第228話 番外編 恭子先生の今 3

 ほろ酔いで松枝家を出た恭子と海江田は、二人でゆっくり駅まで歩いていた。少し離れた距離が、以前とは違うと否が応でも突きつけられているようで、恭子は手持ち無沙汰な手を胸の前で抱えるように歩く。


「あの二人、ぶれないよね。ずっと変わらないからなんか安心するっていうか、夫婦ってよりも兄妹みたいだよな」

「そうね。まさかあの二人が結婚するなんて思わなかったわ」

「そうだな。でも、まあ、一番お似合いなのかもしれない」


 それから無言で駅まで歩く。


「信也君はどっち方面? 新宿?千葉? 」

「家は代々木。恭子ちゃんは? 実家? 」

「さすがにないわ。今は独り暮らし。実家の近くのマンションだけど」

「ああ、じゃあ近くまで送って行くよ」


 昔のように送って行くと言う海江田に、恭子は一瞬口を開きかけて閉じ……深い息を吸って声を出した。


「でも……早く帰った方がいいんじゃない? 帰りを待っている子供がいるんでしょ」

「ああ、夏樹なつきか。大丈夫、実家に泊まりに行ってるから。ほら、夜勤とかもあるしさ、あっちに凄く慣れてるんだ」

「夏樹君って言うのね」

「ああ、写真見る? 」


 スマホを恭子に見せた。スマホの待ち受けに、ピースサインの男の子がニカッと笑って写っていた。ソフトモヒカンというのだろうか、トップが長めで後ろを刈り上げた髪型をしており、よく日焼けした元気そうな男の子だった。まだ小学生になっていないくらいだろうか?


「信也君に似てるわね」

「ああ、双子親子って言われてる。僕の昔の写真にもそっくりだしね。これはだいぶ前の可愛かった時。今は……あった、これだ」


 スマホのアルバムから一枚の写真をスクロールして出した。

 小学校高学年か中学生くらいだろうか。まさに、記憶の中に残っている海江田そのものだった。多少照れているのか仏頂面で台所に立っていた。


「小学生? 中学生? 」

「中学一年。今度二年。勉強嫌いで困ってるんだ」

「反抗期……かしら? 一番難しい時期かもしれないですわね」

「そうだ、恭子ちゃんに家庭教師お願いできないかな? いや、教授先生に頼むのは失礼か」

「別にかまわないけれど……、もしなんなら、少し私が見てみて、うちの大学生紹介してもいいし」

「お願いできる? いや、良かった。塾は嫌だって言うし、色々探したんだけど、みんな首を縦に振らなくて」


 海江田がお父さんの顔をしているのが珍しく、恭子はマジマジと海江田を見上げる。その視線を受けて、海江田は赤くなってスイカを探すふりをして視線をそらした。

 駅構内に入ると、ちょうど恭子の方面の電車がホームに入ってくるところだった。


「まあ、じゃあ、そのことは頼むよ。来週末とか空いてるかな? もし空いてたら一度見てやってほしい」

「空いてますわ。では、来週土曜日、昼過ぎにでも」

「わかった。夏樹の予定を聞いてまた連絡する」

「では、さよう……」


 海江田は恭子の背中に手を回し、一緒に電車に乗った。


「信也君……逆ですよね? 」

「だから、送るって」

「また連絡するって……」

「また連絡するよ。でも、それはそれ。ちゃんと送らせて」


 電車は混んでおり、海江田がドアに手をついて恭子の場所を確保してくれた。


「ほんの三駅ですのに」


 恭子の家に送るよりも、自分の家に帰ったほうが近いというのに、わざわざ逆方面の電車に乗ってくれる海江田は昔のまま優しい。恭子は電車の揺れに任せて、そっと海江田に寄り添うように身体を寄せた。


