第197話 クリスマスパーティー 2
コップとタピオカの在庫の運搬を二年女子とその彼氏に頼んだ慧は、後ろを振り返ることもなく大学院校舎へ向かった。
クリスマス一色の進学校舎と違い、こちらはいつも通り、静かであまり人の気配がしない。
恭子の部屋の前までくると、鍵を取り出して鍵穴に入れる。鍵を回そうとしたら、ドアが中から開いた。
「びっくりした! 」
当たり前のことながら、顔を出したのはこの部屋の主の恭子だ。
「あー……、ちは」
「こんにちは。どうしたの? 私に用事? 」
「いや、牛乳取りにきただけ」
「そう……、入って」
多少の動揺があったのか、慧は鍵穴に鍵を差したまま部屋に入る。
後ろでカチリとドアの鍵が閉まる音がした。
「あー、急いで戻らないとなんだけど」
「少しくらい大丈夫よ」
その根拠はどこにある? と尋ねるのも馬鹿らしく、慧は冷蔵庫へ向かった。冷蔵庫の中には牛乳がストックされており、中から三本取り出してビニール袋に入れた。
「そんじゃ、急ぐから」
部屋を出ようとしたが、ドアの前に恭子が立っており、ドアノブを背中に隠してしまっていた。
赤い口紅をしっかりつけた恭子が、誘うような微笑みを浮かべ、上目使いで慧を見上げた。
「だ~め! 私には話しがあるの。あなたには、聞く義務があるわ」
「義務? 意味わかんね。マジで行かないとなんだけど」
「じゃあ、前みたいにキスして。そしたらすぐに解放してあげるから」
慧は、ボリボリと頭をかく。
「悪いけど、親父の身代わりはもう止めたんだ。なんなら、親父にアタックしなよ」
家庭不和の元を煽るような言動をする慧だが、ただたんにやっかいごとから自分を遠ざけたいだけで、あまり深く考えての発言ではない。
「そうね……。ううん、やっぱりダメよ。昔は婚約してただけだけど、今は結婚なさってるもの。不倫はいけないわ! 」
学生に平気で手を出すくせに、そういう倫理観だけはきちんとあるらしい。
「あのさ、俺も彼女いるし……多分もうすぐ結婚するつもりだし」
「まだ独身よね?! それに、無理に私のこと諦めようとしてるんでしょ? ううん、全部わかってる(彼女が妊娠したせいだってね)。だから、今まで私につれなくしたのは気にしなくていいわ。私達のこれからのことを話しましょう」
何故か恍惚とした表情で慧を見つめる恭子と、心底迷惑そうな慧との間には、会話で埋まるとも思えない溝がありそうだった。
「はあ? 意味わかんねぇな。あんたさ、俺と親父の替わりにキスしたいだけだろ? それ以上とかは拒むじゃんか。悪いんだけど、俺、性欲半端ないの。あんたじゃ無理なんだよ」
恥ずかしげもなく言い放つ慧に、恭子も艶っぽい笑顔を崩さず反論する。
「あら、男女間でSEXするより、自慰行為の方が遥かに気持ちいい筈よ。そういうのはお互いに処理して、二人いないとできない行為を楽しんだ方がいいと思わない?」
「思わねぇよ」
「キスが気持ちいいって、あなたに教えこんであげた筈なのに。おかしいわね? 今までの子達は、それだけでいいっておねだりしてきたわよ」
確かに、恭子のキスはSEXを忘れてキスに溺れてしまうほど、魅了されてしまうものだった。
しかし、処女と童貞のカップルでもあるまいし、キスだけで終了なんてアホらしい関係を続ける気なんかさらさらない慧は、完璧に恭子の洗脳から覚めたのを感じた。
よく見ると、いくら若作りして美魔女を気取っているといっても、目尻の細かい皺や、頬や顎のラインのわずかなたるみは、化粧だけで隠せる訳もなく、ちょっと若作りのおばさんにしか見えなくなってくる。
赤い口紅って、年寄りがするとドギツイな……。
完璧に失礼なことが頭に浮かび、慧は何だって恭子にはまってキスしまくっていたのか真剣に悩みだす。結果、多少気持ちが恭子に傾いていたという事実さえも、頭の中から抹消し、気の迷いの一言で片付けた。
「あんた……もしかして……その年でバージンかよ? 」
「そうよ。だって、修平先生以上の男性なんていなかったんですもの。それに、わざわざ痛い思いしなくても、キスするだけで十分気持ちよくなれるじゃない」
「まあ……あんたとSEXしても気持ちよくはなさそうだな」
恭子は、初めてムッとした顔をする。
「何よ! 修平先生ならそんなこと言わないわ」
「そんなことねぇよ。だって、俺の親父だからな。俺そっくりらしいぜ(よく言われるのは見た目だけどな)」
「違うわ! 修平先生に似てると思ったのに! あなたなら、修平先生の替わりになってくれるって……」
「思うんだけどさ、あんた、ちゃんとフラれてないからダメなんじゃねぇの? 」
ドアの前でうなだれて動かない恭子に、慧は諦めてソファーにそっくり返って座った。
究極牛乳がなくなれば、誰かが取りにくるだろうし、そうすりゃこの部屋からも出れるだろう。
「ダメって? 」
「四半世紀初恋拗らせちゃってるみたいだから、なかなか難しいのかもしんねぇけどよ、ちゃんと向き合ってフラれたら、次の恋愛に踏み出せるんと違うか? 恋愛すりゃ、キスだけでなんて思わなくなるよ。今時、中学生だってヤってるっつうの」
親父が恭子の色香に惑わされないことを願うばかりだなと思いながら、そうなったらそうなったで夫婦で解決してくれとすでに他人事である。
「でも、今さら告白したって、修平先生にご迷惑かけるだけだし……」
「(軟禁されてる今の俺の迷惑はいいのかよ?! )……、まあ、告られて嫌な奴はいないんじゃねぇの? まあ、ほら俺とのことは気の迷いってことでお互いに忘れて、親父に頑張ってみろよ! 会うくらいなら段取りつけてやっから」
「本当……?」
「本当、本当! 」
恭子は、やっとドアの前からどき、慧の目の前のソファーに座った。今までは真横にベッタリだったのに。
「で、いつ修平先生に会えるの?」
「まだ話してないからなんとも……。年末に帰るから、その時に聞いてみるけど」
「絶対よ! 約束したからね」
すでに恋する乙女みたいなうっとりとした表情で、目なんかウルウルさせている。さっきまでの魅惑するような女丸出しの恭子から、純情可憐な乙女にすっかり変貌を遂げている。
自分から提案しといてなんだが、恭子の切り替えの速さに呆れるよりも感心してしまう。
息子に手を出して、こじれてなおもキスを迫るような女が、そんなことなかったように初恋を思い出して頬を染めていた。
「じゃあ、俺、行っていいかな?」
恐る恐る腰を上げると、恭子はもう慧なんか眼中にないように、勿論よとうなづく。
慧が立ち上がった時、ドアが大きな音をたてて開いた。
「まあ、やだ! 二人っきりで何をしてるんです……か? 」
佳奈が鼻息荒く乗り込んできて捲し立てた。しかし、その語尾は慧と恭子の立ち位置を見るなり、尻窄みとなる。
佳奈の後ろには何故か麻衣子が立っている。
「何って……恋愛相談? 先生の」
「やぁね! 恋愛だなんて……」
頬を染める恭子を、佳奈はあんぐりと口を開いて見つめ、一瞬にして怒りの表情になると、無言で回れ右をして足音荒く部屋を出て行った。
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