第199話 妊娠について
クリスマスパーティーの帰り、慧はふとバスの中に貼ってあったポスターに目を止めた。
「あれ、おまえの会社だよな? 」
「え?……ああ、うん」
慧が指差したのは、まさに麻衣子がモデルをしたポスターで、うまい具合に顔は腕で隠れているが、全身ばっちり写っているものだった。
麻衣子はドキドキしながらあまり見ないように、わざとらしく窓の外を眺める。なるべく表情を崩さないようにしてチラリと慧を盗み見た。
顔が見えないからばれない筈……と思いながらも、あまりに慧がじっくりと見ているからドキドキしてしまう。
「ふーん……」
ふーんって? 何?
「これって、いつ撮った? 」
「いつ? 」
「撮影した時期」
「つい最近だよ。……だと思う」
「ふーん」
慧が見ていたのは、ポスターに写った腹だった。
そして、麻衣子の腹を見る。
妊娠初期ってのはまだ腹でないだろうけど、全くペッタンコだな。しかも、撮影って、どんだけ時間かるか知らねぇけど、そんなに長い時間腹出してて、腹の子供は大丈夫なのか?
そう、慧はポスターを一目見て、一発で麻衣子だと見抜いていた。この数ヶ月抱いていないとはいえ、今までどれだけ麻衣子の全裸を見てきたことか。誰よりも、本人よりも見慣れた身体だ。黒子の位置も数も知り尽くしている。
顔を隠している二の腕の裏側にある三つ並んだ黒子や、太ももビキニラインギリギリにある黒子など、何度も唇を寄せたものだ。
顔なんか見なくても、パーツだけ見たって麻衣子だとわかるだろう。
そんな慧が気になっているのは、麻衣子が下着姿を披露したことではなく、その腹であった。下着の撮影ということは、腹は無防備になっている筈で、そんなに長い時間冷えて大丈夫なのか?! ということだった。
今だって、ニットを着ているとはいえ、ワンピースだからスカスカしているだろうし、毛糸のパンツでも履いてたらいいのかもしれないが。
「おまえ」
「な……何? 」
麻衣子はドキドキしながら慧の方へ向き直る。
「毛糸のパンツ」
「はい? 」
「毛糸のパンツとか持ってたっけ? 」
「毛糸のパンツ? 何それ? 持っている訳ないじゃん」
「だよな」
慧はマフラーをとって麻衣子の腹の上に投げた。
「暑いの? 」
「別に。あんま冷やすなよ」
「……うん」
ポスターはばれていないのかとホッとしつつ、麻衣子は何か最近の慧の態度がおかしいとひっかかりを覚えた。
最初は浮気を反省してなのかと思ったが、悪いと思って……という感じでもなく、身体を厭われているような。自分のせいで胃を悪くしたのを気にしているのだろうか?
悩んでも答えがでる訳でもなく、バスが停留所につく。
「あのポスター」
「はい? 」
バスを降りる時に、慧が麻衣子に手を差し出し、そのまま手をつないだまま公園を歩いている時、慧が唐突にきりだした。
「撮影って、何時間もかかったのか? 」
「さあ……かかったんじゃないかな。うちは、毎年モデルは一般人を使うから、専門の人じゃないぶん時間もかかるみたいだし」
「腹……冷えないのか? 」
「お腹? スタジオは暖かいから、そんなに寒くない筈だけど」
「ふーん」
また沈黙となり、手をつないだまま歩く。
さっきから、毛糸のパンツのことや腹が冷えないかとか、やけに腰回りのことばかり気にしているようだけど、いったい何を考えているんだろう?
