第188話 愛理との会話

「オッ?! 何か顔色いいな」


 廊下ですれ違いざまに、忠太郎が麻衣子の肩を叩いて言った。


「はい。どうもご迷惑をおかけいたしました」


 麻衣子も立ち止まり、深々と頭を下げた。

 慧と仲直りしてから一週間、体重の増減には注意しつつ、栄養をしっかりとり、運動してメリハリボディを維持した麻衣子は、モデル並みのウエストの細さに、豊かなバストと引き締まったヒップと、今まで以上に女性なら理想の体型、男性なら生唾を飲み込むような体型に仕上がっていた。


「いや、いい。今の冴木なら健康的だし、問題ない」

「でも、もしかしたら、少しですけどアンダーが減ったかもですが……。サイズは変わらないように注意してはいたんですけど」

「大丈夫だ。調整可能な範囲内だし、カップが変わってなさそうだから。そうだ、愛理が心配してたぞ」

「愛理さんが? 」


 慧の浮気がバレてから、麻衣子は誰とも会う気も起こらず、食事もとれる状態ではなかったため、愛理からの連絡も、適当な理由をつけて会わずにいた。そんな麻衣子を気づかってか、ここ十日ばかりは連絡もきていなかった。


「ああ、俺と会ってても、麻衣子さんは元気か? 仕事で無理をさせてないか? ってうるさくてな。だから、先週は仕事早帰りさせたんだが……」


 なるほど、愛理さんの進言があっての早帰りだった訳か。


 仕事で忙しい忠太郎の目に止まるくらい酷い状態だったのか……と思っていたが、愛理からの一押しがあったのなら納得だ。

 心配かけてしまい、申し訳ない気持ちになる。


「後で連絡してみます」

「そうだな……今上にきてるから、ちょっと顔をだしてやってくれ。お茶でもしてこい」


 回りをキョロキョロ見て、人がいないのを確認してから忠太郎は屋上を指差す。自販機でホットのミルクティを二つ買い、麻衣子に渡した。


「愛理に差し入れてくれ。社長命令だ」


 社長のお許しを得てのサボりになるのだから、麻衣子は素直に忠太郎の言うように屋上への階段を上がる。

 屋上へ出ると、洗濯物がバタバタてはためいていた。風はかなり冷たいが、この風ならば今日中に乾くだろう。それにしても……寒い!!


 麻衣子がプレハブの扉をノックすると、中から返事がありドアが開いた。

 紺色の割烹着のような物を着た愛理が、髪の毛を二つ結び(ツインテール……ではない)で出てきた。


「麻衣子さん! 」


 パッと笑顔になる愛理は、なんとも愛らしい。なんか、子供になつかれたみたいで、ホノボノとした気分になる。

 もちろん、愛理の方が年上だし、可愛いとか失礼かもしれないが、この雰囲気に癒される。


「社長が、愛理さんに顔を見せにいっていいと言ってくれまして。これ、社長からです」

「私、ここの会社のミルクティ好きなんです。どうぞ、まだ掃除の途中で汚れてますけど」

「お邪魔します」


 愛理はローテーブルの前にクッションを置いてくれ、麻衣子にどうぞと促す。自分も前に座り、缶を両手で持って温かいですねとニッコリ微笑む。


「ご心配をおかけしたみたいで、もう大丈夫ですから」

「彼氏さんと仲直りできました?」


 愛理には、慧の浮気について詳しいことは話しておらず、しばらくSEXしていない……という相談をしたのが最後になっていた。


 麻衣子は微妙な笑顔を浮かべる。

 慧の浮気はおさまり、何故か今は麻衣子が寝ていた和室で二人で寝ているのだが……。あの相談のことを言っているのなら、本当によく分からないのだが、いまだに継続中なのだ。

 慧は毎晩麻衣子と並んで寝ているが、手を出すことなく安眠している。布団を二組敷き、これ以上ないというくらい健全な夜を過ごしていた。

 あんなに毎日、何回も、会話をするようにSEXしていたというのに、いきなりのSEXレスになってしまったのだ。

 かといって、冷え冷えしたような関係か……と言われると、気持ち悪いくらいに慧が優しいのだ。買い物についてきて荷物持ちをしてくれたり、毎日の布団の上げ下ろしをしてくれたりなど。

 最初は浮気をしたことへの罪悪感からなのかと思ったが、どうもそんな感じもなく、体調はどうだ?飯は食えてるか? など、麻衣子のことを心配してやってくれているらしい。


 普通の男性なら当たり前なことかもしれないが、相手があの慧だから、何とも不気味というか、まるっきり他人になってしまったみたいで……。


「まあ……なんとなく」

「まだ何かひっかかってることがあるんですか? 」


 奥歯にものが挟まったような言い方の麻衣子に、愛理は心配そうに眉を寄せる。


「ううん。なんか……彼氏が優しくなり過ぎて(※これが普通です)気持ちが悪いって言うか、なんか病人扱いされてるみたいで気になる。私、そんなに病的な感じになってるのかな? 」

「優しくなり過ぎって? 」


 ノロケになりそうで嫌だなと思いつつ、慧の最近の状況を説明する。

 聞いている愛理は微妙な表情をしており、麻衣子は話しながら恥ずかしくなっていく。


「……こんな感じで、慧君が優しすぎて気味が悪いの」

「あの……」


 愛理は躊躇いながら口を開き、一度は閉じ、そしてまた遠慮がちに口を開いた。


「あの、それって優しすぎるんですか?普通だと思うんですけど」

「えっ? 」

「私もそんなにお付き合いしたことないから、普通ってわからないんですけど……、うちのお父さんもそんな感じですし。たろさんも荷物は全部持ってくれて、歩く時はエスコートして右側歩いたり、段差があるとかこと細かに注意してきますし、一緒にいなくても遅くなったら電話してとか、飲み会のある時は基本帰りはお迎えにきてしまったり……。たまに過保護なんじゃないかと思わなくないくらいなんですが……」


