第187話 佳奈と凛花の思惑
「父親って……松田君、パパになるって、あんた知ってたの? 」
慧が出て行った道場に残された二人は、畳に座り込みながら、ただただ放心状態だった。
お互いに慧と付き合いたいだけで、不倫がしたい訳じゃない。まだ付き合っているだけなら略奪もありだが、結婚して家族があるとなれば話しは別だ。
「そんなこと……」
佳奈は慧のベッド事情は熟知していたし、その時の会話などは聞き漏らさないように録音までしていたが、妊娠を告げるような会話などはなかったはずだ。
それどころか、三日前に二人は仲直りしたらしいが、一ヶ月は会話はなかったし、寝室も別にしていた筈で、妊娠など……。
ちなみに、慧との会話で麻衣子の生理周期まで把握している佳奈は、指をおって数える。
麻衣子の生理周期は完璧で、きっちり二十九日周期だ。今まで一日もずれていない。もし、麻衣子が妊娠しているとすれば、十月の二十九日か三十日あたりにSEXしていないといけないのだが、その近辺は文化祭で忙しく、家にすら帰らず泊まりで大学にいた筈だ。
佳奈はニンマリ笑う。
「もし妊娠してるとして、それって慧の子供じゃないわ」
「何でよ? 」
「慧は一ヶ月、彼女と喧嘩してたのよ。しかも、その前の排卵日付近は慧は文化祭で家に帰ってないの」
凛花は怖い物を見るようにゾッとした視線を佳奈に送る。
「あんた、なんで彼女の排卵日まで把握してんのよ?! 気味悪いったらないわね」
もう、盗聴してます! と断言しているようなものよね……と思いながら、関わりたくないという気持ちから指摘はしなかった。
「その前の月は生理きてたみたいだから、もしできたのなら、100%慧の子供じゃないのよ! 」
拳を握り力説する佳奈は、目が爛々と輝いていた。
そして、麻衣子の生理周期については佳奈は全くもって正しいことを言っており、もし本当に麻衣子のおなかに子供がいるとしたら、確かに慧の子供ではあり得ないのだが……、いないのだから……問題は何もなかったりする。
「それが本当なら、松田君に教えてあげないとじゃない? 」
佳奈に対抗して慧を名前で呼んでみたものの、すっかり佳奈の毒気に当てられて元の呼び方に戻っていた。凛花が立ち上がって慧を追おうとすると、佳奈ががっちりとその腕をつかんだ。
「ダメよ! 」
「何で? だって、彼の子供じゃないんでしょう? あんたが断言したのよ」
「そうよ、その通りだわ」
今まで凛花の回りでオドオドしていた佳奈はすでになく、目付きは据わり、ふてぶてしい笑みさえ浮かべていた。まるで、こんなこともわからないの? ……とでも言うような明らかに上から目線の表情に、凛花は正直カチンとくる。
「離しなさいよ! 洋服にシワがよるでしょ」
「だって、凛花ちゃんに余計な口出ししてほしくないんだもん」
「余計って……」
凛花は無理やり佳奈の手を振り払うと、わざとらしく洋服のシワを伸ばすようにはらった。
「第一、凛花ちゃんが彼女のお腹の中の子供が慧の子供じゃないなんて言っても、なんの根拠もないだろうって一笑されるだけじゃない」
「そりゃ……まあ……、そうかもしれないけど。あんたの話しを出せば! 」
「私は否定するわよ。何のことか分からないって言い張るわ」
「何でよ……? 」
慧に麻衣子と結婚でもされたら、それこそ自分の出番が回ってくることは一生なくなるのだ。麻衣子の不貞を証明できれば、二人は別れるだろうし、そうすれば次点で繰り上がり……なんてことも十分あり得る話しで……。
無論、その際の繰り上がりは自分だと疑わない凛花は、何がなんでもその話しを慧にしなければ! と、イライラした面持ちで佳奈を睨み付けた。いつもなら、キョドってすぐに折れる佳奈が、今回ばかりは凛花のキツイ視線を真っ向から受け止める。
すでに午後の講義が始まった時間であるが、二人は気にせず睨み合っていた。
