第193話 慧の勘違い

 立食パーティーだったせいか、足がパンパンにむくんで痛かった。

 緊張していたせいか、帰りのバスに乗って初めてドッと疲労を感じ、立っているのもしんどく、麻衣子は手すりにもたれるようにして目をつぶって立っていた。

 愛理は忠太郎と打ち上げに参加するため一緒には帰っていない。


 お酒も多少飲んではいるが、酔っぱらう程は飲んでいないは筈なのに、たいした食事もとらずに飲んだせいか、頭がフワフワする。


 バスを下り、遠回りになるが公園を避けてマンションへ向かった。


 歩きながら、今日のショーのことを思いだし、我ながらよくできたものだと一息吐く。

 通常だったら、まず体験しないことだ。恥ずかしさもあったが、それよりも新鮮な体験にドキドキした。本職のカメラマンに写真をとってもらうなんて成人式以来だし、ショーのランウェイを歩くなど。さらには自分がCMに出るなんて……、今でも信じられないし、本当に流れるのか半信半疑だ。流れる日にちや時間帯の書いてある紙をもらったが、果たして直視できるだろうか?

 深夜枠で今晩から新作下着のCMが流れる筈だが、麻衣子の顔はうまい具合に映っていないから、きっと誰にもバレないだろう。

 慧はそういうのには無頓着っぽいが、やはり母親にバレるのは避けたかった。

 杏里には話してあるが、父親には絶対に内緒! と言ってあるし、父親にバレなければ、深夜テレビを見ることなんかない母親にバレる筈はなかった。


 そんなことを考えながら歩いていたら、いつもより早くマンションについた気がした。エレベーターを上がり、ドアに手をかけると鍵が開いている。

 いつものことだが、無用心過ぎる。


「ただいま……」

「おう」


 ソファーに寝転がったまま、慧は顔を上げずに返事をした。

 いつも通りの慧がいる。


 慧の横を通り抜け、システムキッチンに向かいコップに水をくんだ。ゴクゴクと音をさせて飲む麻衣子は、視線を感じて慧の方を見ると、珍しく慧がスマホゲームから顔を上げ、微妙な……真面目なというか少し怒っているような表情を浮かべていた。


 遅くなることは伝えておいたし、何で不機嫌なんだろう?

 おなかでも空いているんだろうか?


「どうかした? 」

「おまえ……飲んでるの? 」

「え? ああ、うん。少しだよ。ほら、会社のパーティーだって言ったよね? 」


 まさか、麻衣子がお酒を飲んでいることで慧が不機嫌になっているとは思わない麻衣子は、慧にコーヒーをいれて慧の横に腰を下ろした。


「顔、真っ赤だぞ」

「ほら、新作下着が今日から発売になるからさ、その為のショーの手伝いやらパーティーの準備やらであまり食べれなかったから、少しの量でまわっちゃったかな。フウッ、立ちっぱなしだったから、足がパンパンだわ」


 慧が麻衣子の足に手を伸ばしてきたと思ったら、愛撫をする為ではなく、珍しくマッサージをしてくる。


「マッサージ……上手なんだね」

「ああ? 別に普通だろ」


 いつも通りの慧……ではない。最近の慧は、気持ち悪いくらい麻衣子の身体を気づかってくれる。最初は浮気をした罪滅ぼしみたいなものなのかな……と思ったが、卑屈な感じでもないし、何やら胡散臭いというか、こんなの慧じゃない!! って感じがしてしまう。無論、麻衣子だってM気質ではない(と麻衣子だけは思っている)のだから、気づかってもらって嬉しくない訳ではないのだが、それ以上に違和感が半端なく気持ち悪いのだ。


 元から、風呂などでは頭や身体を洗ってくれたり(風呂内Hの為だけでなく)、髪を乾かしてくれたり(濡れたままSEXするのが嫌なだけ)はするのだから、まるっきりつくさないタイプということもないのかもしれない。ただ、それ以上に面倒くさがりな面が目立つだけで、実はこんな慧の一面もあるのだろうか?


「もういいよ、ありがとう。楽になったかも」

「おまえさ、身体……大丈夫な訳? 」

「身体? 大丈夫だよ」


 その言葉を聞き、麻衣子はなるほどと納得する。


 慧との仲がうまくいかなかった時、食も細り体重が減ってしまった。食べれないのを、心労からではなく体調不良と受け取ったんだろう。だから、お酒を飲んで胃に負担をかけるに難色を示したのかもしれない。

