第225話 番外編 恭子先生告白される

「ウフフ……、寒~い」


 寒いのの何がおかしいのか、恭子はふらつく足取りで斜めに歩きながら、楽しそうに微笑んでいた。


「恭子ちゃん、ちゃんと歩かないと危ないよ」

「ら(だ)いじょうぶれ(で)す。なんか、フラフラしてて楽しいし」

「ちょっと、ここに座ってて。お茶買ってくるから」

「は~い! 」


 海江田は恭子をベンチに座らせると、土手から下りて自動販売機で暖かい紅茶を二本買う。


「ほら、暖かいよ」


 一つを恭子の上着のポケットに入れてホッカイロ替わりにし、一つを開けて恭子の手に握らせる。


「暖か~い」


 恭子は一口飲むと、ハァッと息を吐き出した。白い息が出て、煙草の煙みたいとケラケラ笑った。


「恭子ちゃん、あのさ、クリスマスプレゼントがあるんだけど」

「私に? 」

「うん、気に入るといいんだけど」


 海江田は、ポケットに入れていた小さな紙袋を取り出す。


「何れ(で)すか? 」

「開けてみて」


 恭子は酔っ払っていても、丁寧に紙袋を開けると、中から小さな箱を取り出した。箱の包装も破かないように開けると、中からネックレスが出てきた。


「ネックレス……れ(で)す」

「どう? この前可愛いって言ってたのと似た感じの選んだんだけど」

「高いんじゃないんれ(で)すか?」

「そんなでもないんだ。つけてみてよ」


 恭子はうなづいてつけようとしたが、酔っ払った手では上手につけることができない。


「貸して。つけてあげる」


 恭子は素直に海江田に背を向け、髪をかきわけて首筋を露にする。その色の白さと細さに、海江田の手も震えた。何とかつけ終わると、恭子はどうです? と海江田を見上げた。

 思わず、吸い寄せられるように海江田は恭子にキスをした。

 久しぶりにした触れるだけのキスだったが、恭子の唇は真冬だというのに乾燥することなくしっとりとしていた。

 唇を離すと、不思議そうに見上げる恭子と視線が合う。


「もう、勉強の必要はありませんわ」

「いや、勉強とかじゃ……」


 あまりに素に戻っている恭子に、海江田は戸惑う。


「家庭教師だった人、結婚したんだよね? 」


 スッと真顔になる恭子。婚約していた女性と結婚しましたという年賀状が今年の頭に届いていた。


「だから? 」

「いや……、もういいんじゃないかなって」

「もういい? 」

「……他の男を……僕を見てくれてもいいんじゃないかなって……」

「それは無理です」


 即答する恭子に、海江田は穏やかに恭子に向き合う。四年近く待ったのだ。そう簡単に引き下がれるほど潔ぎ良くはなかった。


「それは僕だから? それとも誰とでも? 」

「信也君が無理なら、他の誰かは200%無理です! 」


 それを聞いて、海江田はとりあえず一息つく。


「恭子ちゃんは、不倫とかするつもりな訳? 」

「そんなことしません! できません」

「なら、もう諦めないとじゃないの? 」

「……無理です」


 真面目でコツコツタイプの恭子は、今までの海江田と二人でしてきた努力(海江田にとっては努力でもなんでもないが)が無駄になると思うと、意固地なほどに首を横に振る。初恋の修平にこだわっているのか、海江田と過ごした時間にこだわっているのか、恭子にもわからなかった。ただ、海江田には恭子が修平を好き過ぎるから……としか思えなかった。


「僕は恭子ちゃんが好きなんだ!会った時からずっと」

「……」

「僕じゃダメなの? その修平先生のかわりになれない? 」


 真剣な海江田の表情に、恭子は視線をそらすしかなかった。


「修平先生のかわりは……誰も無理です」


 本当は、海江田は海江田であり、修平のかわりなんかではないと思っていた。でも口から出た言葉は海江田を打ちのめすものだった。好きだと告白して、無理だと返されたのだ。いくら海江田でも、その事実を受け入れない訳にはいかない。


「そっか……。結構待ったし、まだ待つつもりでいたんだけどな」


 海江田は乾いた笑いを浮かべながら髪をかきあげる。高校の時はスポーツ刈りだった髪の毛も、肩までのロン毛にのびていた。それはそれで似合うが、恭子は爽やかな短髪の海江田の方が好きだった。


「でも、ちょっと待つのはもうしんどいかもな……。やっぱりどうしても無理? もし恭子ちゃんが僕とのこと真剣に考えてくれて、今は無理でもいずれは……って思えない? 」

「今も今後もかわらないわ」


 少しの希望ももてないのか? と、海江田の表情は暗い。


「……行こうか」


 海江田が立ち上がり先を歩き、無言で恭子が後に続いた。言いたいことがあるけれど、酔いでボーッとした頭ではうまく言葉にならなかった。


 あっという間に恭子の家までついてしまう。


「じゃあ……」


 海江田に促されて、恭子は家の門扉に手をかける。


「あ……の」


 恭子のかすれた声は、すでに踵を返した海江田には届かなかった。ポケットを手を入れて去っていく海江田の後ろ姿を見つめ、恭子は唇を噛み締めた。


 明日になれば、きっとかわらずに連絡がくる筈。他愛ないお喋りをして、ドライブへ行って、ご飯を食べて……。そうよ、映画を観る約束だってしてるもの。

 冬休みはいっぱい遊ぼうって、ザ○ス(室内スキー場)も行こうって言ってたし。


 恭子は家のチャイムを鳴らして鍵を開けてもらった。


「お帰りなさい。あら、海江田君は? 」


 いつもなら、送って帰ってきた時にはきちんと親に挨拶して帰る海江田だった。


「うん、帰ったわ」

「珍しいわね。……喧嘩でもしたの? 」

「違う」


 恭子はブーツを脱ぐと、フラフラと家に上がった。


「やだ、あなた飲んでるの? 」

「美佐江も雅子も飲んでるって」

「大学生になったけど、あなたまだ未成年なんだから」

「わかってるわ」

「クリスマスだからって……」


 まだまだ続く母親のお小言を背中に、恭子は二階の自分の部屋に駆け上がる。

 部屋に入り、ドアを閉めるとポロポロと涙が溢れた。


「あら、嫌だ……。何で……? 」


 頬をつたう涙を手の甲で拭い、ポケットからぬるくなった缶を取り出して机に置く。その缶は開けられることなく、しばらく恭子の机を飾っていた。

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