第204話 和解……?

「あー、話しって、それ? 」


 慧が口を開き、始めて硬直していたこの場の雰囲気が動き出した。


「坊っちゃま! 先程のお話しは本当ですか?! 」


 八重が廊下から顔を出してリビングにずかずかと入ってきた。


「いや、本当って何が? 」

「お坊ちゃまが浮気してというお話しです! 」

「いやまあ、それ以降はホラだけど、それはまあなんて言うか……」

「麻衣子お嬢様がきちんとしたお嬢様なのは存じております。お坊ちゃま、八重はそんな子にお坊ちゃまを育てたつもりはございません! そりゃ、若い時は色々あります。男性ですから色も必要かと、目をつぶってきた八重が馬鹿でございました。こんなことになるのなら、若い時からもっと厳しくお育てしていれば……」

「あの……」


 目尻をハンカチで押さえて力説する八重の肩を紗栄子が支える。


「八重さん、あなたばかりが悪いんじゃないわ。私がもっとしっかり子育てすれば良かったをんだわ。麻衣ちゃん、浮気するような馬鹿息子は見限ってくれてかまわないのよ。いえ、馬鹿息子は勘当よ! 麻衣ちゃん、うちに養女にいらっしゃい」

「ちょっと、待ってください。もう、その話しは慧君と話し合ってますから。それに、ほら、こうしてプロポーズも」


 麻衣子はスマホの動画を再生する。

 そこには、慧にしたら誰にも見せたくないだろう恥ずかしいプロポーズの様子が映っていて、それを紗栄子と八重が食い入るように見つめた。


「あらあらあら、これを雨降って地固まるって言うんでしょうか、奥様」

「そうね。慧がちゃんと言えるなんて。それこそ、子供を先に作ってなし崩しに結婚に持ち込もうとするものだと」

「慧坊っちゃまは、やる時はやる男の子です。奥様、旦那様にも連絡しないと」

「そうね。新年のゴルフコンペどころの話しじゃないわ。そうだ!麻衣ちゃんのご両親ともお話ししないと」


 勝手に盛り上がって、八重と紗栄子は電話電話と、リビングから出て行ってしまう。

 今度呆気にとられたのは佳奈の方である。

 子供の父親を暴露して(誰かは知らないが)、慧の絶望に歪む顔を見にきたというのに、何故かおめでたい方向に話しが進んでしまっているのだから。


「だから、そのお腹の子供は! 」

「あのね……申し訳ないんだけど、慧君の勘違いで、子供なんかいないの。だから、魔が差したことなんかないのよ。西条さんは、慧君のことが本当に好きだったのよね? だから、こんなこと言いにきたんでしょ? 」

「わ……私はもう松田君のことなんか、これっぽっちも! 」

「そりゃ良かった! 好かれたままじゃ大迷惑だよ」

「慧君! 」


 麻衣子に睨まれて、慧は口をつぐむ。


「ちょっと上行かない? 」


 麻衣子は佳奈の手をひいて二階の慧の部屋へ連れていった。


「何よ?! 松田君の勘違いを鵜呑みにして、あんた達を別れさせて最高の新年を迎えてやろうって思ったのよ! 私はあんたの男に騙されたんだ! 仕返ししてやろうとして、何が悪い! 」


 佳奈は喚きちらし、そのどす黒い胸の内を暴露する。


「地味で不細工な私を、始めて選んでくれたのが松田君だった。綺麗で可愛い凛花ちゃんじゃなくて、私のいる部活を選んでくれた」


 部活……。まさかの部活発言に、麻衣子は気がつかれないような安堵の息を吐く。まさかとは思っていたが、慧が手当たり次第手を出しまくった結果が、佳奈のような恋愛モンスターを作ってしまったんじゃないかと、正直慧を信じきれない一面もあったのだ。


「長く付き合ってる美人には飽きたから私にアピールしてきたんだと思ったのよ。人は見た目だけじゃないって松田君が気がついて、私を選んだんだと思ったわ。それが何よ? あんたより綺麗な子が回りにはゴロゴロいるじゃない?!美人に飽きて地味な私を選んだんじゃないなら、私はただバカにされただけって訳?! ブスで地味な私が舞い上がるのがそんなに楽しいの?! そう思ったら、松田君を好きな気持ちなんかさっぱりなくなったわ! もう、憎らしくて、あんた達も別れて不幸になっちゃえって……」

「そうね。私の回りには素で美人な子がいっぱいいるわ。慧君は、元から見た目で選ぶ人じゃないから……」

「何よ! そんなこと言ったって、私なんかよりずっと美人じゃないのよ!」


 憎しみのこもったような藪睨みな目でギラギラと見上げられ、麻衣子は何と言えば佳奈が受け入れてくれるか思案する。


「私……美人じゃない。少し化粧が上手いだけ。私も高校までは地味で目立たなくて……」

「嘘! あんたの妹、素材だけだってかなりなもんだったじゃないの! 」


 慧達の引っ越しの時に見た杏里を思いだし、佳奈は更に憎しみを顕にする。


「あの子は父親似。私はどっちかというと母親かな。それに、姉妹だけど母親が違うから、そんなに似てない筈よ。まあ、私が化粧すると、あの子に寄っちゃうみたいだけど」


 麻衣子は、佳奈をベッドに座らせると、持ってきたヘアバンドを佳奈につけさせた。


「これ、あまり見せたくないんだけど……」


 麻衣子は、高校時代の写真をスマホの中から探して佳奈に見せた。


 そこには今の麻衣子からは想像できないような、野暮ったくて地味な高校生の麻衣子が写っていた。

 自分に自信がなくて、地味な自分にコンプレックスを持っていた麻衣子は、表情からして根暗で陰鬱な雰囲気を醸し出していた。


「これ、私」

「嘘……」


 顔立ち、スタイル共に佳奈とは全く違うが、慧に会う前の佳奈を思い出させるような地味っぷりに、佳奈は写真と麻衣子を何度も見比べた。


「ちょっと、失礼」

「冷た!」


 麻衣子は化粧落としシートで佳奈の化粧を落とし始めた。


「何するのよ! 」

「顔の手入れと化粧を少し……ね」



 クレンジングで化粧をきれいに落としてしまうと、そこには地味なは顔立ちの佳奈が現れた。

 パックをし、二階の洗面台で顔を洗わせる。佳奈を再度ベッドに座らせ、化粧水をたっぷりコットンに染み渡らせ、念入りにパッティングする。肌がモチモチしてきたら、乳液と美容液をつけて簡単に顔をマッサージする。