「捕まってていいからね」


 電車の揺れでよろめいたように見えたのか、海江田は腕を差し出す。

 恭子は、素直にその腕に手をかけた。


 三駅なんてすぐについてしまった。


「ついたね」


 ドアが開き、恭子は名残惜しそうに海江田から手を離す。

 一緒に降りると、海江田は恭子の横を歩き改札を出る。恭子の実家とは逆方面に歩きだした。


「実はね、息子も僕と同じ学校に小学校から入れてるんだ。だから、この駅はちょこちょこきてるんだよ」

「そうなんですの? 」

「ああ、たまに息子と土手散歩したり、お祭りきたりもしたな」

「まあ……。では、息子さんとはすれ違っているかもしれませんわね。私の通勤時間、暁学園の生徒さん沢山いますもの」

「かもね。まあ、みんな同じ制服を着て、似たような髪型しているからわからないかもだけど」

「あら、信也君にそっくりなら、絶対にわかりますわ」

「そう? 」

「絶対ですわ! 」


 拳を握って力説する恭子に、昔の面影を重ねて海江田は優しい笑顔になる。


「恭子ちゃんは、本当に変わらない。なんか、君を見ていると、自分まで若い頃に戻ったみたいだ」

「まあ、見てくださる? ほら、ここに皺が! これは昔にはなかったですわよ」


 恭子は、目尻にあるかないかくらいの皺を指差して、背伸びして海江田に顔を近づける。


「そんなもの、あるかないかわからないよ」


 フワリといい匂いがし、海江田は一歩下がった。昔から恭子はリンスの良い香りを漂わせていたが、今は香水だろうか、あの頃よりも濃厚な女の香りがした。


「どうしましたの? 」


 あからさまに離れられて、恭子は戸惑ったように海江田を見上げ、すぐに顔色をかえる。


「もしかして……私臭いですか?気がつかなかったけれど、もしや加齢臭が?! 」


 とんでもない誤解をした恭子に、海江田は思わず吹き出してしまう。


「そんなことある訳ないだろう。ちょっと、香水がいい匂い過ぎて抱き締めたくなっちゃったから自制したの。親父臭いのは僕の方さ」

「まあ……」


 抱き締めたかったらすればいいのに……と思いながら、それは口にだせなかった。そのかわりに、海江田の胸元に顔を寄せ、クンクンと嗅いでみせる。


「信也君も柔軟剤のいい匂いがしますわ。親父臭くなんかなくてよ」

「一生懸命自制しているんだから、そんなに近寄らないように」

「フフ……、わかりましたわ」


 かなりゆっくり歩いていたのに、駅から数分で恭子の住むタワーマンションの下についてしまう。


「ここ? 」

「ええ。………………、もし良かったらですけど、お茶でもいかが? 」


 恭子はかなり間を開けて、オズオズと海江田の袖を引いた。


「え? でも……」

「せっかく送っていただいたし、そのまま帰せないわ」


 今度はさっきより少し力を入れて海江田の袖を引く。


「……いいの? 」

「もちろんですわ」


 恭子は笑顔で海江田の腕をとった。

 オートロックを開け、管理室の前を通ってエレベーターへ向かう。


「ずいぶん豪華だね」

「そうですか? 実はうち、都市開発にひっかかってしまって、実家はすでに更地ですの」

「そうなんだ」

「親は土地を売ったお金で郊外に一軒家を購入して、このマンションは老後の生活費の為にって購入したんですの。それを私が借りて住んでるんです。もちろん、家賃を支払ってですわよ」

「へえ、じゃあ実家はうつっちゃったんだね。お母さんやお父さんは元気? 」

「なんとか。もう年ですから、あまり無理はできませんけど」

「お母さんの作ってくれたクッキー、美味しかったな」

「よく送りにいらして下さった帰りに、手作りのお菓子をもたされてましたわね。うちじゃ、父も私もかなり飽きてしまっていましたから」

「いや、マジで美味しかったよ」


 恭子は部屋の前までくると、電子キーを開けてドアを開ける。


「どうぞ、狭いですけれど」


 家族で住むには確かに手狭な2LDKだったが、独り暮らしには広すぎるくらいだ。

 部屋は海江田を招くとは思っていなかったわりに整理整頓はきちんとされており、ガーリーなイメージだった昔の実家の部屋に比べ、シックなモノトーンで統一された落ち着いた雰囲気の部屋だった。


「なんか意外……」


 コートを脱ぐと、恭子が受け取ってコートかけにかけた。


「何がです? 」

「もっと、女の子らしいピンクピンクした部屋を想像してたから」


 恭子は呆れたように海江田を見て、クスクス笑いながらソファーを指差した。


「もう四十半ばですわよ。そんな痛いことしませんわ。とりあえずソファーに座っていらして。ワインならいただいたものがありますけど、ワインでもよろしいかしら?」

「ああ、何でも」


 ワイングラスとワインを棚から取り出し、ローテーブルに置いた。


「開けてくださる? 」


 海江田がワインを開け、グラスに注いでいる間に、キッチンからチーズとクラッカーを持ってきた。


「ごめんなさいね、たいしたおつまみがなかったわ」

「全然」


 二人掛けのソファーに並んで座り、ワインで乾杯する。


「恭子ちゃんの彼氏に悪いかな。部屋にまで上がったりして」

「彼氏? 彼氏なんて、いたことありませんわ」

「一人も? まさか」

「だって、私、最近まで修平先生一途でしたから」


 海江田が、そっと恭子の手を握った。恭子もそれを拒絶することなく、海江田を見つめる。


「再開した日、君が言ったこと……あれはどういう意味だろう」

「私が言ったこと? 」

「僕のことも好きだったって」


 恭子は自重するように微笑む。


「えぇ、全く気がついていなかったんです。あの時は……。いえ、最近まで。修平先生への気持ちが落ち着いて、やっとあなたへの想いにも気がつけたの。いやね、鈍感にも程があるわ」

「……その気持ちは、色褪せてしまったんだろうか? 」

「……さあ。だって、つい最近自覚したのよ。あの時はそうだったんだって」


 海江田の手が恭子の肩に回る。


「その……、それなら……、また最初からどうかな? 」

「最初から? 」

「お互い時間はかかってしまったけど、相手もいないなら……、お付き合いすることを前提に、二人の時間を作ってもらえないだろうか? 」

「それを言うなら、結婚を前提にお付き合いしましょうではなくて? 」


 恭子は海江田の太腿に手を置く。


「それはそうなんだけどね、その前段階さ。まずはお互いの時間を埋めないと。もちろん、お付き合いしましょうと言って、すぐにでもOKがもらえるなら、すぐにでも告白したいけど」

「OKだわ」


 恭子は悩むことなく返答する。

 海江田は以前結婚しており、今は子供と二人暮らしであるとか、海江田に猛アピールしている看護婦がいるとか、お見合い写真を山のようにもらっているとか、とりあえずどうでも良かった。


「本当に本当? 僕、けっこうオジサンになっちゃったけど、それで幻滅したりしない? 」

「しないわ。私も同じだけ年をとっているんだから」

「結婚を前提にお付き合いしてくれますか? 」

「喜んで! 」


 恭子から海江田に飛び付く。海江田はそんな恭子を抱き止め、何十年ぶりに唇を重ねた。





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