 慧はやらな過ぎだが、忠太郎はやり過ぎである。


「そう……なんだ。でも、慧君は元が元だから。一緒に出かけるとかほぼほぼないし、歩いてる時も勝手にズンズン行っちゃうし、買い物とか自分で持たなかったし、まず家のことはやらなかったな。鼻かんだティッシュも放置するような人だから」


 そんな人がいきなり普通レベルになれば、それは何事かと思うよと付け加える。


「麻衣子さんのことをより大事に思うようになったとか、自分の行動を見直す出来事があったとか……。気にかけてくれるようになったことは良いことだと思います」

「そうね。そうなんだけど……」


 麻衣子は缶のミルクティを飲み干すと、冷たくなった缶を指先でいじりながら、この違和感はいつか消えるのだろうか? それとも先に慧が元に戻るのか……と考え、自分は優しく気づかわれるよりも、普段通りの気負わない慧の方が楽なんだと気がつく。M気質という訳ではないのだが、してもらうよりもやってあげたいタイプらしい。


「明日は新作下着の発表ですね。麻衣子さん、ショーに出るんですよね」

「その予定。ウォーキングとか勉強したけど、転ばないか不安で」

「麻衣子さんなら大丈夫ですよ。普段から歩き方綺麗ですし、私と違ってヒールも履き慣れてますもの。私も明日は見に行きますけど、彼氏さんもいらっしゃるんですか? 」

「実は……まだ話してないの。ほら、街に貼り出されるポスターは顔は写っていないし、ショーも業界だけのものだから、一般の人の目に触れることないし……。CMも夜中に数回流れるだけで、こっちも顔は映らないようにしてもらったから」

「そっか、彼氏さんにしたら、自分の彼女が下着姿で人目に触れるなんて我慢できないですよね」

「いや、まあ、慧君はそういうのあんまり気にしないかもだけどね」

「そうなんですか? 」


 愛理は信じられないと言うように目をみはる。忠太郎は愛理が他の男の目に触れるだけでも嫌がるタイプだから、下着姿など論外だろう。


「じゃあ、明日はその後のパーティーにも出る? 」

「うーん、たろうさんには誘われているけど、私が行っても場違いだと思うし……。たろうさんはドレスを作ってくれたんですけど」

「社長の手作り? 」


 和風テイストの格好を好んで着ている忠太郎は、独特のセンスの持ち主というか、まさか和風っぽいドレスとか?


「うん、こんなの」


 愛理がスマホで写メを見せてくれる。

 上品な茶色の膝丈のフンワリしたチュール地のスカートで、おなかから胸の部分は光沢のあるベルベット、肩から袖にかけては透けないタイプのレースにきり返されていた。


「……普通に可愛い」

「うん、可愛いよね。私じゃ似合わないんじゃないかな」

「そんなことないわよ。そうだ、午前中におうちお邪魔していい?」

「いいですけど……? 」

「髪の毛のセットとお化粧させて。そのドレスに似合うように可愛くしてあげる」

「本当に? 」

「もちろん! 」


 化粧にかけては、地味に過ごした中・高校生時代に、いやっていうほど研究した。それに似合う髪型とか、とにかくお洒落することに憧れて、イメージトレーニングしまくっていた。


 パッと見、地味で目立たない愛理だが、このての顔は化粧でどうとでもなる。

 奥二重の目はくっきり二重にできるし、鼻筋を通して、ぷっくりした唇に見えるようにグロスをうまく使えば、天使のように純粋にも、小悪魔のようにエロ可愛くもできるだろう。

 小柄というのもあるが、顔が小さく目鼻立ちのバランスはいいのだ。骨格も華奢でほっそりしている。


 忠太郎が心配になるくらい、可愛く仕上げる自信があった。


「じゃあ、ちょっと早いけど、朝の七時にお邪魔しますね」

「はい。よろしくお願いいたします」

「……ところで、さっきから気になってたんだけれど、その着ているのは割烹着? 」


 割烹着というより、もしかすると幼稚園児が着るスモッグの方が近いかもしれない。ただ、この大きさのを初めて見た。

 エプロンよりは洋服を全部おおえるし、動きやすそうだし、掃除にはむいていそうに見えた。


「これですか? タブリエって言います。私の行っていた学校では、幼稚園児から高校生までみんな制服の上にこれを着るんです。冬はだいたいみんなこれを着て授業を受けていますね」


 そうか、胸のところにある刺繍は校紋か。


 その校紋は、地方出身者の麻衣子ですら見た記憶のあるお嬢様学校のものだった。


「なんか、掃除しやすそうでいいね」

「はい。ただ、後ろのチャックが少しあげにくいんですけどね」


 手を後ろに回してチャックを上げる仕草をする愛理は、身体が固いのか手が後ろに回っていなかった。


「身体固過ぎ」


 麻衣子が笑うと、愛理も照れくさそうに微笑んだ。


「そんなんです。私が柔軟体操をすると、だいたい笑われてしまうんです」

「ウワッ、ちょっと見てみたい」


 忠太郎がプレハブを覗きにくるまで、二人で柔軟をしては笑い合っていた。

 麻衣子はバレエをやっているかのように柔らかかったし、愛理はギャグのように固かった。






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