第185話 仲直り

「寝ろ! 」


 マンションに帰ってきた慧は、有無を言わさず麻衣子を寝室に連れてくると、手早くスーツを脱がせて部屋着を着せる。


「あ……あの? 」

「具合悪いんだろ? 」

「具合が悪い訳じゃ……」


 精神的な問題で胃悪くなり食事がとれないだけなのだが……。

 慧のせいで。


 麻衣子は言われたままにベッドに横になったものの、具合が悪い訳じゃないから寝ろと言われても困る。


「おまえ一人の身体じゃないんだから」

「は? 」


 慧は麻衣子に布団をかけ、自分はベッドの上にあぐらをかく。

 麻衣子のおなかの辺りをさすり、大丈夫大丈夫とつぶやく慧を、麻衣子は気味悪そうに見上げる。


「あのさ……」

「俺が悪かった」

「え? 」

「あれから先生とは二人で会ってないから。なんか、もうどうでもいいっていうか、親父の代わりみたいに言われて頭にきただけっていうか、よくわかんねぇけど、あの時の俺……おかしかったな。ごめん」


 慧があぐらをかいたまま頭を下げ、麻衣子はポカンとそんな慧を眺めた。


 ごめん?


 それは……浮気はもう終わったということだろうか?


 麻衣子の頬を涙がつたう。


「おまっ! 何泣いてんだよ?!」


 慧が麻衣子の頬を手の甲でゴシゴシ拭う。

 やはり、妊娠初期で精神的に不安定なんだろう……と、勝手に納得した慧は、麻衣子を起き上がらせて、抱き締めて背中をポンポンと撫でる。


 これは慧だろうか?

 いや、もちろん姿形は慧そのものだし、慧に間違いはないのだが、今までの彼ならばこんなこと照れくさくてしないだろう。

 泣いている麻衣子を抱き締めてあやすなど……。

 ほっぺたをつねって、泣くんじゃねぇよ! くらい言いそうなものだが。


「なんか食べたい物とか、飲みたい物はねぇか? 」

「……ないけど、慧君、どうしたの? 」

「どうもしねぇよ。いや、まあ、反省はしたな。うん、物凄く反省してる。ごめんなさい。許してください、お願いします」

「あの人のことは……もういいの? 」


 慧のトレーナーをつかんで、麻衣子はそっと慧の胸に額をつける。


「ああ。全く、さっぱり、未練はねぇよ」

「……そう」


 麻衣子は大きく息を吸い込み、フウッと音をたてて息を吐き出した。


「……ウッ!! てめぇ、何しやがる?! 」


 慧が麻衣子の背中に回していた腕を弛め、ベッドに手をついてうめいた。麻衣子の拳が慧の鳩尾にめり込んでいたのだ。


「これで許してあげる」

「まじか……」


 思った以上に綺麗に入ったパンチに、慧はイテェッとつぶやいて麻衣子ごとベッドに倒れた。

 重くはなかったが、慧に押さえ込まれる形になったため、麻衣子は慧の頭をよしよしと撫でる。


「おまえって、懐が深いよな……」

「今回だけよ」

「ああ……いい女だよな」


 慧の低い声が耳元をくすぐり、麻衣子は自然と目をつぶる。

 久しぶりのキスは、軽く触れただけだったが、しっとりと吸い付くようで、一ヶ月の空白を埋めるものだった。


 久しぶりのSEXに移行するのかと思いきや、慧は愛しそうに麻衣子の頭や顔を撫でると、麻衣子の身体に体重がかからないように気を付けながら起き上がった。


「テスト勉強があるから先に寝てろよ」


 麻衣子に布団をかけ、再度キスをすると慧君は寝室を出て行った。

 部屋に一人になり、麻衣子は天井をジッと見上げる。

 さっきまでの最悪で陰鬱な気分はもうなかった。


 今日はよく眠れそうだ……。


 すでにうつらうつらしている麻衣子だったが、スマホの充電をしておかないとと思い出し、ベッドの脇に投げ出されたままのカバンからスマホを取り出し、電源を入れた。


 スマホを見ると、ラインに着信が沢山入っている。

 何だろう? と開くと、全て佳奈からのもので、会って話そうとか、自分も慧の彼女だみたいなことが書いてあった。


 正直、内容も回数も気持ち悪かった。


 慧と浮気相手の教授の写真や、何かやらかしているんだろうなと想像できる音声の入った動画(映っているのはドアだけだが)、慧と佳奈が寄り添っての自撮りした写真などまで、多数送りつけられていた。


