第206話 謎の紙袋

 リビングで雑誌を見ながらキャーキャーやっている三人を見ながら、麻衣子は不思議な気分になる。


 杏里は人見知りするタイプではないし、凛花もまあ似たようなタイプだ。実際にこの二人、異性に対するユルさはどっこいどっこいかもしれない。さばけた感じが共通しているのか、すぐに打ち解けたようで、まだ二回しか会っていないというのに、年齢関係なくタメ口で話している。

 コスメや洋服のネタは全国女子共通なのか、話しの種はつきないらしい。それプラス三人共通して慧をディスリ始めたのだから、騒がしいったらない。


「ちょっと、あなた達、一応マンションなんだから静かにね」


 キッチンから注意しながら、気分は母親である。麻衣子はどうにも、ああいうふうに騒いだりするのは苦手だった。

 大学でも、派手目なグループにいたし、他の三人はキャーキャー騒がしかったが、麻衣子は聞いているだけが楽だった。一応合わせようと、わざと大きな声で騒いでみたりしてはいたが、疲れるだけなのでいつしか聞き役に徹するようになり、慧の彼女と認識され、あまり喋らない慧の側にいるのが、実は凄く楽だったりした。


 何にせよ、楽しい思い出であることは確かだ。


 麻衣子が紅茶をいれようとお茶がしまってある棚をさぐっていたら、入れた覚えのない紙袋が奥の方に押し込められていた。


 紙袋を取り出すと、ただの黒い小さな紙袋で、付箋が貼ってあった。


 開けるな危険! 覚悟がないなら見るな!


 慧の字だった。紙袋の上側はガムテープでしっかりとめられている。


「どうしたの、お姉ちゃん? 」

「うん……なんか、こんなのがでてきた」


 杏里は紙袋を手に持ち、ガサガサ振ってみる。


「杏里、割れ物だったらどうするのよ」

「だって、そんな重さじゃないよ」


 確かに、ガラスとか割れ物が入っている重さではない。


「開けるな危険って、何? 毒物でも入ってるっていうの? 」

「ちょっと、多分っていうか確実に慧君の私物だから、勝手に開けないで」


 二人住まいで、麻衣子の知らない物なんだから、慧が置いたので確定だろう。しかも、隠すように置いてあったから、見られたくない物なのかもしれない。それなら、見るなとだけ書いておけばいいのに、覚悟っていったい?


