第201話 慧帰郷

「麻衣ちゃん、久しぶり! 」


 慧の実家に帰る前に、慧と麻衣子は琢磨の自転車屋を覗いた。相変わらずというか、地元組は琢磨の部屋が集合場所なのか、当たり前のようにくつろいでいた。

 琢磨 、孝介、元、みなかわりはなさそうだ。琢磨は大学卒業し、実家近くの会社に就職、元は前の通り実家の居酒屋の副店長、孝介は実家が八百屋らしく、それを手伝っているということだ。


「おまえら、人の彼女に馴れ馴れしい」

「まだ彼女だったか?! そろそろ慧に飽きたんじゃないの? うちはいつでもウェルカムだからな」


 元は人懐っこい笑顔を向け、慧に頭を下げた叩かれる。


「とか言って、この前彼女ができたんじゃないのかよ」

「まあ……、あれはあれってことで」

美世みよちゃんが泣くぞ」

「それは困る……」


 孝介と元の掛け合いを鼻で笑いながら、慧は人様のベッドに横になる。


「麻衣ちゃん、適当に座ってよ。元、麻衣ちゃんに飲み物」

「ビールでいいか? 」

「私はお茶で」


 まだ慧の家に挨拶していないというのに、酔っぱらっている場合ではない。何より、慧の両親の勘違いを正さないといけないからだ。


「何か、気になることでもあるの? 表情が暗いけど」


 琢磨は、さすがモテメンというべきか、ほんの些細なことにも気が回る。


「ああ、うん……ちょっと、慧君のご両親にね……」

「うちの両親が、麻衣子に子供ができたって勘違いしてて、それを話さないとって、気が重いんだと」


 すでに他人事のように言う慧を、麻衣子は軽く睨み付ける。


「だから、それは慧君がちゃんと話してよ」

「めんどいじゃん」

「ああ、そういやこの前おばさんに会った時、凄くご機嫌だったのはそのせいか」

「あ、俺も会った。早く彼女作って結婚しなさいって言われたよ。彼女はできたけど結婚は早いっすよって言ったら、子供は早く作るに限るとかなんとか……」


 みな、慧の母親のご機嫌っぷりを目にしていたらしい。義兄夫婦のところに孫を期待していないせいか、慧と慧の将来の嫁……つまりは麻衣子との間の子供への期待が大きいのは知っていたが……。


 慧の家に行くのが、さらに気が重くなる。

 そんな麻衣子の様子に気付いてか、琢磨は慧を小突く。


「こういうのはさ、繊細な話しだし、慧がちゃんとしなきゃ」

「どうせ腹も膨れないんだから、時期がくりゃ勝手に気がつくだろ」

「おまえね……」


 同情の視線が麻衣子に集まり、さすがにそれじゃ駄目だろと三人に責められ、慧はふてくされたようにへぇへぇとうなづいた。


「慧君、お母さん達待ってるだろうから、そろそろ行かないと」


 だいたいの帰る時間はラインで知らせていたため、あまり琢磨の家に長居もできない。少し寄るだけと思いきや、すっかりくつろいでしまっている慧に、麻衣子は急かすように腕を引いた。


「わかったよ」


 慧はノロノロと立ち上がり、荷物を背負ってじゃあなと手を上げる。


「お邪魔しました」


 皆で初詣行こうと約束を交わし、慧と麻衣子は琢磨の部屋を後にした。


「元君、彼女ができたんだね」

「あぁ、美世な。琢磨の元カノだけどな」

「えっ? 」


 それってありなんだろうか?