「何がしたいの、この子……」


 同じ立場として麻衣子の気持ちを理解できるのは自分だけだ……みたいな寄り添うような文章が書いてあったが、麻衣子の気持ちを煽り、慧の浮気を暴露するような内容で、もし慧とやり直せていない状態で見たら、きっと家を出ていたかもしれない。


 何よりも、自分も慧の彼女になったんだと言って二人の写メまで送ってきており、自分と麻衣子は恭子先生の二番手であり、慰め合わないか……って、本当に意味がわからない。


 読んでいるうちに、さらに新しいものが届く。


 佳奈:慧が謝ったとしても、口だけだから。信じたらダメ。恭子先生が慧のこと手放す訳ないし、彼女の色香に惑わない男なんかいない


 ……って?

 偶然? 想像?

 まさか、慧が麻衣子に謝ったことを佳奈に報告した訳じゃないだろう……と思いながら、麻衣子はスマホを持って寝室を出た。

 すっかり眠気は覚めてしまい、慧の勉強部屋の前に立つ。

 ノックをしようか迷っていると、内側からドアが開いた。


「どうした? 」

「あの、ちょっといい? 」


 慧とリビングにくると、麻衣子は慧にはコーヒー、自分にはココアを入れてソファーに座った。


「あのね、実はさっきからラインが止まらなくて、それで電源切ってたんだけど」

「なんだ? 迷惑メールみたいなのかよ? 」

「相手はわかってる……というか、慧君の大学の子」


 麻衣子が知ってる慧の大学の同級生と言えば、佳奈と凛花だけで、麻衣子とラインを交換したのは佳奈だけであった。


「ちょっと貸せ」


 麻衣子が素直にスマホを差し出すと、ちょうどラインが届いた音が鳴った。


 佳奈:慧君の言葉なんか信じたらダメ。何回も大学でHなことしてるんだから。きっと、これからだってわからないと思ってするに決まってる


「何だよ、これ?! 」

「慧君、私に今日謝るつもりだったの? 彼女に相談とかした? なんか、西条さんも慧君の彼女だとか言ってるんだけど」

「おまえと話しはしなきゃとは思ってたけど、別に今日って決めてた訳じゃねぇよ。ってか、あいつに相談なんかすっかよ。どっちかっていうと、脅迫されてたんだし」

「脅迫?! 」


 恭子とのことをネタに脅され、キスを迫られたこと、勝手にカップルだと言いふらされていることを告げた。


「あいつ! これをおまえに見せてもいいのか? って脅かしたくせに、ちゃっかり送ってるんじゃねぇか?! 」


 慧はイライラと画面を睨み付けると、文章を打ち出した。


「ちょっと慧君、勝手に……」


 麻衣子:てめえ、ふざけんな! 俺のことを語るな! 二度と麻衣子にライン送るんじゃねぇ!

 佳奈:慧?

 麻衣子:はあ? おまえに呼び捨てにされたくねぇんだけど? あと、いつ俺がおまえと付き合ったよ?! おまえに脅されてキスされただけだろ? もう、麻衣子にあの動画送ったんなら、おまえの言うこときく意味がねぇんだよ。こっちのことまで首突っ込んでくんな! このブス!!


「慧君、女の子にブスはダメ」

「いいんだよ! こいつは性格も不細工なんだから! あいつにつきまとわれてる俺の気にもなれ」

「それは自業自得……」


 つけ入れられる隙を作ったのは慧自身だし、その点においては御愁傷様……としか言いようがない。

 慧もそれは自分のことながら同意見なのか、それ以上掘り下げることはせず、佳奈のラインの文章を読んで首をかしげた。


 慧と麻衣子が家に帰るまでは、慧の浮気の暴露やその他諸々の内容であるのに、家に帰った後くらいから慧に騙されるな。謝ってるのは口だけだ……みたいな内容にシフトしている。


 まるで、麻衣子と慧が仲直りしたのを見ていたかのように……。


 そこで、ふと思い出す。

 明け方まで麻衣子とSEXした日の朝などに、寝不足は良くないわよと、佳奈に言われることが多かったような……。

 その他にも、麻衣子とベッドで話したような内容を話してきたり、何よりあの夏の偶然!

 旅行先がかぶるとか普通ないだろ?


 まるで、自分達の生活を盗み見ているんじゃないかって……、まさか……な?


 慧の中で生まれた疑惑は、どんどん大きくなっていき、ほとんど確証に近くなっていた。

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