「お兄さんの浮気の証拠が入っていたりして」

「やあね、もうないでしょ」

「何? 何ですかそれ 」


 佳奈と凛花もキッチンに集まる。

 杏里は紙袋を手にリビングに戻ると、四人でテーブルに置いた紙袋を見つめた。


「薬学部って、劇薬とか毒薬とか手に入りやすかったりするんでしょ? 」

「そりゃあるけど、簡単には持ち出せないよ。鍵かかってるし、鍵は教授とかが管理してんじゃないかな」

「松田君、恭子先生の部屋に入り浸ってたわ! 」

「いや、そうかもしれないけど、なんだって松田君が毒薬を家に隠すのよ。浮気の証拠が入ったUSBメモリかもよ」

「あのお兄さんが、そんな記録残すほどマメな訳ないじゃん」


 杏里の言葉にみな頷く。


「じゃあ、やっぱり毒薬?! 台所にあるって、この間見たサスペンスでも料理に毒入れてたわ。棚に隠して、調味料のふりして入れるの」

「西条さん、料理作るの私だし、慧君はほとんどキッチンには入らないから」


 毒だ浮気の証拠だと盛り上がり、結局わからないまま夕飯の時間が近くなる。


「開けちゃえばいいじゃん」

「ダメだってば」


 麻衣子が頑として首を振らず、三人がどうこうできるものでもない為、紙袋はそのままリビングのテーブルに置き去りにされる。


「あっと、そろそろ帰らないとだ」

「私も」

「私もだ」


 杏里が言い出し、佳奈と凛花も同調しと腰を上げる。


「なんだ、お夕飯食べていかないの? 」

「これからバイト。じゃ、お兄さんに毒殺されないように気をつけてね」

「バカね」


 麻衣子は苦笑しながら、バタバタと帰り支度をして帰って行く三人を見送る。


 ドアを閉め、エレベーターのボタンを押した杏里が、フーッとため息をつく。


「全く、お姉ちゃんは鈍感だなあ」

「何、何? 」

「あの大きさの紙袋って、一目見ればなんの袋かわかんじゃん」

「えっ?! 厳重に密閉した毒物が入っているんじゃ……」


 佳奈も天然である。


「ああ、まあ、そうよね。やっぱりあれよね」


 凛花も頷いている。


 エレベーターに乗り一階につくと、目の前に帰宅した慧が立っていた。


「何だよ、おまえも来てたのか」

「もう帰りますよーだ。ね、お兄さん、お姉ちゃん台所の紙袋発見してたよ」


 明らかに動揺したふうの慧に笑いかけ、佳奈と凛花を引っ張ってエレベーターを降りる。


「ねえ、ねえ、このまま帰って大丈夫かしら? 麻衣ちゃんに何かあったら……」

「何があんのよ! 」

「だって毒殺……」


 凛花は呆れたように、佳奈の背中を叩く。


「止めてよね! あんたが言うと、本当に毒殺を目論みそうで怖いから」

「やあね、私が出来るのは盗聴器仕掛けるくらいの可愛い犯罪よ。毒殺なんて、自分の人生をふいに振るようなことしないわ」

「盗聴器もどうかと思うわよ」


 紙袋のことをおいておいて犯罪談義を始める佳奈と凛花を、実はこの人達ヤバイじゃんと一歩距離をとった杏里は、マンションを振り返って慧の消えたエレベーターに目を向ける。


 明日、お姉ちゃんにもう一度会いにこよう。その時には、左手の薬指に何かしらの物体が見られるかもしれない。

 その前に、今晩は佑の家に泊まって仲直りしないとだな。


 杏里は麻衣子の幸せそうな笑顔を想像して、足取り軽くバス停に向かった。


 ★★★


「ただいま」


 麻衣子にしては珍しく玄関の鍵が開いたままで、ドアは取っ手を引くとスムーズに開いた。慧はスニーカーを脱いで家に上がる。


「おい、鍵開いてた……ぞ」


 慧はいつも開けっ放しなのだが、麻衣子は防犯面からもちゃんと鍵を閉めてと常に慧に言っていた。


「おい? 」


 麻衣子が紙袋を目の前にして、まんじりとも動かない。

 慧が麻衣子の肩を叩くと、麻衣子は固まった表情のまま慧を見上げた。


「……これ」

「ああ、それな?! 見つけたんだ。そうか、まあ、見つけられたらしゃーないよな」


 慧のキョドった視線や、やけに髪を触る仕草を見て、麻衣子は悟ってしまう。


 佳奈の言う通り毒物が入っているとは、まさかの麻衣子も考えてはいない。そう、毒物ではないとすると…………、USBメモリしかあり得ないじゃないか?!


 多分この場に杏里がいたら、あんたの日頃の行いが悪いからよ! と、慧をどついたことだろう。決して麻衣子を責めない杏里であるから、麻衣子の鈍さ加減は棚上げされるに違いない。


「中、見たのか? 」

「ううん。覚悟しないと、見たらいけないんでしょ? そんなすぐに覚悟って言われてても、覚悟なんかできる訳ないし」


 覚悟できてないって、そりゃ動画送ってから一ヶ月しかたってないけど、こういうのっていつまで待つもんなんだ?


 慧は、固い表情の麻衣子を見て、戸惑いを隠しきれなかった。

 紙袋の中身、それは一通の短い手紙と小さな箱が入っていた。

 手紙には、覚悟が出来たら箱の中の物をつけてほしい……とだけ書いてあり、箱の中には慧の貯金(この間の帰省で母親から貯金通帳渡されていた。毎年のお年玉など、慧に渡すと使いきってしまうから、内緒で貯めていてくれたらしい)を崩して買った指輪が入っていた。


 いつまでたっても動画の返事を寄越さない麻衣子に、顔には出さなかったが慧は慧で焦れていた訳で、この指輪をつけたら返事はOKということで、とりあえず役所に手続きに行くぞ! と思っていたのだ。

 両家顔合わせだとか、結婚式の打ち合わせだとか、そんな面倒なことはやりたい奴が仕切ればいいし、とりあえず自分は判子を押して籍さえ入れば問題なし! あとは好きにやってくれ……と、あまりのずぼらッぷりに、他人が聞いたら結婚を考えなおすように進言することだろう。

 しかし、慧にしたらこれがいっぱいいっぱいなのである。


「いや、まあ、覚悟ったって、ほんのちょっとで……。そんな大層な覚悟はいらないって言うか」

「無理! 私には見れないよ」


 すでに消したが、まだ佳奈が慧のストーカーだった頃、慧の浮気の動画(映像ではなく音声だけだったが)を送りつけてきたことがあった。あれだって、凄く辛くて聞いていられなかった。もしもっと凄い写真や動画が入っているとしたら……。

 堪えられないよ。


 麻衣子の中では、この紙袋の中身には慧の浮気の証拠が入っているということで確定しており、いわゆる過去の精算じゃないが、こんな自分だけど覚悟してくれという慧の意思表示……だと受け取ったのだ。


 まあ、普通に考えたらあり得ない話しなんだろうが、あまりに杏里達が浮気の証拠だとか毒物だとか騒ぐものだから、麻衣子もすっかり思考がそっち方面に染まってしまっていた。


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