第三章

第186話 道場にて

「ちょっといいか? 」


 佳奈がトイレに立った隙に、慧は凛花に声をかけて、外に出るように促した。

 凛花は驚いたように慧を見上げたが、すぐに嬉しさを隠すように、わざとらしくツンケンとした態度をとる。


「何かしら? 別に少しくらいなら時間とってもいいけど」


「いいから早くこい! 」


 慧はイライラしたように凛花を睨み付け、勝手に教室から出て行ってしまう。

 凛花は慌てて上着を着て後を追いかけ、廊下を曲がっていく慧に追い付いて慧の腕をつかんだ。


「ちょっと、待ってよ? どこに行くの? 」

「どこ……、どっか話せるとこ」

「何よ! 決まってないの? 」

「どこだっていいんだよ。聞きたいことがあるだけだから」


 凛花はふーんとつぶやくと、慧の腕に胸を押し付けるように腕をからめてきた。


「なら、いいとこがある」


 凛花に引っ張られてついた場所は、部室のある棟の地下で、道場などもあった。同じ並びに茶道部の部室もあるから、知らない場所ではなかったが、道場に入るのは初めてだった。

 畳の匂いと、汗の匂い、女子が多いせいか制汗剤の匂いなども混じって独特の臭いがしている。


「勝手に入っていいのかよ? 」

「いいのよ。私、テニス部の他に柔道部のマネージャーしてるから」

「マジか? 」

「オママゴトみたいな部活だから、ほとんど活動してないけどね」

「おまえ、それを先に教えろよ!

 したら茶道部になんか入らなかったのに 」

「はあ? 」


 運動部でも活動していない部活があるのなら、断然そっちに入部したのに……と、部活をやる気のない慧は、ブツブツ文句を言う。


 茶道部は何気に活動しており、秋には茶会なんてものにも出させられたのだ。そのための練習をしないとと、夏合宿をサボった慧はみっちり部活に参加させられた。

 恭子とのこともあって、部活を辞めることができなくなっていた慧は、嫌々ながら毎週部活に顔を出していたのだ。


「とにかくほら、ドア閉めてよ」


 凛花に急かされるように道場の中に入り、扉を閉める。凛花が電気をつけると、道場の壁は鏡張りになっており、二人の姿が鏡に映った。


「やっと、佳奈なんかに手を出したのが間違いだったって気がついたの? 」

「手なんか出してねぇし! 」

「あら、そうなの? あんなに綺麗な彼女がいるから、真逆なタイプに惹かれたのかと思ったわ」

「よけいあり得ないだろ」


 凛花は、慧の腕をツンツン突っつく。


「で、何が聞きたいの? 私のスリーサイズ? 」

「興味ない」


 一刀両断の慧に、凛花は力なく笑う。


「ぶれないわね、松田君は」

「……ぶれぶれだよ。それはいいんだけどよ、おまえ佳奈とは仲がいいだろ? 」

「まあ、仲がいいっていうか、あの子が勝手に回りチョロチョロしてるだけだけど」

「引っ越し手伝いにきてくれた時にさ、あいつ……なんか変なことしてなかった? 」

「変なことって? たとえばこんな? 」


 凛花の手が慧の下半身に伸びてきそうになり、慧はめんどくさいくさそうに凛花の手を叩き落とした。


「はい、はい、そういううざいことしない。俺、真面目に聞いてんだけど」

「私も真面目なんだけど……」


 へこたれない凛花は、慧の胸に手をそわせる。


「なんか、仕掛けてなかった? うちの寝室に」

「仕掛ける? 何? 何か見つかったの? 盗聴器とか? 」

「いや、なんとなくうちの会話が駄々漏れしてる気がして」

「寝室って……、あの子ずいぶんムッツリなのね」

「そういう目的じゃねぇだろうけど、おまえらが片付けてたの寝室だよな」

「そうねぇ。私は気がつかなかったけど、あの子ならやりかねないかも」

「その根拠は? 」


 凛花はウーンと首を傾けると、可愛らしく上目遣いをするが、慧には響くことはない。

 凛花は伸びない慧の鼻の下を見て、フンッと鼻を鳴らす。


「あの子、無線が趣味なんだって。盗聴されてるの探したりとかもして、見ず知らずの他人の私生活覗き見してるみたい」

「無線……」


 盗聴器、仕掛けられてる可能性大ってことか。でも、無線ってそんなに電波飛ぶもんなんだろうか?


