第208話 久しぶりの再開
ボトルを半分くらい開けた時、居酒屋政の入り口が開いて、男女二人の客が入ってきた。
男性が女性をエスコートするようにドアを開け、女性が入ると男性がドアを閉める。女性は手ぶらで、男性が荷物を持っており、女性から上着を預かると自分の分と入り口のところにあるハンガーに上着をかけた。いたれりくつせりというか、まるで執事のように女性に付き従い、世話をやいていた。
「矢野さん? 」
声をかけられて驚いたように麻衣子を見た矢野は、麻衣子であることに気がついてパッと笑顔になった。
「まいちゃん? まいちゃんか、久しぶり」
矢野圭吾、昔コンパで知り合い、麻衣子のことを好きになってくれた男性だ。結婚した筈だから、横にいるのは奥さんの早苗だろう。前に見たことがあったが、その時よりも少しふっくらしたような……。
「こんにちは」
「こんにちは」
前はいかにもTheできる女というふうなキャリアウーマンだったが、結婚したからなのか柔らかい表情になっている。矢野を見る顔も、話す仕種も、穏やかで魅力的だった。
麻衣子達と四人席に移動し、久しぶりの再開に乾杯した。麻衣子達は焼酎のお湯割り、矢野はビール、早苗はオレンジジュースで。
「早苗さん……もしかして」
矢野と早苗は目を見合わせて微笑む。さりげなくお腹をさする手、ゆったりとした服装、ペッタンコの靴、そして居酒屋でオレンジジュース。
「そう。六ヶ月なの」
「おめでとうございます」
「何? 」
慧だけわからないようで、矢野達と麻衣子を交互に見る。
「早苗さん、おめでたなんだって。赤ちゃんだよ」
「ああ! 」
慧がポンッと手を叩き、まじまじと早苗のお腹を見て、へぇと感心したように頷いた。
「六ヶ月っすか。もう動きます?あんま目立たないっすね」
「そうね、動くわ。こんな服着てるから、目立ちにくいかもね。でもあんまり目立たない方かもしれないわ」
早苗は立ち上がって横を向いた。どうかな? とお腹をわざと押さえて見せる。
「あ、少しわかります! 」
「うふふ、もうね、ばっちり人の形しててね、欠伸したり指しゃぶりしたりするの。昨日検診でね、写真あるけど見る? 」
「見たい、見たい! 」
「ウオーッ、なんじゃこりゃ?!」
「凄いよね。3D画像なのよ」
予想していた白黒のエコー写真ではなく、目鼻立ちまでくっきりとわかるような3Dの画像で、何か色までついている。
「可愛い! 」
「すっげ! グロい」
「慧君!! 」
麻衣子が軽く慧の膝を叩くと、矢野は気さくな笑顔を浮かべた。
「いや、確かに生々しいよ。でもさ、男は女性と違って自分の子供って、生まれて見ないと実感わかないって言うじゃないか。この写真見たり、実際の動いている3Dのエコーを見たりするとさ、生まれる前から実感できるって言うか。うん、かなりな衝撃だったよ」
「矢野さん、検診に付き添ってるんですか? 」
「ああ、うちの産婦人科は土日もやってるからね。検診はもっぱら土曜日なんだ」
「土日もやってるんですか? いいですね」
「まいちゃんも予定あり? 」
「やだ、ないですよ! まだ働いたばかりですし、慧君はまた違う大学受けて大学生ですから」
「そうなんだ。そりゃ大変だ」
「別に」
それから、麻衣子の会社の話しや、慧の大学の話し、産休をどうするか……等々、久しぶりに会ったせいか話しは尽きなかった。
産休といえば、大抵女性側がとるものだが、早苗がとるのは産休の三ヶ月のみで、あとの六ヶ月ちょいの育児休暇は矢野がとるらしい。その決断にびっくりしたが、矢野の会社ではそれもアリらしく、仕事の上では役職のある早苗が長く休んで迷惑をかけるならと、矢野から提案したらしい。
麻衣子の父親の忠直でさえ、杏里を育てたのだから、男性に育児はできなくはないのだろうが、母親が育てるよりも、きっと大変だろうとは想像できた。何より、男にはおっぱいがついていないからだ。
ちなみに、慧に同じことができるとは思えない。
「じゃあ、君達の結婚はまだ先かな? 慧君の卒業を待ってって感じになるんだろうね」
「ええ」
「いや」
もちろん、前者の返事をしたのが麻衣子で、後者が慧だ。
オヤッ? という顔で矢野が麻衣子達を見て、すぐに納得したように頷いた。慧に麻衣子と結婚する意思があると受け取ったようだ。