 それだけでも、いつもの佳奈のむくんだ顔がすっきりとし、一回り顔が小さく、埋もれた目が二割増しでパッチリしたように見えた。


 下地クリームを塗り、コンシーラーで細かなソバカスやシミを隠す。麻衣子とは肌の色が若干違うが、ファンデーションは一種類しかなかったので、麻衣子のファンデーションを薄く塗る。白塗りで首と顔の色が違うさっきの佳奈よりは全然マシになった。マシどころか、透明感のある肌になり、このままでも十分化粧映えして見えた。


「ほら、肌の手入れをしただけでも、こんなに違うのよ」


 麻衣子が鏡を佳奈に見せると、佳奈はマジマジと鏡に見入った。


「嘘……」

「簡単な化粧していい? 」


 佳奈は頷き、今度は鏡を斜めに持ったまま麻衣子の施す化粧を見つめる。


 二重になるようにアイプチをし、今日の洋服に似合うように淡い茶色ベースで上品な化粧をする。肌の色に似合うピンクベージュの口紅をつけると、決して美人ではないが普通に見られる女の子が鏡に映っていた。


「凄い……」


 どんなにゴテゴテ化粧をしても、ド派手は大阪のオバハンにしかならなかったのに、これなら普通の女の子ではないか?!


「私ね、高校生までは親が厳しくてお洒落とか禁止だったの。だから、凄く研究したのよ。化粧も洋服も。唯一できたのは顔の手入れと身体のケアくらいでね。それも、母親はいい顔しなかったけど」


 麻衣子は佳奈からヘアバンドをとると、ショートカットを可愛らしくアレンジし始めた。


「まあ、大学入学当時はやり過ぎて、西条さんみたいにちょっと派手目な感じになっちゃったけどね。で、男の人に勘違いされることが多くて、派手な化粧や格好は止めたの。それからはシンプルになるように研究したわ。今は、社会人らしい化粧を研究中。そうだ、うちの会社、下着の通販の会社なんだけどね、コンセプトは綺麗に見える下着なの。下着自体も可愛かったりセクシーであったりするべきだけど、何よりも女性の身体に負担なく、見た目も整える下着。つけただけで背筋も伸びて、余分なお肉は胸に……ってね。今度、オーダーで作ってみない? 絶対、スタイルもよくなるから」

「……高いんじゃ? 」

「私も買える範囲内だから大丈夫。サイズだけ測って、セミオーダーも可能だし、なんなら社割使うわ」


 髪型から化粧まで整った佳奈は、さっきよりも百倍良くなっていた。もう、これだけでも目から鱗が落ちたようで、佳奈の怒りはすでにどこぞへ行ってしまい、麻衣子に心酔したように、麻衣子の手をがっしりと握った。


「麻衣子さん! 私ったらあなたに酷いことしようとしたのに……。いえ、勿論松田君を憎んでいただけであなたはとばっちりだっただけだけど。でも、あなたのお腹の子供が松田君の子供じゃないとバレれば、二人は別れることになるだろうし、そうすれば松田君が不幸になると思ったのよ。私、本当に馬鹿だったわ! あなたも傷つくかもしれなかったのに、目先の憎しみに囚われたりして」


 麻衣子は苦笑しながら、佳奈の手をそっと外す。


「あの、子供は本当に慧君の勘違いでね」

「わかってるわ! えぇ、本当にいなくて良かった! あにたが不貞をしていなくて良かったわ! 」

「まあ、そうね……それはないから」

「私、麻衣子さんとお友達になりたいわ! お化粧やお洒落の仕方をレクチャーしてくださらない?大学でも松田君が悪さしないようにバッチリ見張るわ」

「まあ、化粧教えるくらいならいくらでも……」

「じゃあ、これからお化粧品を買いに行くのに付き合ってくれる?ああ、もっと綺麗になりたいわ」


 佳奈は麻衣子の腕をむんずと掴むと、麻衣子の返事も待たずに引っ張りながら部屋を出て行く。


「おい、どこに……」


 リビングでウロウロしていた慧が、麻衣子達が下りてきたのを聞き付けて顔を出した。


「松田君! 麻衣子さんをお借りします。あなたはいつでも麻衣子さんを独り占めできるんだから、少しずつくらい私に貸してくれるわよね? 」

「って、どこに? 」

「買い物です! お化粧品を、麻衣子さんに見立ててもらうんです」

「あら、あなたずいぶん可愛くなったじゃない? 買い物なら私もまぜて。まだ麻衣子ちゃんに買いたい物があったのよ。ついでに、お茶でもしましょうよ」


 何故か紗栄子までイソイソと出かける準備をし、二人の後を追う。


「どうなった? 」


 麻衣子の行ってきますの明るい声に、最悪なことにはなっていないようだと判断したが、慧には話しがさっぱりわからず、ただ唖然としながら玄関先で立ち尽くした。






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