五年も一緒にいると、慧の考えていることは大抵わかっていると思っていたが、最近の慧は今一掴めない。
マンションにつき、麻衣子がキッチンでお茶の用意をしている間、慧は風呂をためて部屋着に着替えていつものソファーでくつろいだ。お茶をいれながら、麻衣子は慧の様子を確認する。
「あのさ、最近の慧君、なんかおかしくない? 」
お茶を運んできた麻衣子は、寝転がっている慧の足元に腰を下ろした。
「何が? 」
「態度? 」
「もう何もしてねぇよ」
「それはわかってる。そういうんじゃなくて、なんて言うか……優しすぎる……いや、普通の人なら普通なんだろうけど、慧君にしたら優しすぎるっていうか……」
「はあ? 」
慧がムッとした表情で起き上がる。
「だって、ほら、手なんか繋ぐ人じゃなかったし、気づかいとかしないタイプだったじゃない? 」
「しちゃいけないのかよ?! 」
「そうじゃなくて……。そりゃ、私だって、手を繋いで歩けたら嬉しいし、慧君が優しい方がずっといいけど。でも、何か、慧君じゃない……みたいな? 」
慧は大きくため息をついた。
そりゃ、自分がいわゆるバカップル達みたいにイチャイチャしたり、ベタベタくっついたりできるタイプじゃないってわかってる。手くらいは……って思わなくもねぇけど、付き合ってます的なアピールみたいでバカらしいっつうか、俺には無理な話しで。
でも、いくらなんでも気づかいくらいはすんだろ? どんだけ極悪非道な奴なんだよ。
いや、まあ、表だって何かしてきた訳じゃないけどさ、五年も付き合ってんだから、何となく察しろよって話しで。
「まあ、今まではそうだったかもしんねぇけど、さすがに変わんだろ? さすがにあれだからよ。あれ!」
「はい? 」
慧は、ボリボリ頭をかきながら麻衣子のいれたお茶を飲む。まだ麻衣子から妊娠の報告を受けていないのだから、自分から言い出す訳にもいかない。
「アッチ! ほら、おまえこそ俺に報告しなきゃなんないことない訳? 」
「報告……」
やはりばれているのか?! と、麻衣子も落ち着く為にお茶を飲む。
「そう、俺に話しあんだろ? わかってんだから言えよ」
「ごめん! 」
麻衣子は素直に頭を下げた。
慧は、謝られることなのか? と眉をひそめる。妊娠発覚→謝罪→父親が違う……という思考回路にはならないらしく、何で麻衣子が謝罪するのか意味がわからなかった。万が一謝るとしたら失敗した慧の方(謝る気持ちはないが)じゃないだろうか?
「社長に頼まれて……。飲みの席のことだから、つい気が大きくなってたのかもしれない。……ううん、私もいつしか乗り気になってたから……。私がしたかったからしたの! 」
社長?
マジで何の話しだ?
俺は妊娠について……。
そこで初めて、お腹の子供が自分の子供ではないという可能性に行き当たる。
まさか麻衣子が……?!
すぐに慧は自分の思考を否定した。麻衣子がばれないようにうまく浮気ができる程器用なタイプじゃないことはわかっていたし、自分じゃあるまいし、遊びでSEXもできないこともわかっている。
「ちょっと待て! おまえ、何の話ししてる? 」
「だから、下着のモデルでしょ?飲みの席で社長に頼まれたの。あまり覚えてないんだけど、承諾しちゃったみたいで。でも、やってみたら楽しくて。新しい商品を一緒に作って、私も関わったんだってことが。撮影は恥ずかしかったけど、でも後悔してないよ。慧君に言わなかったのは悪かったと思ってる。でも、前にチラリとモデル頼まれたって話しはしてるんだよ。詳しい話しはしてないけど」
「下着のモデル……」
慧は、そんなことか……と脱力する。
「よくわかんねぇけど仕事なんだろ? 別にスッポンポンになる訳じゃなし、いいんじゃね? 」
「あ……そう……なんだ」
今度は麻衣子が脱力する。
バレたらどうしよう、慧が嫌な顔したらどうしようと、けっこう悩んでいたから、あまりにすんなり慧が受け入れたのに、気が抜けるというか、ならば慧は何を話させたかったのかと首をかしげる。
「あの……、ポスターの件じゃないとすると……何の話し? 」
「だから! おまえの腹の中だよ!」
腹の中を割って話せ……ということだろうかと、麻衣子はさらに訳がわからなくなってしまう。
「ああ、もう! だから、妊娠!妊娠してんだろ?! 」
「はあ? 」
麻衣子のすっとんきょうな声と表情に、慧は瞬時に勘違いだったのかと悟る。
麻衣子も、まさか慧がそんなことを考えていたなんて思いもしなかった。
「あー……だから。だって、おまえ食事が食べれないって、病院に行かないって言うから。つい悪阻なんじゃないかって。妊娠初期は悪阻が酷くて痩せる人もいるって聞いたし……」
語尾がどんどん不明瞭になっていく。慧がふてくされたようにそっぽを向き、麻衣子はそんな慧の腕に腕を回した。
「精神的な胃痛だったの。原因がわかってたから、病院の必要がないって言ったのよ。慧君がよそ見するから」
「ああ」
「妊娠な訳がないでしょ。もし妊娠してたら、今頃はおなかポテッとしてるわよ。最後にHしたの、だいぶ前じゃない。もしかして、だからHしなかったの? 」
「そりゃ、初期は流産とかも心配だから」
麻衣子はギュッと慧の腕を抱きしめる。
「凄い嬉しい」
「嬉しい? 」
麻衣子は泣き笑いのような表情で慧にすり寄る。
「だって、子供ができてもいいって思ってくれたんでしょ? 子供がいるかもしれないから、身体をいたわってくれたんだよね? 」
「まあ、当たり前だろ」
麻衣子はただ慧に抱きつき、慧は久しぶりに麻衣子を押し倒した。
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