第207話 最後の勘違いからの……

「とりあえず、開けてみろって」

「嫌」

「あんだよ?? 開けるな危険って、ギャグだからな。開けたからって爆発とかしねぇし」

「西条さんは、毒物が入ってるって言ってたけど」

「はあ? んな訳ねぇだろ」

「うん、だよね。私もそれはないって思ってる」


 まんじりとも動かない麻衣子に、慧は徐々に苛立ちを覚えてくる。


 プロポーズの返事も一ヶ月スルーだわ、婚約指輪の受け取りも拒否って、俺もしかして暗にフラれたりしてる訳?

 言い出せないけど、実はとっくに愛想尽かされて、結婚なんか冗談じゃない……とか思われてたりする訳?

 マジで女ってこぇー!

 いや、そりゃそれなりなことしてきた訳だから、こいつが悪い訳じゃねぇんだけど……。


 無言で二人、紙袋を見下ろして考えていることに、かなりな食い違いがあるのだが、お互いにそんなことなど気がついてもいなかった。


「とりあえず……飯、飯食おうぜ」


 面倒くさいことは後回しにする慧である。麻衣子も、とりあえず目の前の紙袋から話しがそれてホッとする。


「あ、まだ作ってない」

「だろうな、さっき杏里達と下ですれ違ったから。あいつ等、いきなり和んでるみたいだったけど」

「うん、なんか慧君ネタで盛り上がってたよ」

「言うな、あんま聞きたくねぇ。じゃあさ、久しぶりに食べに行くか」

「いいけど、駅まで出ないとだね。簡単なので良かったら、すぐに作れるよ」

「いや、出かけるぞ」

「じゃあ、支度してくる」


 麻衣子が寝室へ向かったのを見て、慧は紙袋を畳んで上着のポケットに突っ込んだ。


 とにかく、酔っぱらって、酔っぱらわせて、こいつをあいつの指に押し込んでやる!


 普通にプロポーズの返事を聞き、婚約指輪を渡せばいいだけの話しなのだが、どうにもこじれまくっている二人だ。


 慧が歩く後を小走りで追いかけて駅前までついた。駅前の商店街にある居酒屋かファミレスにでも行くのかと思いきや、いきなりスイカを出す慧に、麻衣子も慌てて鞄からスイカを取り出した。


「わざわざ電車乗るの? 」

「ダメなのかよ」

「まあ、いいけど……」


 そこまでして食べたいものがあるのだろうか?


 慧が不機嫌そうなので、麻衣子はそれ以上話しかけることなく、慧の乗る電車に乗り、流れていく風景をボンヤリと眺めた。


 次第に見慣れた風景となり、大学のある駅を越えた。慧と住んだマンションも越え、去年まで毎日バイトで下りていた駅につく。


「下りるぞ」


 まさか、居酒屋政が懐かしくなったとか?

 そりゃ居酒屋の割りに料理は美味しいし、定食はがっつり量はあるけど、わざわざ電車を乗り継いでくることもないような。


 慧が政の暖簾をくぐると、いつも通り大将の元気のよい「らっしゃい! 」の声が響く。


「麻衣ちゃんじゃないか。彼氏君も。何? わざわざ食べにきてくれたの? 」

「ご無沙汰してます。二人、大丈夫ですか? 」

「カウンターでいいかい? ほら、お通しだして。麻衣ちゃんが辞めてから、バイトが一新してね。なかなかまだ馴れなくて」


 新人さんなのか、女の子が一人右往左往していた。


「バイト、一人ですか? 」


 カウンターに座り、自分でおしぼり等を用意する。


「いや、もう一人いるんだけど、毎回遅刻なんだよ。麻衣ちゃんや佑君がバイトしていてくれた時は良かったよ。ビールとか、自分で注いでもらっていいから。その分半額にするし」

「いいんですか? 」


 麻衣子はビールを注ぎに行き、その間に慧が料理の注文をした。

 常連の客に声をかけられ、麻衣子はついでに酒を作る。麻衣子が酒を運んだり注文をとったりし終わりカウンターに戻ったときには、すでにテーブルには刺身や唐揚げなどが並んでいた。


「ごめん、ごめん。ついね」

「別にいいけど」


 すでに慧のジョッキは空に近い。


「注いでこようか? 」

「ああ」


 すんなり慧の分だけビールを注いでカウンターに戻ってくる。


「はあ……、久しぶりに接客も楽しいね」

「おまえ、事務だしな」


 麻衣子はお喋りなタイプではなかったが、人の話しを聞くのは好きだった。人当たりもいいし、実は接客業や営業と方が向いているのかもしれないと慧は思った。自分は全くもってむいていないが。