「ね、そんなことより……」


 凛花は慧にぴったりとくっつき、あからさまに目を閉じ顎を上げてキス顔を近づけてくる。

 慧はうんざりしたように凛花の肩をつかみ、おもいきり引き離す。


「悪いけど、まじで興味ないから」

「ずるい! 佳奈とはしたくせに!! あの子、自慢げに話してたんだから。私の何があの子に劣るっていうのよ?! 」


 凛花は腰に両手を当てて、ふんぞり返るようにして大声を出した。


「何も」


 全てにおいて、佳奈と比べて劣るところなどないだろう。それは事実だし、比べる元が悪すぎる。


「じゃあ?! 」

「あれは脅されただけ。おまえさ、何で俺にこだわる訳? あいつと違って、いくらだって男はいるだろ? 」


 凛花は視線を泳がせ、咳払いを一つした。


「そりゃね。遊びでも本気でも、いくらだって男はいるわよ。でも……あれよ……、松田君くらい立派なモノ持っている男はいないって言うか……、身体が……局所が超タイプっていうか、見たことないけど、今まで私の勘って外れたことないし」


 チラッチラッと慧の下半身に視線を向けつつ、ハアッとため息をつく。


「わかりやすくていいけどさ。五年前ならいくらでも相手してやったんだろうけど、今はちょっと無理だな。柔道部なら、俺並みの奴もいんだろ? 」

「身体の大きさと、あそこの大きさは比例してないの。残念ながら……」

「まじで潔い奴だな」


 下半身ネタを、恥ずかしがることなくため息まじりで話す凛花を、慧はある意味感心してしまう。


 男の価値を下半身で判断しているらしい凛花は、理想の下半身を探して今まで男漁りをしていたが、なかなか理想のモノに辿り着けずにいた。

 それがこんなに近くに理想に近そうな物体があろうとは?!


「一回でいいから、お願い! 松田君は座ってるだけでもいいから」


 凛花は手を合わせ、頭を下げる。


「おまえって、実は男らしいよな。いいよ……って言いたいとこだけど、本当に悪いな。もう二度と麻衣子を裏切らないって決めたんだ……なるべく」


 語尾にボソッととつけるあたり、凛花と違って男らしくない慧である。まあ、何事も絶対はない……ということだろうか?

 凛花には聞こえていなかったようなので、セーフではあったが。


「……そう。わかったわ、諦める。諦めるから、最後にちょっと……触るくらい……」


 諦めると言うわりには、視線は慧の股関に釘付けで、すでにその強い(恥ずかしい)執着を隠そうともせず、にじり寄ってきた。

 可愛らしい顔も、変態にしか見えなくなってくる。


 佳奈にせよ、凛花にせよ、慧に執着する女はアクが強いのが多い。


 一種の変態?


 盗聴する女に、男のイチモツにこだわる女、初恋の男とのキスを夢みるあまりにキスだけに執着する女……。

 そういや、前の大学でも犯罪スレスレのストーカー女にまとわりつかれたな。


 などと、くだらないことを思い出しているうちに、凛花の手は慧の股関にのびてきて……。


 一ヶ月以上ご無沙汰の慧は、理性が勝てる筈もなく、思わず触るだけなら……と意思がもげそうになりながらも、なんとか踏ん張って凛花の手をブロックする。

 その時、ガラリッ! と扉が開き、腕組みして仁王立ちの佳奈が、それこそ般若のような形相で立っていた。


「凛花ちゃん!! 慧は私の彼氏なんだから手を出さないで! 」


 凛花は、すました顔で慧にピタッと寄り添うと、佳奈を小馬鹿にしたように薄ら笑いを浮かべる。


「あら、松田君はあんたとなんか付き合ってないってよ」

「私達はキスだって! 」


 そういう佳奈の目の前で、凛花も素早く慧にキスをする。


「じゃあ、これで私もの彼女って訳だ」

「おまえね……」


 佳奈は顔を真っ赤にさせ、蛇のような目で凛花を睨み付ける。

 慧はもう知らんとばかりに、二人から目をそらした。


「三人目? 、彼女何人作るつもりよ? 」


 凛花はウケるッ! と手を叩いて笑ったが、慧にしたら、あまり楽しい状況ではない。


「あ……あんたなんか四人目なんだから! 」


 身体を震わせての絶叫に、凛花は高らかに笑った。


「四人目? けっこうじゃない?四人目だろうが、一番になればいいだけでしょ。……せめて二番とか」


 強気に出た凛花が少し言い淀んだのは、麻衣子のことを思い出したせいかもしれない。


「二番も三番もいらねぇよ。俺はもうすぐ父親になるんだから、余計な面倒起こすな!! 」

「「父親?! 」」


 佳奈と凛花の声がハモる。


 慧の勘違いはいまだ正されてはいなかった。

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