 特に二人の様子にギクシャクした様子はなかったし、お互いに気にしてないなのならいいのかもしれないが……。


「琢磨はモテるからな。地元で彼女作ろうとしたら、琢磨に無関係な女を探す方が難しいんじゃん。そんなん、年増か幼女くらいじゃないの? 」


 琢磨は確かに見た目はかっこいいし、当たりもソフトでいかにもモテるタイプではあるが、いくらなんでもそれは言い過ぎな気がする。


「いくら何でも言い過ぎでしょ」

「あいつ、初彼女小二だぜ。しかも、だいたい半年もたねぇの。最短二週間とかもあったな」

「何で? 琢磨君、実は彼女にはつれないタイプとか? 」

「逆、逆。あいつ、誰にでも優しいからな。勘違いした女がウジャウジャ寄ってくんだよ。基本来るもの拒まずだし、彼女が我慢できなくなるみたいだな」

「慧君とは正反対だね」


 慧は怒るでもなく笑い出す。


「まあな、誰にも彼にもいい顔できっかよ」


 自覚があるようだが、慧の場合はもう少し愛想を良くした方がいいだろう。


 慧の幼馴染みの恋ばなを聞きながら慧の実家についた。

 慧達が来ると伝えていたからか、鍵は開けっ放しだった。


「ただいま」

「お邪魔します」


 靴を脱いでいると、バタバタと慧の母親の紗栄子が小走りでやってきた。その後ろをにこやかな笑顔で八重がついてくる。

 待ちきれないというような表情で、挨拶もそこそこ麻衣子の手を引いて家の中に招き入れる。


「いらっしゃい、寒かったでしょう。ほら中に入って。麻衣子ちゃん用のスリッパ買ったのよ。ほら、足元から冷えるから」


 確かに凄く暖かそうなスリッパが置いてあった。


「俺のは? 」

「あなたはいつも素足でしょ? 靴下だってすぐに脱いじゃうじゃない」

「だから、さみぃんだって。まあ、いいけど」


 麻衣子がスリッパを履いている間に、慧はズカズカとリビングに入っていき、ソファーに横になる。


「あんたって子は。だらしない!もう、やぁね、私の教育が疑われるじゃない。ほら、つめなさい。麻衣子ちゃんが座れないでしょ」

「俺は八重さんに育てられたからな」

「まあ、坊っちゃま、それでは八重の育て方が悪かったみたいじゃないですか」

「いや、八重は悪くない。ってか、俺の育ちが悪いのは決定かよ」


 以前来た時も思ったが、慧は八重には母親に対するのと同じような……どちらかと言うと祖父母を思うような気持ちを抱いているらしく、八重には口答えしないし、身体を労るような言動が目立った。

 他人にそっけない慧にしては、凄く珍しいことだ。


「麻衣子お嬢様、お身体はいかがですか? 食べたくない物、逆に食べたい物などございますか? 」


 八重の明らかに麻衣子の悪阻の心配をしている言葉に、麻衣子は返答に困る。


「あの、少し前に調を崩してましたけど、今はもう治ったから何でも大丈夫です」

「それはようございました。奥様と、果物がいいんじゃないかって、色々取り寄せたんですよ。」


 暗に、悪阻ではなく胃痛だったと匂わしたのであるが、八重も紗栄子も悪阻がおさまったと受け取ったらしい。


「彬の時は、私グレープフルーツしか食べれなかったのよね。慧の時は逆に食べないと気持ち悪くなって、常に飴とかお菓子を食べてたわ」

「そうでございましたね。慧坊っちゃまの時は、奥様凄い太られてしまって、私もお医者様に叱られましたわ。そんなに食べさせるなって」

「だって、あの時は我慢できなかったんですもの。そのわりに、慧はあまり太って生まれてはこなかったわね。過栄養で下から出せなくなるって脅されたけど」

「そりゃ奥様、八重が一日の献立をきっちりたてて、お菓子などを排除したからでございますよ」

「ああ、そうだったわね。麻衣子ちゃん、家事とかで辛いことがあれば、いつでも八重さんに行ってもらいますからね。そんなに遠くないし、遠慮なく言ってね」

「とんでもないです。そりゃ、仕事始めて手抜きも増えたかもですけど、ですから問題ないです」

ね。でも、すぐに手が回らなくなるわ。ほら、赤ちゃんが生まれたら……」

「ああ、それな。俺の勘違いだったわ」


 慧の一言に、紗栄子も八重もえっ? と慧を二度見する。そして、明らかに落胆の色を隠せないように表情が暗くなる。


「……まあ、まだ、結婚式もしてないですから。ねぇ奥様、物には順番がございますよ」

「そうね……そうよね。やだわ、つい嬉しくて、私も慧の言葉を鵜呑みにして。でもね麻衣ちゃん、必ずしも順番に拘らなくても、うちは全然OKですからね。麻衣子ちゃんのご両親に頭を下げる覚悟はいくらだってあるから」

「ありがとうございます」


 結婚や子供のことはおいておいて、認められているということは嬉しいことだ。麻衣子は素直に頭を下げた。


「本当に。八重が元気なうちにお願いいたしますよ。まだまだご奉公いたしますからね。慧坊っちゃまの赤ちゃんを抱くのが念願でございます」

「……」


 慧は思うところがあるのか、一瞬しんみりとしたように八重を見たが、すぐにその表情を隠してしまう。


「まぁ、こいつがOKだせば、いつだって俺はいいんだけどな。おふくろ達じゃねぇけど、子供ってのもいいもんかもしんねぇし」

「まぁ! 慧ってばガキはうるせーとか言って、近寄るのも嫌がっていたのに」


 慧の心境の変化に、紗栄子も八重も驚いた様子だった。


「そりゃ、他人と自分の子供はちげーだろ。それより八重さん、腹へった。なんかないの? 」


 慧のそんな変化だけでも満足したのか、八重はパタパタとキッチンに小走りしていき、紗栄子は最近はまっている刺繍について麻衣子に講釈し始めた。


 妊娠は勘違いだったと話したら、多少はギクシャクするんじゃないかと心配していたが、どんな状態であれ歓待してくれる紗栄子と八重を有り難く思いながら、麻衣子は二人の為にも早く子供を授かるのもありかもしれないと、気持ちが揺れ動いていた。

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