その後の慧と麻衣子

第一章

第229話 部屋着

「慧君が勉強してる……」


 いつも通り十時過ぎ(定時では決してないのだが、最近は終電間際になることもなく帰れていた)に帰ってきた麻衣子は、リビングのテーブルで参考書に向かい合っている慧を見て唖然とした。

 いつもならスマホゲームをソファーで寝転がってしているか、お笑い番組などを見ているか(お笑い番組を見て爆笑している慧は見たことないが)なのに……。


「お帰り」


 慧はチラリと麻衣子に視線を上げたが、すぐに視線を参考書に戻してしまう。


 慧が勉強しない訳ではないのだろうけど、試験期間中だって麻衣子といる時間に勉強をしているのを見たことがなかった。元々頭がいからか、勉強している姿を見せたくないのか、麻衣子といる時は……たいていSEXしてる。

 したいから、勉強等は麻衣子がいないうちにサクサク終わらせていたというのが正しい。


 では、今勉強しているのは?


 薬剤師国家試験が間近だからだった。


「お夕飯は? 」

「……まだ」

「じゃあ、用意するね」

「簡単でいい」


 麻衣子はコートを脱いでかけると、寝室へ行って部屋着に着替える。リビングは暖房がきいていたが、寝室は冷え冷えしていた。淡いブルーのモコモコの部屋着は、慧が買ってきたものだ。自分の買うついでに買ったと言っていたが、実はどっちがついでだったのかと麻衣子は怪しんでいる。


 Vネックの襟口はかなり大きく開いており、冬用だというのに短パンだった。モコモコした手触りの良い布地だが、スレンダーな麻衣子が着るとスッキリして見えた。胸の谷間は強調され、短パンからのびるスラリと長い足はより長く見える。ちなみに、色違いの物も二着ある。

 自分のは一着しか買ってないのだから、やはり麻衣子の部屋着が本命だろう。


 麻衣子の為に買ってきたよと言われれば、例えそれがバニーの衣装でも麻衣子は喜んだんだろうが、ついでだついで! と押し付けられては、何で同じ物を三着も……と呆れる他ない。

 しかし、これを着ると慧が多少ご機嫌に見えるから、かなりヘビロテで着回していた。


 リビングの慧の横を通って対面のキッチンに向かうと、そんな麻衣子の後ろ姿を見た慧は参考書を閉じた。

 視線は麻衣子の尻を追いかけている。


 結婚して二年、付き合ってからは……八年? 、いまだに慧の絶倫ぶりは衰えていない。

 結婚したと言っても、実は結婚式も新婚旅行も行ってないから、あまり実感はないんだけど。でも、写真は撮った。ウェディングドレスを着たやつ。お義母さんにどやされて、渋々それだけは慧も了解してくれたのだ。

 その写真はリビングに飾ってある。慧の実家には、でかでかパネルに引き伸ばしたやつが飾られているのだが、それはさすがに恥ずかしいから、テレビの横にチンマリ写真たてにおさまっていた。


「スパゲッティでいいよね? 」


 手を洗いながら顔を上げると、慧と目が合い、慧はフッと視線をそらす。


「なんだっていいよ」


 あれは胸の谷間を見ていたな。


 挽き肉と玉ねぎでボロネーゼ風のソースを作りつつパスタを茹でる。

 スパゲッティなら、パスタを茹でる時間くらいで出来上がるから、平日の夕飯で作るNo.1メニューだ。慧はピーマンは苦手らしいが、麻衣子の作るナポリンは常に完食で、多分一番好きなメニューかもしれない。でも、ナポリンは先週作ったから、今日はボロネーゼだ。


 パスタが茹で上がるまであと五分。麻衣子は慧に視線を向けた。


「試験勉強? 」


 国家試験の前に卒業試験がある筈で、その勉強だろうと声をかける。


「まぁな」

「もう止めちゃうの? 」


 勉強道具を脇に片付けるのではなく、鞄にしまったのが見えた。


「飽きた」


 いつから勉強していたのかわからないが、それまりに区切りがついたのだろう。勉強をしたり本を読んだりしている時の俯き加減の表情が好きだから、麻衣子としては少し残念だった。

 喋らないでジッとしていると、いかにも真面目なインテリっぽい雰囲気がある慧だ。実際の慧は、口は悪いし、いつでもどこでもさかるし、的確でネチッこいテクニックで麻衣子を陥落するし、絶倫だし、絶倫だし、絶倫だし……。


