呂とその景色は通常の生活とは切り離された絶景だった。深い森の緑と切り立った崖、その下を流れる川は穏やかな水の流れに煌めいていた。
「凄い……」
こんな贅沢な旅館に泊まったことのなかった麻衣子は、部屋に入った途端圧倒されてしまった。
「ゆっくりおくつろぎください。後程係りの者が参ります」
荷物を運び入れた朱里は、艶っぽい笑みで一礼するとパタリと扉を閉めた。
「ねえ、ここって凄い高いんじゃないの? 」
「ああ? 知んね。母親が卒業祝いだって予約したから。それよりこっちこいよ」
すでに部屋の中にスタスタ入っていた慧は、和畳室の中央にあった立派な一枚板のローテーブルにスマホや財布などを放ると、その奥にあるキングサイズのベッドに転がった。
「もう! 係りの人がくるって言ってたでしょ」
「いいからこいよ。マジでこのベッド気持ちいいから」
「そうなの? 」
いかにも高級そうなベッドは、確かに寝心地が良さそうだった。
少しだけと思い、麻衣子も慧の横に身体を横たえてみた。適度の弾力は身体に優しく、シーツは爽やかな香りがした。
「フワッ……気持ちいい」
慧が肘をつき起き上がり、寝転がった麻衣子の上に覆い被さった。唇を食むように数回唇を吸い、その手はいやらしく麻衣子の身体をまさぐる。
「ちょっと……だから人がくるって言ってたから」
「来たら止めればいいじゃん」
「だったらブラのホック外さないで! ズボンも脱がさないでよ」
「脱がさなきゃ出来ないじゃんか」
「だからヤろうとしないで」
慧と知り合ってかなりの年月がたつ筈なのに、慧が麻衣子の身体に飽きるということはないようだ。国家試験の近辺はさすがに勉強に集中していて、さっぱりとした交わりしかなかった(それでもヤることはヤっていた)が、試験が終わってからは大学時代のように麻衣子を堪能し、絶倫ぶりは健在のようだ。
社会人の麻衣子としては勘弁して……と寝不足を深めながらも、基本慧を拒否れないのはやはり麻衣子が麻衣子だからだろう。今も嫌だ駄目だといいながら、身体は素直に慧に開いていた。
本格的にあと一歩というところで部屋がノックされて声がかかった。
「ほら! ちょっとどいて」
麻衣子は慌ててズボンを引き上げ、ブラのホックをとめる。髪を手櫛で整えてベッドルームを出た。
「はい、どうぞ」
鍵をかけていなかった為、返事をするとすぐにドアが開き和服の仲居さんが入ってくる。
手にはお盆を持っており、上品な和菓子と点てられたお抹茶がのっていた。
顔を上げたその顔は整った美人だったが、僅かに幼さが見え隠れするのは、まだ若い仲居なのだろうか? 二十代前半か下手したら十代にも見える。
「ようこそいらっしゃいました。お抹茶は大丈夫でしょうか? ごゆっくりおくつろぎくださいませ」
「ありがとうございます」
「……
ベッドルームから顔を出した慧が言うと、さっきまで落ち着いた所作でお茶をテーブルに置いていた仲居が慧を見て破顔した。その笑顔は思ったより幼く可愛らしいものだった。
「当たり! 慧兄ちゃん久しぶり」
「マジか?! おまえでかくなったな」
「そりゃ十年? ぶりだもん。大きくなってなきゃヤバイでしょ」
「そんなになるか? 」
「なるよ!! おば様達は毎年来てくれてるのに、慧兄ちゃんたらパッタリ来てくれなくなっちゃって」
「そりゃ家族旅行なんてしてらんねぇだろ。こいつ、ここの一人娘の佳乃。さっきの朱里さんの娘な。えーと、いくつになったんだ? 」
「十九よ。忘れちゃったの」
甘えるような笑顔は可愛らしく、慧に向ける視線は好意が溢れていた。佳乃と慧の間に麻衣子が立っている筈なのだが、麻衣子のことはまるっとスルーされているような気がするのは気のせいだろうか?
「もう十九かよ。この前までオムツしてやがったのに」
「フフフ、慧兄ちゃんには全部見られちゃってるのね。写真にオムツ替えしてる慧兄ちゃんがいたもん」
「全くだ。客なのにおまえの世話させられてたもんな」
「あら、慧兄ちゃんはうちの家族同様だもん。それに、うちに養子に入るって約束だったじゃない。お嫁さんにしてくれるって約束だったのに」
「してねぇよ、そんな約束」
「した! 佳乃がお嫁さんにしてって言ったら、ハイハイって答えてたもん。酷いなぁ、佳乃はずっと慧兄ちゃんが来てくれるの待ってたのに」
「バッカじゃねえの。そんなの適当に答えたに決まってんじゃん」
「えーッ! 今まで慧兄ちゃん待って、他の人の告白とか断ってたんだから、ちゃんと責任とってよね」
冗談のように言っているが、あからさまに麻衣子の存在を無視しているのは、……そういうことだろう。そんな佳乃に気づかず、気安い口調で話している慧は、やっと人前に出れる状態(主に下半身)になったのか、ベッドルームから出て来て座椅子に腰かけた。佳乃はその横に正座し、お抹茶を差し出した。麻衣子はしょうがなく慧の向かい側に座る。
「慧兄ちゃん、この和菓子好きだったよね」
「あぁ、まぁ、普通」
佳乃の距離は仲居の距離ではなかった。視線も慧にしか向かっておらず、あまりにキラキラしたその真っ直ぐな視線は、麻衣子に戸惑いと不安を与えた。
それから二人……というより佳乃が一方的に昔話しを話し、慧の腕にべったり張り付く。
「おまえ、いつまでもこんなとこにいてもいいのかよ? 仕事は?」
さすがに一時間ばかり部屋に居座られ、慧が呆れたように言った。
「だって佳乃、慧兄ちゃんがいる間、この部屋専属だもん。ほら、慧兄ちゃんが来てなかった間に色々変わったし、観光案内もしてあげるからね」
「別にいいよ。ここにはゆっくりしに来ただけだし……、ほら一応新婚旅行的な……な? 」
な? と言われても、腕に佳乃をぶら下げた状態では、苦笑しかでてこない。
「新婚旅行って言っても、もう結婚して二年たつんでしょう? 新婚じゃないじゃん」
初めて麻衣子に視線を合わせた佳乃は、明らかに好意とは別の女の表情を浮かべていた。
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