 今体重が減ったままなのは、ショーに向けて体重がこれ以上増減しないようにコントロールしたからで、食欲はすでに戻っていた。

 SEX依存症気味の慧が、いまだに麻衣子に触れようとしないのも、麻衣子の身体を労って……だとすると、ちょっと……かなり嬉しいかもしれない。


「身体はもう大丈夫。きちんとご飯も食べれてるから。何でか体重が戻らないんだけど、体調は悪くないの」

「マジか? ならいいんだけど」


 体調が悪くない……って、悪阻はおさまったってことか。そりゃ、腹の子供に栄養取られんだろうから、母体の体重が増えんわな。


 そう! 慧はいまだに勘違いをしていた。麻衣子の食欲が落ちたのは悪阻で、お腹の中には可愛い我が子がスクスクと成長しているんだ……と。


 そりゃ、妊婦が酒を飲んだら眉をひそめるだろうし、身体を労る言葉の一つや二つ、父親の自覚があれば出るかもしれない。


「一人の身体じゃないんだから、体調管理はしっかりしろよ」


 社会人として、回りに迷惑をかけるなという意味に受け取り、麻衣子は神妙にうなづく。


「そうだ、今日から寝室に戻るぞ」

「急にどうしたの? 」


 寝室から和室に移動して寝ていたのだが、てっきりベッドより布団がよくなったからだと思っていた。


「いや、まあ、そろそろ腰にきたから。やっぱ、ベッドのが腰にいいかなって」


 変にショックを受けて、流産でもしたら困ると思ったから、慧は佳奈の盗聴の話しはしないことに決めているようだ。


「腰を痛めてたの? 」

「たいしたあれじゃねぇよ。朝起きると痛えってくらいで、少しすれば治るし」


 布団で寝慣れている麻衣子はそんなことはないが、実家でもベッドの慧はやはりベッドが恋しいらしい。


 なら、最初から和室にこないで、寝室で一緒に寝ようって言えば良かったのに。


 盗聴されない為……だと思っていない麻衣子は、久しぶりに一つのベッドに寝るなら、今晩はアリなのかな? と少し期待する。今までは和室に布団二枚敷いていたから、当たり前のように別の布団に入り、何もすることなく朝を迎えていた。今までからしたら、全くもって考えられないこの生活も、今日でおしまいかもしれない。


 同じような内容を、慧もまた考えていた。


 悪阻が終わったってことは、安定期に入ったんだろうか?

 正常位で、無理させなければ、SEXも大丈夫……なんだよな?


 妊娠中のSEXで検索済みである。


 何となくお互いにすり寄って、その距離を縮めていく。

 久しぶりだと、以前みたいに何も言わずに自然に……というのが何やら気恥ずかしい気がしてならない。


 肩が触れ、腕が触れ、何となく指を絡め、麻衣子は慧の肩に頭をのせる。


「疲れてる? 」


 物凄く疲れてはいた。でも……。

 麻衣子は首を横に振る。


「おなか痛くなったら言えよ」

「うん……?」


 胃潰瘍の心配だろうか?


 慧の顔が近づき、触れるだけのキスをする。


「ベッド、行くか? 先にシャワーする? 」

「シャワーしたい」


 二人で揃って風呂場に向かう。


 そう言えば、お風呂に二人で入るのも久しぶりかもしれない……。前は毎日一緒に入っていたし、特別なことじゃなかった筈なのに。


 何となく恥ずかしいような気持ちになり、麻衣子は慧に背を向けてスーツを脱ぐ。その後ろ姿を見て、慧はゴクリと生唾を飲み込む。


 以前よりもほっそりと引き締まったウエスト、そのウエストからのヒップラインは豊かな丸みを帯びた曲線で、プリンと引き締まったヒップ。そこから伸びる足は細くて真っ直ぐで、奇跡のように長い。


 ヤバい! 中坊かよ?! 彼女の下着姿(それも後ろ姿)で発情するとか……。


 慧はバージンバサバサと部屋着を脱ぐと、先に風呂に入って湯船をためながらシャワーをする。

 麻衣子が入ってきた時には、すでに風呂場は温まっており、慧も洗い終わっていた。麻衣子をバスチェアーに座らせ、無造作に頭を洗い身体を洗う。

 まだ半分もたまってなかったが、一緒に湯船に浸かるとお湯が溢れそうになる。

 二人で体育座りをし、横並びに座る。


「温かいね……」

「ああ」

「今日ね、色んなことがあったんだよ」

「ああ(こっちもな)」

「ショーは華やかだったし、パーティーにも色んな人が来ててね」

「ああ(うちにもいっぱいきたぞ)」

「そうだ、芸能人もいたの」

「マジか? 」


 いつも通り、麻衣子が喋って慧は適当に相づちをうつ。

 どんな人間がパーティーにきてたか話しているうちに、麻衣子が急に黙った。見ると、うつらうつらしているではないか。


「おい! 湯船で寝るな」


 揺さぶると、本当に幸せそうな笑顔を浮かべている。

 素っぴんの麻衣子は、ぐんと幼く見えた。はっきり言って、いつもはナチュラルに見えるしっかりメイクで、かなり化粧映えしているのだ。素っぴんの麻衣子は美人か……と聞かれたら、普通と答えるだろう。しかし、慧はメイクで美人に見えている麻衣子より、普通でも素っぴんで気が抜けている家での麻衣子の方を気に入っていた。


「しゃあねぇな……」


 慧は半分寝ている麻衣子を湯船から引っ張り出すと、手早くバスタオルで身体を拭きドライヤーをかける。麻衣子をベッドに連れて行った時には、拭いてもいないのに慧の身体はすでに乾いて冷えきっていた。


「さすがに寒いな。ちょっともう一回湯船浸かってくるな」


 麻衣子は目をつぶったまま、うんとうなづく。


 一分程湯船に浸かって、すぐに寝室に戻ったが……。


 寝てるし!!


 慧は大きく舌打ちし……横になる。


 隣りの麻衣子の体温は温かいし、布団に入ればすぐに眠気に襲われる。よくよく考えれば、佳奈との追いかけっこでそれなりに疲れていたんだった。

 大欠伸をし、慧から寝息が聞こえてくるのに、五分とかからなかった。




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