 二十五も過ぎたのに、いつになったら落ち着くんだろう? と、できれば平日は勘弁して欲しいと思っている麻衣子は常々思う。

 ならば、慧の買ってきた部屋着を着なければいいし、慧の誘い(過度のスキンシップ)を拒否ればいいだけの話しなんだが、麻衣子は余程のことがない限り、流されるままに受け入れてしまう。

 すでにそれが日常であり、慧以外を知らない麻衣子には、慧が基準であるから仕方がないのかもしれない。


「そういえば、慧君は卒業旅行とか行くの? 」


 前の大学の時には行かなかったが、今回は私立の薬学部。周りはみなそこそこお坊っちゃまお嬢ちゃまが多い。凛花や佳奈達は海外旅行に行くと聞いていた。何故か麻衣子も誘われたが、そんなに仕事を休めないからと断った。


「そうだな……。行くかな。予約はまだだけど、目星はつけてある」

「行くの? 」


 てっきり、面倒くさいから行かないと返事が返ってくると思っていた麻衣子は、スパゲッティが茹で上がりを知らすキッチンタイマーを止めつつ、驚いたように慧を見つめた。


 大学でそこまで仲が良い男子学生がいたのだろうか?

 そんな話しは聞いたことがなかったが、慧は基本そんなに話さないから、大学での慧については佳奈や凛花の話しから推測するだけであった。


「……どこに? 」


 まさか、凛花達女子と混じって海外旅行とかじゃ……。


 男子が少ない薬学部では、慧はそこそこモテているようだし、友達……というかたまに喋るのは女子ばかりらしいし。


「寒いから……温泉だな 」


 温泉ということは、海外じゃなく日本だろう。


「ふーん、いいね」


 慧と二人で旅行したのは数えるくらいだ。(帰省は旅行に入れないとして)

 はっきり言って羨ましい!


「何日くらい? 」

「二泊だな。温泉に何泊もって、飽きんだろ」

「ゆっくりできていいね」


 麻衣子はスパゲッティを盛り付けて慧の前に置いた。


「いただきます」


 大盛に盛った皿を、慧は瞬殺でたいらげた。昼ご飯を食べていないのかというくらいの食欲だ。

 お代わりを要求され、余っていたスパゲッティを出した。


「いつ行くの? 」

「……三月の……連休かな? 」


 慧はスマホでカレンダーをチェックしながら答えた。


「わざわざ連休に行くの? せっかくのお休みなのに? 」

「なに、おまえ休めるの? 」

「私?! 」


 卒業旅行だから、大学の人と行くのかと思っていたが、どうやら慧は麻衣子と行くつもりらしい。


「一ヶ月前くらいに申請すれば、有給はとれるけど……、卒業旅行だよね? 大学の友達と行かなくていいの? 」

「はぁ? 何で、あいつらと旅行なんか行かねーといけねーんだよ?鬱陶しい! 女ばっかでうざい」


 あいつら……って、凛花達だろう。そうだよね、男友達の話し聞かないものね。


「それとも……あいつらに混じって旅行とか行っても良かったりする訳? 誘われてはいるけど」

「ダメ! 絶対にダメ! 」


 麻衣子と付き合ってからはセフレはいない慧だが、貞操観念が激緩で性欲激強の慧が、女子に囲まれての海外旅行なんて、浮気をしないという可能性が1%も見いだせない。


「それなら、おまえと行くしかないじゃん」

「それじゃただの旅行だよ? 卒業旅行の記念にならなくない? 」

「卒業旅行プラス新婚旅行ということで、少しリッチな旅館にする」


 新婚旅行?!


 まさかの慧からそんな言葉が出るとは驚きだ。


「本当に?! 」

「イヤか? 」

「嬉しい!! 」


 慧にギュッと抱きつくと、慧は抱きしめ返すのではなく、その手は自然と麻衣子の衣服の下に潜り込む。

 ナイトブラを押し上げ、ユルユルと不埒な動きを開始する慧であったが、慧の皿はすでに空で、麻衣子はまだ食べ終わっていない。


「まだ食事の途中……」

「ごっそさん。そしていただきます」


 何をいただくつもりよ……という麻衣子の呟きの代わりに、その唇は色めいた息を吐き出した。


 二時間後、食べたスパゲッティは冷製ボロネーゼになっていた。


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