「圭吾君、そろそろおいとましましょう。明日は月曜日だし」
「そうだね。じゃあ、先に失礼するよ」
矢野は早苗を気遣いながら席を立ち、麻衣子達の分までお会計をしてくれた。妊娠のお祝いに麻衣子達が払うと言ったが、「君達の結婚式には子供が小さくていけないかもしれないから、先にお祝いしとくね」と、冗談だかなんだかわからない理由でお財布を出すことを許してくれなかったのだ。
「俺等も帰るか……」
「そうだね。明日も仕事だしね」
麻衣子は常連さん達の間を回って挨拶をし、最後に大将に挨拶をしてから店を出た。
二月の頭、雪が降ってもおかしくない寒さに慧は首をすくめた。
「さみーな」
「マフラーくらいすればいいのに」
麻衣子が慧の腕に手を回してつっつくと、酔っぱらっているせいか、ただたんに寒さしのぎにか、麻衣子の手をつかんで自分の上着のポケットの中に突っ込んだ。
電車に乗った後も手は繋がれたままだったから、防寒だけではなかったに違いない。
電車を乗り継ぎ、最寄り駅についた時にはすでに日にちが代わっていた。
駅から歩くと少しあるが、バスを待っている時間を考えると歩いた方が早く、凍えて待つよりはと歩きだした。
「早苗さん、幸せそうだったね」
「あぁ」
「至れり尽くせりだったよね」
「あぁ」
「早苗さんが上司ってのもあるのかな? 」
「あぁ」
麻衣子が話しかけても、慧はろくに聞いている感じもなく、適当に相づちをうつばかりだった。
慧的には、どのタイミングで紙袋を出そうか、無理やり麻衣子の指に指輪をはめてやろうかと気もそぞろで、麻衣子との会話どころではない……というのが本当のところなのだが、いつも以上にそっけない慧に、酔いも手伝ってか不安がどんどん大きくなっていってしまう。
「赤ちゃん楽しみだよね」
「あぁ」
「……慧君は産休とかとらなそうだよね」
「あぁ」
「子供の世話とかできそうに見えないもんね」
「あぁ」
「ふーん、あたしとの子供は欲しくないんだ」
「……」
この時慧はポケットの中でゴソゴソと指輪を包みから出すことに必死だった。中身を見ようとしないなら、現物を目の前に突きつけてやろうとおもったのだが、見えないところで、片手でびっちりつけた袋のテープを外すこと自体至難の技で、すでに慧の意識はそこに集中してしまい、一言も麻衣子の話しを聞いていなかった。
「慧君が子供子供言うから、あたしだってそれなりに覚悟決めたりしたのに、そんなに過去の浮気が気になるの? それとも今現在進行形な訳? 」
慧がポケットの中をあさっているのは、その奇妙な動きからわかった。そこまでして自分に浮気の証拠を見せたいのか?
見たくないという意思表示はしたし、それ(浮気)はなかったことにして慧と将来を歩きたいからだ。
「慧君! いい加減にして!! 」
「よっしゃ!! 」
二人の声が重なり、辺りに静寂が広がる。
言うまでもなく、慧は紙袋の中から指輪の箱を取り出せたからで、満面の笑顔を浮かべている。反して麻衣子は悲痛な表情に涙までうるましていた。
「何をいい加減にすんだ? 」
慧は紙袋をとめたテープを剥がすことは諦め、片手で力業で紙袋を破ったのだ。
「よっしゃって、ラグビーでも優勝したの? 」
もちろん、ラグビーのリーグがやっている訳じゃないし、第一慧がそういうのに興味がないということもわかっていた。まあ、野球の試合くらいは見るみたいだが、特にどこのファンとか、勝ったからって奇声を発するほど打ち込んでいる姿も見たことはなかった。
「何でラグビー? 」
「それは何となく」
しばらくお互いに無言で立ち止まる。
慧は麻衣子と繋いでいた方の手を振りほどくと、ビリビリに破れた紙袋をとりだし、袋を地面に投げ捨てた。
「ポイ捨てはダメよ」
麻衣子が紙袋を拾い上げ、丁寧に畳んで鞄にしまおうとし、一枚のメモを手に取った。
「あ、それ! 」
慧が慌てて麻衣子の手からメモを取り上げようとし、つい反射的にそのメモに目を通してしまう。
「これ……」
慧の忌々しそうな顔の奥に、羞恥心が見え隠れしていた。
麻衣子は改めて、しっかりと、そのメモを一語一語目で追った。
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