最初に折れたのは……凛花だった。
「わかったわよ。でも、理由を教えて。あんた、松田君が騙されて結婚しちゃってもかまわないって言うの? まさか、二号狙いだったりする訳? 」
佳奈は小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「別に、ずっと言わない訳じゃないわ。まだ早いって言ってるの」
「早いっていつならいいのよ? 」
「そうね……せめてあと二ヶ月……二ヶ月半かしら」
「何でよ? 」
佳奈はニタァッと笑う。
「妊娠二十二週を過ぎると、堕胎できなくなるから」
「は? 」
「やあねえ、もし赤ちゃん堕ろされたりして、何もない状態になったら、ヨリを戻しちゃうかもしれないじゃない」
「……」
「今、二ヶ月弱のはずだから、あと二ヶ月半たてば人工中絶はできなくなるでしょ? だから、それを待ってから話すの。きっと、慧傷つくわ。そこに優しい手を差しのべれば、きっと慧もすがり付いてくるはずよ。まさか、浮気相手の子供を一緒に育てようとは思わない筈だし、そうすれば完璧にあの女を慧の前から抹消できるわ! 」
楽しそうに話す佳奈を、凛花は心底怖いと思った。
そして、もしこれから先、佳奈の言う通り慧の一番が空いたとして、この女と男を取り合うのは心底嫌だと思った。全くもって負ける気はしないが、ねちっこく付きまとわれるのかと思うとゾッとする。
慧のアレは、非常に心惹かれるし、諦めるには惜し過ぎるが、見た目では麻衣子に敵わず、執念では佳奈に完敗だ。
それを悟った凛花は、今度こそ慧を諦める覚悟を決めた。
目の前をブラブラ( ? )されたら目の毒だが、本当の毒は今目の前にいるこの女だろうから。
「あんたの好きにすればいいわ。私はノータッチにするから」
「本当?! 」
佳奈は珍しく明るい笑顔を作り、佳奈の両手をつかんだ。
「本当よ! 本当だから離して!松田君には劣るけど、この間良さげな
最後のは強がりだったが、これ以上佳奈と同じ男を取り合うのは気味が悪すぎた。
「ああ! やっぱり凛花ちゃんは一番の友達だわ! 私のために慧のこと譲ってくれるのね?! 」
凛花は鳥肌がたった腕をさすりながら、あんたと親友になったことなんか一度もないわよ! ……と、心の中で叫ぶ。それを言わないのは、触らぬ神になんとやら……である。
「まあ、好きにしなさいよ。その代わり、私はもう二度と関わらないから。あんたも、二度と私の回りをウロチョロしないで」
「恋愛が関わると、友情は脆いものなのね……」
佳奈は寂しそうにつぶやいたが、勝手に一人の男を取り合った勝者のような口振りに、凛花は心底呆れる。
「そ……そうね、あんたとの友情(元からそんなもんないけど! )は脆く儚く散ったと思ってちょうだい。じゃあ、私は行くわ。……それにしても、あんた何で私達と松田君がここにいるって思ったの?」
道場を出ようとし、凛花は扉にかけた手を止めて振り返った。
「あらだって、今までも凛花ちゃん、ここに男性連れ込んで色々してたじゃない。校舎裏は今の時期寒いし、何かするつもりなら道場だろうなって」
含み笑いをしながら言う佳奈から、凛花はゾッとしながら視線を反らした。色々というのは、今まで気になる男のナニをここで……してたのを、佳奈にバレていたということで、もしかしたら覗かれていたかもしれないと思うと、気色悪くて吐き気さえした。
「マジで、私にはもう関わらないで! 」
凛花は、佳奈との関係を絶つ意味を含めて、力いっぱい扉を閉めた。この際、鍵まで閉めてしまいたいくらいの勢いだったが、さすがにそこまではせずに、足早に部室が並ぶ廊下を靴音を響かせて歩いた。
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