 だから、親から医者にならないかと受験の時に言われたが、速攻であり得ない! と答えたのだ。まあ、慧の性格を知っていたから、両親も強く主張せず、受験じゃなく入れた文系の大学に推薦入学できた。そのおかげで麻衣子と会うことができた訳だ。


 慧は、横目で麻衣子を見る。


 面と向かっては言わないが、実際にこいつはいい女だ。見た目とかスタイル(いやまあ、これはかなり大事ではあるが)の問題じゃなく、中身がである。面倒見が良かったり、古風な面があったり、見た目とのギャップも魅力的なんだろう……多分。俺みたいにしょうもない女に好かれるんじゃなく、それなりにちゃんとした男にも好かれてる。


 だから、俺でいいのか? なんてことは禁句だ。良い訳がないから。


 慧は、上着のポケットに入っている紙袋を触りながらビールを飲み干した。


 プロポーズはもうしてあるから(目の前で言うつもりなんかない慧だ)、後はこの指輪を受け取らせてOKをもらうだけなのだが、そのきっかけがつかめなかった。


 余計なこと書かずに、中を見ろとでも書けば良かったと、慧は猛烈な後悔に襲われていた。


「ボトルでもいれる? 」


 まだ麻衣子が一口飲んだか飲んでないかといううちに、すでに二杯ビールを飲み干してしまった慧に、麻衣子は焼酎のボトルのメニューを差し出した。


 こんなに勢いよく飲んで、よほど慧は言い辛い何かを溜め込んでいるに違いない。そんなに、あの紙袋の中にはショッキングな事実が隠されているのだろうか?


 麻衣子は、出かける際にテーブルの上に紙袋がないことをさりげなく確認していた。

 隠す時間はないだろうから、きっと慧が持っているに違いないと麻衣子はふんでいた。なんとなく上着のポケットが膨らんでいるし、上着を預けるのを拒否して、暖かい店内でいまだにコートを着ているから、きっとあのポケットの中に問題の紙袋が入っているんだろう。


 あくまでも、慧君はあれを私に見せるつもりなんだ。過去の精算したいのかもしれないけど、慧君の自己満足以外の何物でもないよね。今更……じゃないのかな? 私が知らないだけで、現在進行形のセフレとかいたりするのかな?


 麻衣子の気分はどっぷりと暗くなる。


 慧とは同じサークルで、最初はあまり話したこともなかった。それが、送り狼というか、勘違いされるような派手な格好してた私が悪いんだけど、まあイタシテしまって、それからズルズルとセフレみたいな関係が続いたんだった。


 いつ、好きになってたか……。たぶん、最初にうちに泊まった日の朝、キスして帰っていったあの時からだと思う。

 慧君にしたら、挨拶みたいなもんだった筈で、ドキドキしたのは私だけだったんだろうけど、あのキスからもう好きになってたんだわ。


 場所がここだからか、麻衣子は慧と出会った時のことを思い出していた。

 ボトルをいれ、慧には濃いめ、自分には薄めのお湯割りを作った。

 慧は、ビールと同じ勢いで焼酎のお湯割りをあおる。


 麻衣子と関係を持ってから、少なくとも二人の女性と慧はSEXしている。他にも、慧を本気で好きになった女の子達もいた。もちろん、全部辛かったけど、やはり最近のが一番しんどかった。

 慧が自分のどこを好いてくれているのか、いまいちよくわからないが、いるのが当たり前みたいに、日常生活の一部になっていて、それなりに愛着を持ってくれていると思っていた。それが、一過性だったとはいえ、本気の恋愛の前に愛着なんか消えてなくなってしまったんじゃないかって、身体を壊すくらい悩んだし、慧君との関係が終わってしまうっておかしくなりそうだった。


 色々と思い出しているうちに、麻衣子の目がウルウルと潤んでくる。


「おまえ! 何泣きそうになってんだよ?! 」


 いきなり泣きそうになっている麻衣子を見て、慧はギョッとして乱暴に麻衣子の目におしぼりを当てる。


「あは、なんか色々思い出しちゃって。慧君の浮気、辛かったなって……」

「おいおい……」


 婚約指輪を渡そうとしている相手から、昔のダメ出しを出され、慧は怯んだように視線がぶれた。


 だから、これを受け取らないのか?!


 慧は、ポケットの中で紙袋を握りしめてしまう。

 紙袋はグシャグシャになったが、中身は箱に入っている為無事だった。

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